みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
今週も明るく楽しくヨタ話からまいりましょう。
3連休は沖縄で過ごしておりました。
満を持して、と言うべきでしょうか。すでに沖縄以外のすべての都道府県に出店していたコンビニのセブンイレブンが、ついに沖縄上陸を果たしました(沖縄県内の展開は「セブン‐イレブン・沖縄」が行う)。店名に合わせて、7月11日の友引にオープンとは気が利いています。“とりあえず”は14店と緩やかなスタートですが、今後5年で約250店舗の出店を目指すそうです。迎え撃つファミリーマートは現在325店舗を、またローソンも233店舗を出店済みでありまして、まさに沖縄コンビニ戦国時代の幕開けです。
市内のポストには割引クーポンの付いたチラシが大量投函され、店頭でも閉店間際のスーパーのように割引シールがペタペタ貼られ、消費者としては歓迎すべき事態となっております。
遅くまでにぎわっている沖縄のセブンイレブン。ライバル店の視察とおぼしき方々の姿が多数確認されました。それにしてもサントリーの黒烏龍茶を置いていないのはどうしてなのでしょう。
友人の後藤伸介くんがマーケティングを行っているFC琉球の試合を観戦してまいりました。
マーケティング担当の後藤伸介くん、この4月からFC琉球を運営する琉球フットボールクラブの代表取締役社長に就任された三上昴氏と。後藤くんはスノーボードの世界から、また三上氏は金融業界からサッカーの世界に転じた共に変わり種です。
意外、と言っては失礼ですが、沖縄のサッカーは大変な盛り上がりでして、チケットの売り上げも上々のご様子。観戦に行った当日は、残念ながら負けてしまいましたが、確実に上を狙える実力が備わったチームです。沖縄でサッカーの試合を見たのは初めてですが、海風が吹くタピック県総ひやごんスタジアム(タピスタ)のナイトゲームは涼しく快適なものでした。
サッカー観戦は楽しい。かわいい女の子と一緒だともっと楽しい
久しぶりにゴルフなんぞもしてみました。クラブを握るのは実に1年ぶりのこと。もともとヘボな上に首の骨が折れて2カ月ですから、うまくいくはずがありません。
ゴルフの帰りに、美らSUNビーチで開催されている「CORONA SUNSETS FESTIVAL 2019」に顔を出してきました。同級生で元大ワルの佐野裕くんがこのイベントを仕掛ているのです。
今年で5回目となるこのビーチフェスティバル。2日間でなんと延べ1万9000人もの来場者があるのだそうです。うーん、もう少し早い時間にくればよかった。右がこのフェスの仕掛け人である同級生の佐野裕くん
そうそう。大ワルといえば、那覇市内でこんな光景を目にしました。
パトカーが何台も集まり、警官がカチャカチャと物々しい音を響かせながら走っていく。
何事かと見てみると白昼の大捕物。夜の繁華街ではまれに物騒な光景を目にすることもあるのですが、白昼の住宅街でこの騒ぎとは……。薬物か何かでしょうか。
で、夜は飲めや歌えの大騒ぎ。遅くまで盛り上がりました。沖縄サイコー!
ということで、本編へとまいりましょう。
超大物の登場です。
レーサーから転身し、チーム運営に
今回お送りするのは、「レッドブル・ホンダ」、こと正式名称「アストンマーティン・レッドブル・レーシング」のチーム代表である、クリスチャン・ホーナー(Christian Horner)氏のインタビューである。
ホーナー氏は、1973年生まれの45歳。イングランドはウォリックシャー、ロイヤル・レミントン・スパーの出身である。
もともとはレーシングドライバーで、1994年から1996年にかけて、イギリスF3選手権に3つの異なるチームから参戦している。1997年に国際F3000に昇格し、チーム「アーデン・インターナショナル」を創設するも、「自分の実力ではトップレベルになれない」と早々に自覚して、25歳の若さで自らシートを降りてチーム運営に集中することとなった。アーデンは2004年にコンストラクターズタイトルを獲得するまでのチームに成長している。
転機となったのは2005年だ。新しくF1チームを結成したレッドブルが、ホーナー氏をチーム「レッドブル・レーシング」代表に抜擢したのである。同チームの以降の活躍はご存じの通り(F1選手権で2010~13年の4年連続、コンストラクターズとドライバーズチャンピオンを獲得。エンジンはルノー、ドライバーはセバスチャン・ベッテル)。
ちなみにホーナー氏は、2013年に大英帝国勲章4等勲爵士(OBE)を受勲している。この爵位は、デビッド・ベッカムや野田秀樹氏と同じものである。
(編集部注:このインタビューはレッドブル・ホンダが優勝したオーストリアGPの決勝前に行われたものです)
アストンマーティン・レッドブル・レーシング代表 クリスチャン・ホーナー氏。(写真:Getty Images / Red Bull Content Pool )
F:はじめまして。今日はよろしくお願いします。
ホーナー氏(以下H):こちらこそ、よろしくお願いします。
