フェルディナント・ヤマグチ(以下、F):初めまして。フェルディナント・ヤマグチと申します。今日はよろしくお願いします。

 マツダの藤原(清志)副社長からご紹介をいただき、今回のインタビューが実現いたしました。「本田技術研究所の三部社長は本当に面白い方だから、一度話を聞いておくといいよ」と先週ご連絡を頂戴しまして。

本田技術研究所社長、ホンダ専務の三部敏宏さん
本田技術研究所社長、ホンダ専務の三部敏宏さん

三部敏宏さん(以下、三):藤原さんね。あの方こそ面白いよね。ちょっと変わっていて(笑)。

F:変わっていますか? 私の中では藤原さんがマツダのスタンダードになっているのですが。

:いやいや、それは間違っている。藤原さんは特殊、藤原さんは特別な存在です。あの人がマツダのスタンダードだなんて、それは大きな誤解です。

F:マツダで一番お話しする機会が多いのが藤原さんですからね、あとは足回りの虫谷(泰典)さんとか、デザインの前田(育男)さんとか。

:付き合いが偏っているなぁ(笑)。

F:いまちょうどFITの記事を書いていて、本当にいいタイミングで藤原さんから三部さんをご紹介いただいたんです。

:ああ、何かウチのかわいい田中健樹(前回までを参照、FITのLPL)をたっぷりイジメていただいたようで(笑)。

F:イジメるだなんてそんな……。田中さんからはFITの開発について、非常に有意義で興味深いお話を伺うことができました。その開発のトップである三部さんは、本田技術研究所の社長であり、ホンダ本体の専務という立場でもいらっしゃる。先程いただいた名刺には、研究開発、生産、購買、品質、パーツ、サービス、知的財産、標準化、IT担当……とたくさんの役職が書いてありますが、やらないことを聞いたほうが早そうですね(笑)。

:やらないことは営業です。だから名刺には、「営業以外全部」と書いてくれと言ったんですが、アッサリ却下されてしまいました(笑)。

F:営業以外全部やる(笑)。では、三部さんの経歴を教えてください。

:経歴は一貫してエンジン開発です。

F:本田技術研究所でエンジン開発といえば本流中の本流で、みんながやりたい仕事ですよね。

:ええ。自分で言うのもナンですが、本流です。もちろんみんながやりたい仕事です。僕の入社は1987年だから、まさしくホンダの最盛期、全盛期に入りました。

F:レースのエンジン開発もやられたのですか?

「ウチはレースでメシを食っているんじゃないぞ」

:もちろんやる気満々でした。黙っていてもレースの仕事が回って来るものだと思っていました。F1は連戦連勝で、花形でしたからね。

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 当時のホンダF1は「第二期」と呼ばれる正しく全盛期。

 コンストラクターとして6年連続、そしてホンダエンジンを搭載したマシンを駆るドライバーは5年連続で優勝した「絶対王者」だった。マクラーレン・ホンダが前人未到の16戦中15勝したのは、三部さんが入社した翌年の1988年だ。文字通りの黄金期である。

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:でもその時のマネジャーが、「おう三部。ウチはレースでメシを食っているんじゃないんだぞ」と言うのです。ちょうどその頃カリフォルニアで大気汚染が大きな問題になっていて、ロー・エミッション・ビークルの規制から始まり、ウルトラ・ロー・エミッション・ビークル、スーパー・ウルトラ・ロー・エミッション・ビークル、と厳しい法規制がどんどん可決されていった。それに伴って、自動車会社に対するプレッシャーも日増しに厳しくなっていきました。

F:あー……。

:そんな大変な時にレースなんてアホ抜かすなと。俺たちエンジン屋は、世界に先駆けて大気汚染に対するソリューションを作るのが仕事だろうと。正反対じゃないですか。レースなんて。

F:「僕は将来レースに携わりたいです」、と言ったら上司にそう言われたのですか?

:そう。そう伝えたら、ふざけるんじゃないと。お前にはレースなんか一生やらせないからな、とか言われてしまって……。ちょうど花形部署のエンジン開発室に配属になったばかりで、自分としてはもう完全にレースをやるつもりでいたから、お先マックラです。周りからも「来年のF1頑張ってね」なんて言われていたのに、ですよ(苦笑)。

F:ひぃぃ。入社間もない、希望に溢れた若者の夢は、無残に打ち砕かれた……。

 しかしF1で連戦連勝の時に、レースなんてフザケンナと平気で言う人がいるのが、ホンダという会社の面白いところですね。普通の会社なら、それこそ天に弓引く反乱分子じゃないですか。

:そこですよ。

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