みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
光陰矢の如しと申しましょうか、早いもので今年も10月になりました。
消費税も無事10%に上がり、コンビニのレジで「持ち帰ります」と高らかに宣言して購入された肉まんを、迷うことなくイートイン席に直行して召し上がるご婦人の姿を見るにつけ、私も強く生きていかなければ……と思いを新たにする仲秋の候でございます。
今週も明るく楽しくヨタ話からまいりましょう。
このたび日本ボート・オブ・ザ・イヤー実行委員会より、選考委員に選んでいただきました(こちら)。マリンファンの拡大に、粉骨砕身努力する所存であります。まだボートの免許しかありませんからね。PWCの免許も早々に取りに行かなければ。
先週開催した講演会「ホンダF1開発陣に学ぶ『折れないチーム』のつくり方」は大盛況の内に閉会いたしました。
浅木泰昭・ホンダF1HRDSakuraセンター長/ホンダF1PU開発責任者(写真中央)、山本雅史・ホンダF1マネージングディレクター(右)をお迎えしました。
200席のお申込みをいただいていたのですが、何と12名の方がお申し込みをされたまま(つまり参加費を払ったまま)ご来場いただけませんでした。急なお仕事でも入ったのでしょうか。
非常に心苦しい思いです。
ともあれ、ご参加いただいたみなさまにはお楽しみいただけましたでしょうか?
会場には「免許取得以来ホンダ車以外には乗ったことがない」という熱いホンダファンもいれば、ホンダ車には乗ったことがないという方もいた。10代のF1ファンという将来有望な青年もいたりして、なんともカオスなお客様層でございました。
調子に乗って大阪での開催を目論んでいるところなのですが、果たして関西圏にディマンドがあるのかどうか。「ぜひ大阪で開催を!」という方はコメント欄にご記入ください。
10月ですからね。そろそろ来年の仕込みをしなければいけません。
年初は恒例のマツダ神社藤原大明神新春降臨祭を……と目論み、広島へ出張り藤原神社に参拝してきました。最近のマツダはどうも勢いに欠ける感じがする。鳴り物入りで出た「マツダ3」は「高過ぎる」と批判され、日経にはこんな記事を書かれ、いったいどうなっているのでしょう。
「どうなっているのでしょう」とそのまま伺ったところ、誠に明快なお答えをいただきました。
正月を待たず、インタビューの時間を頂戴して読者諸兄にも早くお知らせしたほうがいいかもしれません。マイトのYさん、アポ取りをお願いします。
マツダの藤原清志副社長と土井歩広報本部長。土井さんにはデミオのチーフエンジニア時代に大変お世話になりました。
「 Numero TOKYO 」という雑誌をご存じでしょうか。
いわゆる「モード誌」と呼ばれるもので、業界でも先端を走るシャレオツ系の方々が購読されるメディアなのですが、どうしたことかその有り難いNumero TOKYO様よりお声がかかり、食に関する記事を寄稿することとなりました。書店で見かけたらお手に取ってご覧ください。
表2からDior、CHANEL、BOTTEGA VENETAと続き、表4にはGUCCIの広告が入っています。赤文字系雑誌ですら衰退する昨今、こんなに景気よく広告が入る雑誌も珍しい。私の記事は52~53ページに掲載されています。
俳優の大鶴義丹氏と飲みました。バイク乗りの彼からは以前より「バイクに乗りましょう。僕がイチから教えてあげますよ」とお誘いを受けているのですが、私がウジウジ決めかねていて、なかなか実現に至りません。「大鶴義丹のオフロード講座」なんて面白そうですが、何しろ私は自転車でコケて骨折するような人間ですからね。バイクでコケたら本当に死んでしまいます。とりあえず免許くらいは取っておきましょうか。
二子玉川で開催されたクラシックポルシェのオークションを見学してきました。
6台が出品され、そのうち入札されたのは2台のみ。4台は誰も札を上げることなく流れてしまいました。最低落札価格の設定が高過ぎたのでしょうか……。
深紅の1963年式356C SCが1400万スタートで応札ゼロ。勢いで空冷を買う時代は終わり、皆さん冷静になりました。
トヨタ広報とGR(GAZOO Racing Company)広報がダブルで立ち会う厳戒態勢のもと収録された動画が公開されました(こちら)。
後からトヨタの別の方に聞いたら、「フェルさん+多田(哲哉・トヨタ自動車 GR開発統括部チーフエンジニア)じゃ、そりゃウチだって警戒しますわ(笑)」とのこと。二人でクルマに乗ってビデオを回すことは、最後まで「それはちょっと……」と抵抗しておられました。
問題の動画がいよいよ公開。多田さん(写真中央)のハジケっぷりをとくとご覧ください。
それでは本編へとまいりましょう。
ホンダのスズキさん奮闘記、第3弾です。
ここまで続くとは鈴木氏当人も分かっておらず、連日のように「いつまで続くんですか……」と泣きのメールが飛んできます。まだ続くんですよねこれが(笑)。
文字通り「3度目の正直」でホンダに中途入社した鈴木さん。
配属されたのは海外営業部。得意の語学も生かせるし、新天地でひと暴れしてやるか、とばかりに意気揚々と出社した。しかし、ホンダにおけるデビュー戦は、実に厳しいものとなった。
現在のお仕事、ホンダF1の広報活動中の鈴木さん(写真右)。左は田辺豊治ホンダF1テクニカルディレクター。
フェルディナント・ヤマグチ(以下、F):配属された海外営業でのお仕事は順調だったんですか?