F:時間が限られているので、要点だけを簡潔に伺おうと思います。
H:分かりました。ところでこのインタビューは、どのようなメディアに載るのですか。
F:日経ビジネス電子版というメディアに載ります。日本では多くのビジネスパーソンに読まれているものです。NIKKEIをご存じでしょうか。
H:NIKKEI。分かります。経済に関する新聞ですね。
F:その通りです。ですから今回はレースの戦略や展開ではなく、「仕事」の観点から伺いたいと思います。
H:“仕事としてのレース”ですか。それは興味深い。
F:ホーナーさんはもともとレーサーで、25歳の若さでシートを降りてマネジメントに集中されるようになったと伺いました。どうしてそのような早い時期に見切りをつけたのでしょう。
H:もともとは良いスポンサーが見つけられず、そのために資金も少なかった。それで良いチームに行けないところから始まりました。良いチームに行けなければ、レースで勝つことはできません。それでは埒が明かないので、自分のチームをつくろうと決めました。チームのマネジメントをして、ファイナンスも付けて、自らドライバーもやって、トラックを洗ったりもしました(笑)。ええ、全部自分でやりました。「自分がドライバーをやる」それが目的で、そうする予定で、チームを始めたのです。
F:なるほど。ご自身がドライバーをやるために、自らチームを設立された。そもそもどうしてレーシングドライバーになろうと思ったのでしょう。
H:レーシングドライバーを志した理由ですか。スピードが大好きだからです。それとナイジェル・マンセルの存在が大きいです。イギリス人のとても優れたドライバーで、偉大なチャンピオンです。彼に憧れていました。彼のようになりたいと思いました。それでカートから始めて、そこで奨学金も取って、F3で走るようになりました。ステップアップして、F1のテストドライバーも経験しました。F3000という、今で言うF2みたいなところでも走りました。ここまでは多くのドライバーと同じプロセスです。
F:今までレース以外の仕事をしたことはないのですか?
H:ノー。他の仕事をしたことはありません。
F:興味もありませんか。
H:18歳で高校を卒業したときに、「レースを1年間だけやる」と決めていました。1年間の結果を見て、レーシングドライバーで食べていけるかどうか確かめてみようと。勝負してみようと決めたのです。1年間やって芽が出なかったら、自分には向いていないのだなと判断するつもりでした。そうしたらレースをやめて大学に進もうと。結果、しばらくはレースを続けられたので、私は大学を出てないんですよ。
F:レーサーになった初めの1年でもしうまくいかなかったら、大学に行って何か他の仕事をしていたかもしれない、ということですか。
H:その通りです。「レースではない何か」をしていたのかもしれません。
ホンダを選んだ理由とは
F:なるほど。そうしたらここ(レッドブル ホスピタリティ)でお話を伺うこともなかったかもしれませんね。ここで少しホンダのことを聞かせてください。今季レッドブルはルノーからホンダにパワーユニット(PU)を変更しました。PUを変えるというのはとても大きなことで、大変な判断だったと思うのですが、その理由を教えてください。どうしてホンダに変えたのですか?
H:ホンダに強いポテンシャルを感じたからです。私はホンダに技術の深さを感じています。そして情熱。ホンダはレースに対して強い情熱を持っています。それを感じられたから。
昨年のPU「Honda RA618H」。ホンダの貸し出し用のPUの写真はこれしかないそうな。せっかく勝ったんですから最新版の写真もご用意いただけるとありがたい。(写真:ホンダ)
F:技術の深さ、レースに対する情熱というものは、どのように測ったのですか。ホンダはF1の勝利から長いこと遠ざかっていましたが。その状況の中、どうやってホンダを評価したのでしょう。
H:レッドブルのジュニアチームであるトロロッソで1年やったので、そこで判断する準備ができました。まさに去年、このタイミングで発表して、やると決めました。
F:現状ではホンダに変えてから、まだ1度も優勝できていませんね。PUを変更して後悔はありませんか。
H:それでもすでに2つのポディウムを取っています(編注:表彰台に立っている、という意味。オーストラリア、スペインでの3位入賞を指す)。本当はこれが3つになるはずでした。モナコGPでペナルティーがありましたからね。それで順位を落とされてしまった。
F:モナコでペナルティー。ありましたね。
H:今のF1は、メルセデスだけが飛び抜けて強いという特殊な状況にあります。今季は開幕からフランスまで8戦すべて優勝。メルセデス以外で勝ったチームを見つけるには、昨年のメキシコグランプリにおけるレッドブルまで遡らないといけません。さらにフェラーリも手ごわい相手です。ただ、F1はロングタームで見なければいけません。私は「たった今」だけを見ているのではないのです。
会社としてのホンダをどう思いますか?
