結局この問題は大変悲しいことに、翌1981年の春に、祖母が脳梗塞で急逝したことで解決した。これもまた後からの知恵なのだが、おそらく前年から祖母は脳の血管に問題を抱えていたのだろう。時折様子がおかしくなるというのは小さな血栓が脳の血管につまっては、また流されるということを繰り返していたのではなかろうか。1981年3月、私は倒れる直前の祖母と2人で、祖母の故郷への小旅行をしているのだが、その時の祖母は、まったく頭脳明晰で様々な子供の頃の思い出を語ってくれたのであった。

 祖母亡き後、祖父は土浦の家を売って、私の実家近くの老人ホームに入居した。海軍兵学校は、生徒に徹底して規則正しい生活習慣を叩き込んでいた。狭い船上で自分を律して健康に生活ができるようにするためである。十代で身につけた習慣は、八十代も半ばを過ぎた祖父の中にも生きていた。老人ホームに入居してから5年間、90歳近くになるまで祖父は規則正しく自分を律して一人の生活を謳歌した。

 変化が現れたのは1985年から1986年にかけての冬である。祖父の生活態度が崩れ始めた。年も押し迫ったある日、私が訪問すると、「疲れた」といって祖父は寝ていた。もしやと思い熱を測ると発熱している。部屋は埃っぽく、散らかり放題になっていたので、私は掃除を始めた。

 ふと私は、なにかのかけらが床に散らばっているのに気が付いた。茶色いかけらは最初、酒のつまみとして売っているハナ豆の殻かと思った。が、様子がおかしい。

その豆殻の正体は

 突如私は、それが完全に乾ききったゴキブリの死骸であることに気が付いた。自分か祖父かが気が付かずに踏みつけ、砕いたかけらだったのである。冬の低湿度と暖房のために、ゴキブリの死骸がミイラ化していたのだった。

 あわてて、ゴキブリの好みそうな部屋の隅、家具の裏などを調べる。何匹かの干からびたゴキブリの死骸が見つかった。が、それだけではなかった。

 窓際のカーテンを拡げると、裏側には何か黒い物体が一杯付着していた。私はその物体についての知識を持っていた。ゴキブリの卵――卵鞘だった。カーテンの裏側は、ゴキブリの卵で一杯だったのである。

 ゴキブリは暖かく、湿った狭い場所に卵鞘を産み付ける。恐らく祖父は雨が降った時に、うっかり窓を開けていて、カーテンを濡らしてしまい、そのまま放置したのだろう。日光が当たれば雨は蒸発し、狭くて湿って暖かい、ゴキブリにとっては最高の住居が完成する。ゴキブリたちはシャングリラを得たとばかりに集まり、次世代の希望を託した卵をカーテンに産み付けたのであろう。しかし、冬の乾燥がじきにカーテンを乾かしてしまい、彼らの次の世代を干からびさせてしまったらしかった。

 この時も私は母に連絡し、母がカーテンを洗濯したはずである。祖父の様子は、明らかに今で言う認知症の初期症状だった。それから5年間、祖父は要介護の生活を送り、1991年に95歳の天寿を全うしたのだった。

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