鈴木悠介氏(以下、鈴):いや……それが全然ぱっとしなくて、本当にぱっとしなかったです。
F:それはどういう。中途採用の面接では各部からの面接官がワラワラと集まって来て、鳴り物入りで入社したんじゃなかったの?
鈴:紙の上でのステータスが結構高かったので、たぶんいろいろ期待していただいていたのだと思います。こいつならできるだろうと。海外営業部としても、すぐに駐在させたいという意向で採用してくれたはずです。でも、全然ダメでした。
F:ダメというのは、具体的にはどんな風にダメだったんですか?
鈴:単純に上司から要求されたことができないんです。お前これをやっとけよ、と言われたことがちゃんとできない。何か新しいことを、自分なりに発見してみろと言われてもそれができない。データの中から物事が読み取れない。
F:鈴木さん以外の人はできていたんですか?
鈴:できていました。海外営業はみんな頭がいいんですよ。同じ数字を見ているのに、僕とみんなとでは違うものが見えている。そんな感じでした。
F:会社で仕事をしていて、そんな大きな違いって出るのかなぁ……。私も現役の会社員だからその辺の感覚は分かりますが、会社員の仕事ができるできないって、実はほんの少しの違いじゃないですか。その積み重ねが、何年も経つと大きな違いになってくるのだけど……。
鈴:もちろん経験もあると思うのですが、明確な実力差を感じました。あとは単純なミスも多かった。フェルさんもご存じの通り、こんな性格なので、やっぱりポカミスも多くて。
F:いや、鈴木さんは僕の知っているホンダの社員の中で、一番ちゃんとしていますよ。雑な人が多いホンダの中で、鈴木さんは一番ちゃんとしている。
鈴:そう言ってくださるのはうれしいんですが、海外営業にいたころは本当にダメダメで仕事もできなくて、会社に行くのが辛かったです。
F:SUBARUの販売店にいたときは、売れないとボケカスアホウと詰られたと聞きましたが、それとホンダの海外営業ではどちらが辛かったですか?
鈴:辛さの程度は同じくらいです。ホンダの場合は販売店の現場じゃありませんから、オイコラと詰められることはありませんでしたが、居場所が違うと言うのかな。それがとても苦しかったです。要はどちらの職場も自分がそこで必要とされていないわけじゃないですか。それって人間として本当に辛い。一番辛い。
「必要とされていない」と実感する苦しさ
F:必要とされていない。確かにそれは辛い。その辛さをどうやって乗り越えてきたのですか。
鈴:社員証に赤い文字で「HONDA」と書いてあるのですが、あれを見て。あと会社に大きく「HONDA」と看板が出ているじゃないですか。毎日出社するときにあれを見て。HONDAの赤いロゴを見て励みにしました。「自分はいまホンダで働いているんだ」と、自分に言い聞かせて。頑張ろうと。俺はホンダでF1をやるんだと。
F:いい話だなぁ……。しかし鈴木さんほど優秀な人が通用しないって、にわかには信じがたい話ですね。そんなにホンダの海外営業は優秀なんですか。海外営業って、英語ができて酒に強ければいい、というイメージがあるんですが、そうじゃないんですか?
