夏になると葡萄を狙ってコガネムシが葡萄棚に集まってくる。朝起きると、祖父は葡萄の幹を蹴飛ばす。すると夜のうちに集まってきたコガネムシがぱらぱらとぶどう棚から落ちてくる。そのコガネムシを踏んで潰すのが、幼稚園入園前、幼かった自分の残酷な娯楽であった。

 記憶にないぐらいの幼時から、高校を出るまで、私は夏になるとその家で過ごし、祖父・祖母と沢山の思い出を作ったのだった。

 そんな状況が変化したのは、1980年。高校を出た私が浪人していた夏のことだった。

 どうもお母さんがおかしい――当時40代だった母が、祖母の異変に気が付いたのである。

 歳を取ってなにもかもめんどくさくなって家事を放棄しているというような話だった。言っていることが何かおかしい、とも。

 老人性認知症という病気の存在を一躍有名にした有吉佐和子の小説『恍惚の人』は1972年に出版されていたから、我々は「ひょっとしておばあちゃん、惚けたか」と疑った。当時は認知症という言葉はない。痴呆症という残酷な病名であった。

荒れる庭、台所、そして

 祖父母と母が当時電話でどんなやりとりをしたか、私は知らない。ともあれ、様子を見てこいということになって夏休み中の私と弟が土浦に派遣された。

 祖父母の家に着くと、異変は明らかだった。庭が荒れていたのである。丹精してきた芝生には雑草がはびこり、芝も伸び放題。一部はゼニゴケが浸食していた。我々は、実際に雑草を抜き、庭を管理していたのは祖父ではなく祖母だったかと気がついた。

 が、予想に反して、祖母の口調はいつも通りだった。
 「なに、心配しているって? 自分はなんともないわよ」と。
 庭の状況に不安を感じつつ、私はその口調でとりあえずの安心を得た。

 が、確かに異変は進行していたのである。着いたその晩だったか、それともその次の日だったか、祖母が面倒がって夕食を作ろうとしないので、私と弟は台所に入った。古くて板張りの台所は、明らかに手入れが行き届いていなかった。あまりはっきりと覚えていないのだが、洗わないままの食器が流しに突っ込んであったはずである。不穏な雰囲気の中、我々は米でも炊こうかと、流しの下の棚に入れてあった米びつを開けた。

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