ここからの数秒ははっきり記憶に焼き付いている。

 まず米びつの底の米が目についた。最初は気がつかなかった。あまりに異様なので脳が認識するまで時間がかかったのだと思う。

 米の上にゴキブリがいた。それも何匹も何匹も。我々が米びつを開けたので慌てて逃げようとし、何匹ものゴキブリの脚の動きで米がざらっと流れて崩れた。「赤く大きなゴキブリ」と記憶しているのだが、あまりの衝撃で大きく見えたのだろう。実際はごく一般的な、小柄で赤いチャバネゴキブリだったのだと思う。米びつの中には、唐辛子成分の虫除けも入っていたのだが、ゴキブリの生命力の前に、唐辛子は無力らしかった。

 「うわっ」と叫んで、「こんな米、おじいちゃんに食わせていたのか!」と思ったのは覚えているが、さてその後どう行動したのか。かなり記憶が混乱している。「もったいない」と抗議する祖母を制止して、米びつの中の米を捨てたはずだ。所構わず台所で殺虫剤を噴射したような覚えもあるが、事実か思い違いか、いまひとつはっきりしない。とにかく、私と弟は錯乱状態でゴキブリ退治をした。これは間違いない。

 確か、電話で母に連絡し、翌日だったかに母がやってきて大片付けをしたと記憶している。しかし、老人2人で住む以上、今後もこのような問題が発生することは、明らかであった。

祖母、動かず

 このままではまずい、と母とその兄弟が騒ぎだした。もう土浦の隙間風の入るボロ屋に老夫婦2人を置いておくわけにはいかない。家と土地を売り、子ども達がすぐ行ける場所の、老人ホームに入るべき、となった。もともと転勤の多い海軍の軍人であった祖父は、さほど老人ホーム入りに忌避感はなかった。

 ところが、肝心要の祖母が頑として言うことを聞かなかった。私は、切々と転居を勧める手紙を祖母に書いて送ったが、返事はなかった。ただ、その手紙は祖父が保管していて、祖父の死後、私の手元に戻って来た。孫からの手紙はそれなりに老夫婦の心に響くものがあったのだ、と思いたい。

 今なら理解できる。大地主の家に生まれた祖母は、筑波山の麓の実家に強い愛着を持っていた。当時は国鉄常磐線の土浦駅から筑波鉄道筑波線(1987年に廃止)が走っていて、祖母の故郷へは鉄道一本で行くことができた。

 祖母は故郷から離れたくなかったのである。

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