鈴:とんでもない! それは大変な間違いです。ホンダの海外営業にはものすごく優秀な人がたくさんそろっています。めちゃくちゃ頭が切れて、分析もできて、そのうえで夢も語れる。「販売」というものの基礎を正しく理解していて、販売店にキチンと物を言える。でも僕は販売のイロハも分かっていないし、それほど数字にも強くない。
F:普通にエクセルができる程度じゃダメなんですか。
鈴:普通じゃダメですね。「荷繰り」というホンダ用語があります。要は生産から販売までを一気通貫に数字でつなげることなんですが、「これだけ売りたいから、これだけ造ってもらいたい」ということを、数字を基にして工場側と話がつけられなきゃいけないんです。
F:はー。そんなことまで営業が……。
鈴:営業がやります。この荷繰りを極めることが、実はホンダの海外営業としてのキモなんです。これがキチンとできれば、現地法人の社長だって務まります。製造も含め、商売の全てが、荷繰りの紙1枚で回るんです。
F:現法の社員は酒飲んでゴルフをやっていればいいのかと……。
鈴:そんなことあり得ませんよ。少なくともホンダの現法ではあり得ない。現法は余計な在庫を持たないように、また工場は余計なクルマを造ったり、逆にモノが足りなくなったりしないように、MTOC(モデル、タイプ、オプション、カラー)を見ながら調整しなきゃいけません。そしてそれは、全て数字で管理されるんです。
F:大変なんだなぁ……。
鈴:同じところで造って、同じところで売る地産地消ならまだいいんですが、例えばこっちの国で造って、売るのはあっちの国、というケースもあるわけです。ホンダにはいろんな国に工場がいくつもありますからね。どこをどう稼働させるかも全体で考えなければいけません。だから数字のスキルは本当に必要で、本当に大事なんです。必要な台数が把握できるのは当然として、財務の知識も求められます。そんなことが、ホンダの海外営業は本当にみんなビシッとできるんです。入社してびっくりしました。すごく優秀な人が多い。切れ者が大勢そろっている。
「これでダメなら、元の会社に帰れ」
F:危機感や焦りはありましたか? だって鈴木さんは学歴もあるし、SUBARUで経験も積んでいるし、自分はイケてると思って入社したわけじゃないですか。
鈴:書面上のステータスが高いのは自分自身で分かっていましたが、それじゃ前の会社ですごく仕事ができたかと言われると、実際はごく普通の社員でしたからね。それほどでもないです。ただ何となく、「鈴木がいる場所はここじゃないよね。合っていないよね」というのは、自分も周りの人も分かっていて……。
「昔神童、今ただの人」というのはよく聞く話だが、高校時代の留学先で鼻をへし折られ、SUBARUの販売店でピシャ叩きにされ、F1に憧れ転職したホンダでも、またもや辛酸を舐めることになる。なんとも苦労の多い人生ではないか。
鈴:当時の上司には何度も助けてもらいました。たぶん「鈴木はこの職場に合っていないな……」と感じておられたのだと思います。それである日呼び出されて「お前はホンダで何をやりたいんだ?」と問いただされて。
F:そこで「本当はF1をやりたいです」と。
鈴:はい。僕は大学ではスペイン語を専攻していたのですが、メディア関係も勉強していました。留学先で影響を受けたこともあって、発信することや表現することにも興味がありました。だからそこで「F1に関われるなら、広報に行きたい」と言ったんです。それで上司があちこちにネゴしてくれて。
F:それで広報に。
鈴:はい。「お前、これで最後だぞ。営業でダメで広報でもダメだったら、もうホンダで行き先はないからな。元の会社に帰れ」と言われて送り出されました。
F:すごいね。いい上司だ。
離婚報道の渦中に放り込まれる
広報に転属となった鈴木さん。国内モータースポーツの広報を担当し、水を得た魚のように活躍することになる。そしてその成果が認められ、2017年3月、満を持してF1の担当になる。憧れのF1。僕たちのF1。めでたい。実にめでたい。おめでとう鈴木さん。
だがここで思い出してほしい。2017年はマクラーレンとホンダの関係が最悪の時期で、離婚待ったなしの状態だったころではないか。
鈴:すごいところに放り出されました。2017年はマクラーレンとの3年目で、まさにボロボロの時期だったので。
F:マクラーレンはあからさまにホンダ批判を繰り返していましたからね。「ウチが遅いのはホンダのPU(パワーユニット)のせいだ」と。そしてメディアもそれに同調して、「ホンダのPUは遅いしすぐ壊れる」の大合唱でした。
鈴:はい。だから毎日メディアを見るのが辛かったです。Yahoo!ニュースのヘッドラインにホンダ批判の記事がボンと上がったりして、広報としては最悪ですよ。自分が帯同していたインタビューで誰かが話したことが、批判記事になってヘッドラインに出てしまうのですから。イコール会社の名前が傷つく、ということです。
F:大金をはたいたうえに会社の評判を落としてしまうのですから、「それならやらないほうがマシだよね」という話にもなってしまう。広報も辛いけど、ホンダという会社はもっと辛い。
僕が愛してきたホンダが、このまま終わるわけがない
鈴:はい。ホンダは凄いと思っていたし、何だかんだ言ってもホンダだから必ず勝てると思っていました。でもイギリスに来て実際に現場を見てみると、ものすごく苦労しているわけですよ。改善しても、改善しても本当に勝てない年で。僕はエンジニアじゃありませんから、本当にどうしようもありません。それがもどかしくて、それが悔しくて。ホテルに帰って毎晩1人でシクシク泣いていました。僕が信じて愛してきたホンダって、こんなだったっけ。いや、こんなはずじゃ絶対にない、と。
F:当然マクラーレンとの関係も最悪で、芸能人の泥沼離婚みたいな話になっていた。憧れのF1広報担当になったら、いきなり離婚話。最初の仕事が離婚のリリースか。それは辛いよね(笑)。
鈴:ホンダとしても、その時期はやはり「自分たちが悪い、PUとしてできていない部分がある」という認識がありました。だからマクラーレン側から何を言われても反論はしませんでした。社内で賛否はありましたが、反論はしなかったんです。
F:ホンダとして反論しないと決めていたわけですか。「お前らのシャシーだって問題だらけだろう」とか、言いたいことは山ほどあったはずですよね。
鈴:そこは日本的な美学と言うのかな。自分たちでできてない部分が明確にあるのだから、言うべきではないと。もちろん社内で文句は言いますが、そんなことは外に向けて言うものじゃないと。会社として「言わない」と取り決めたわけではなく、別に何の議論もなく、みんなが自然にそうしていましたね。だって相手の批判をしたって、チームとしていい方向になんか絶対に向かないですよね。メディアだってホンダが言い返して舌戦になるのを待っているわけだし。
F:見たかったなぁ。本当に見たい。他人のケンカほど見ていて楽しいものはありませんから(笑)。
鈴:ヒドいなぁ(苦笑)。当時レッドブルとルノーは、そんな言い争いになってしまって、それをメディアが楽しむ姿を僕らは見ていたので、ああならないようにしよう、と思ったところはありますね。
マクラーレンとの泥沼離婚劇も終了し、トロロッソ、続いてレッドブルとの幸福な新婚生活が始まった。そして今年のオーストリアGPで、2006年のハンガリーGP以来の、実に13年ぶりの優勝を果たすことになる。
鈴:信じられないですよね。「何で自分がここにいるんだ?」という思いがありますよね。僕がクルマを造っているわけじゃないので、偉そうなことを言える立場ではありませんが、本当にホンダに来てよかった、F1をやれてよかったと思える瞬間でした。
F:偉そうなことを言っていいですよ。大威張りしていいですよ。だって鈴木さんはホンダの社員なんだから。ホンダの全社員はホンダがF1で勝っている限り、大威張りで道の真ん中を歩いていいはずですよ。
鈴:僕の場合はすごくラッキーで、たまたまこの場にいるという感じもするのですが、それでも信念を持って物事に向き合っていれば、人生って何となくいい方向に向かうのかな、という実感がありますね。
F:仕事が辛くても、会社は辞めないほうがいいですか?
鈴:難しい質問ですね。僕はSUBARUを辞めていますので。ただ自分の会社でも他の会社でも、その先に自分がやりたいことがあるのであれば、勝負してみる価値はあると思います。人生って思っている方向に何となく進むよな、というのが、ここ数年で僕が感じたことです。あれよあれよと言っている間にF1に、本当にホンダのF1に携わっているわけですから。
中央に鈴木さん、右は山本雅史ホンダF1マネージングディレクター。13年ぶりの優勝を決めたオーストリアGPにて。
裏方であるべき広報の人を、無理やり表に引きずり出してお話を伺ったわけですが、とても有意義なインタビューとなりました。
「叩けよさらば開かれん」
鈴木さんと話していて、こんなイエス様のお言葉を思い出しました。
イベントの御礼とご報告
お久しぶりです。担当編集のYです。
10月2日、ホンダF1開発リーダーの方々をお迎えして開催しました「『折れないチーム』のつくり方」。200人満席のご参加をいただき、無事終了しました。ご協力いただいた山本雅史さん(ホンダF1 マネージングディレクター)、浅木泰昭さん(ホンダF1 HRD Sakuraセンター長/ホンダF1 PU開発責任者)、ご助力をいただいたホンダ広報、そして会場設営・運営の皆様に深く御礼申し上げます。
最初のセッションは山本雅史・ホンダF1 マネージングディレクターの講演。「録音はしないということなので……」と、アドリブ満載。
「レコーダーを止めたところから相手が本当に面白い話を始める」というのは、ジャンルを問わずインタビューの「あるある」です。刑事コロンボが「うちのカミさんがね……」とやりだすと、つい犯人が言わなくていいことをしゃべってしまう、緊張と緩和のなせる技。いつの間にか相手を雑談気分にさせてしまう、フェルさんの技術と似てますね。「だったら、最初からレコーダー回さなきゃいいじゃん」ということで今回は、弊社を含め、一切記録に残さないことを会場の皆様とお約束したうえで、山本さん、浅木さんに存分にお話していただきました。
こちらの設営のミス(最初の山本さんとフェルさんのセッションで、スクリーンに被らないように、と、お二人の席を離しすぎました)で、スタートこそ若干のカタさはあったものの、有能な会場スタッフの方が即座に対応してくださり、浅木さんの講演、そしてお三方のフリートークになってからはどんどん場が温まって、「言わなくてもいい本音」がわしわし出てきました。
浅木泰昭・ホンダF1 HRD Sakuraセンター長/ホンダF1PU開発責任者の「冷や飯」と「活躍」のジェットコースター的会社員人生に、会場全体が引き込まれています。
特に恐れ入ったのは会場の皆さんからの質問の鋭さ。質問の形をした自分のマニアックな知識自慢をしようなんて方は1人もおらず、会場全体の興味を「おお、そこ聞きたいね」と引きつけるグッドクエスチョンの連発でした。電気自動車への考え方、日本では市街地でのレース開催は不可能なのか、地上波でのF1放映の壁は……内心、スマホのレコーダーを回そうかと何度迷ったことか。
さわりを一つだけお話しましょう。編集Yは質問者へのマイク運びを買って出たのですが、客席の方からマイクを受け取ってふと振り返ると、前列に自分の息子くらい(大学2年です)の歳の若い男子が。思わず壇上に声をかけました。
「フェルさん、ずぬけて若い方がいらっしゃるんですが、最後にご質問をいただいてもいいですか?」
「お、確かにお若い。でもYさんの息子じゃないですよね?」
「そんなわけあるかい!」(思わず声が裏返る)
おいくつですか? とのフェルさんの問いに「1●歳です」。おおお、と、どよめく会場。周りの参加者の方のまなざしが温かい。
質問は「今年は(一昨年までホンダエンジンを積んでいた)マクラーレンが好調ですが」と、なかなか痛いところを突くもの。ホンダのお二人も、お二人らしく正面から答えてくださいました。詳細は来場された方だけの秘密ですけれど、山本さんは「1●歳ということで、あえてお話しますが」と、某現役F1ドライバーとの会話を切り口に、「トップチーム」と「それ以外のチーム」の大きな差異を語ってくださいました。これ、会場の皆様や質問した彼にとっても、貴重な財産になるのではないでしょうか。この男子さんともっと話したくて閉会後探したのですが、残念ながら見つけることができませんでした。
残さないからこそ心に残る。押しつけないからヒントをつかめる。こんな企画をまた開催する機会があることを心から祈っております。その節はぜひ、ご参加ください。
フェルさんに煽られてセミナーがファン決起集会に……というわけではなくて、「最初はグー!」のじゃんけん大会です。会社に内緒で来ている方もいらっしゃるかと思いますので、軽くぼかさせていただいてます。
※閉会後、とっぷり暮れた会場の外のベランダで夜景を眺める人々が……と思ったら、平日の午後を潰してくださった代償に、会社や取引先に連絡を入れまくる参加者の皆様でした。あああ、この日程しかできなかったんです、ごめんなさい!
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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