F:これは私の印象なのですが、F1は非常に特殊な世界で、ヨーロッパのもの、ヨーロッパ人のもの、というイメージがあります。日本のメーカーのPUを使うことによるデメリット……何か不利であるというふうに感じたことはありませんか。
H:ホンダのベースは日本にありますが、ホンダF1の拠点はレッドブル・レーシングと同じミルトンキーンズにあるんですよ。お互いに行き来するのに、クルマで10分とかからない場所にあるんです。だから不利と感じたことはありませんね。我々のコミュニケーションは非常にうまくいっています。そして何よりフィロソフィーが共通している。同じ目標、勝利という目標がありますから。しかももう2回ポディウムを獲得している。とてもうまくいっていると思います。
ホンダの欧州の拠点、英国ミルトンキーンズ。(写真:ホンダ)
F:レースとは関係なく、「ホンダ」という企業をどう思われますか? 会社としてのホンダをどう評価されますか。
H:強いパッションを持つ企業、そして非常に優れた製品を造る企業だと思います。自動車以外にも、いろいろなカテゴリーにわたって素晴らしい製品がたくさんある。何より、レースで非常に素晴らしい歴史を残してきています。アイルトン・セナが強かったのは、ホンダのおかげです。
F:ホーナーさんは個人的にホンダのクルマに乗っておられるのですか?
H:ははは。ノーです。今のところ(笑)。
(ここでホーナー氏の横にいた秘書嬢が思い切り顔をしかめる)
「ウチの代表にバカなこと聞くんじゃねーよ」と、横で嫌な顔をされていた美人秘書さん。
ミニバンと軽の会社、だからこそF1をやるべきだ
F:「ホンダはパッションの企業だ」とおっしゃいましたが、残念ながら日本では少し元気がないように思われています。「ホンダはミニバンと軽自動車の会社」というような言い方をする人もいます。それはご存じですか。
日本では「ホンダはミニバンと軽の会社」と言われて久しいが……。(写真:ホンダ)
H:はい。そう言われていることは知っています。だからこそホンダはF1をやるべきです。
F:おお!
H:F1こそが、ホンダの楽しさ、面白さ、素晴らしさを伝える最適の場で、最適の機会であると思います。ホンダは非常に良いモノを造っています。次のジェネレーションでは、必ず優れた製品が出てきます。それは時間の問題です。
F:お忙しい中、お時間をいただきありがとうございました。最後に一言。日本のビジネスパーソンにメッセージをお願いします。
H:不可能だと安易に判断するな。何事も可能である。やりたいと思えば何でもできるはずだ。こう伝えてください。
F:ありがとうございました。
H:こちらこそ、ありがとうございました。
わずか15分。短い時間でしたが、面白い話をたくさん聞くことができました。
それにしてもホンダのクルマに乗っておられないのは問題ですね。アストンマーティンにでも乗っておられるのでしょうか。ホンダは何か1台、プレゼントすればいいと思います。
レッドブルがサポートする日本人ライダー、ドライバー
こんにちは、AD高橋です。
レッドブルはF1以外でも多くのアスリートをサポートしているのはみなさんご存じの通り。今回は、モータースポーツを中心に、レッドブルがサポートする日本人アスリートを紹介しましょう。
中上貴晶選手
(Gold & Goose/Red Bull Content Pool)
2輪の最高峰であるMoto GPクラスに参戦する唯一の日本人である中上貴晶選手は1992年2月9日生まれの27歳。2005年の全日本ロードレース選手権GP125クラスにスポット参戦し、レースキャリアをスタート。この年のMFJルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞する活躍を見せました。そしてなんと翌年には全日本ロードレース選手権GP125クラスにフル参戦し、史上最年少で6戦6勝というとんでもない快挙を成し遂げます。
中上貴晶選手
(Gold & Goose/Red Bull Content Pool)
2012年からはMoto2クラスに参戦し、2013年は4戦連続2位入賞を果たし、シリーズランキング8位に。その後、2017年までMoto2クラスに出場し、2018年からMotoGPクラスに参戦しています。
真崎一輝選手
(Suguru Saito / Red Bull Content Pool)
ロードレース世界選手権Moto3クラスに参戦する真崎一輝選手は2000年8月22日生まれの18歳。2015年より全日本ロードレース選手権 J-GP3クラスに参戦。なんとデビューウィンを獲得します。2017年にはRedbull Rookies Cupでデビューチャンピオンとなり、同年からMoto3に参戦。今後の活躍が楽しみです!
佐々木歩夢選手
(Naim Chidiac/Red Bull Content Pool)
ロードレース世界選手権Moto3クラスに参戦する佐々木歩夢選手は2000年10月4日生まれの18歳。2015年、Redbull Rookies Cupでランキング3位に、翌年には同ランキング1位を獲得します。そして、2017年よりMoto3クラスに参戦、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しました。2019年はペトロナス・スプリンタ・レーシングからMoto3に参戦しています。
角田裕毅選手
(Dutch Photo Agency/Red Bull Content Pool)
FIA-F3選手権に参戦する角田裕毅選手は、2000年5月11日生まれの19歳。4歳でカートを始め、2006年には中井インターサーキットのキッズクラスでシリーズチャンピオンに。その後、全日本カート選手権で活躍。2017年にはFIA-F4選手権でシリーズ3位、2018年にはシリーズチャンピオンに輝きました。
(Dutch Photo Agency/Red Bull Content Pool)
そしてレッドブル・ジュニアチームとホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトにより、2019年からスタートした新カテゴリー、FIA-F3シリーズに参戦しています。7月14日にシルバーストンサーキット(イギリス)で行われた第4ラウンド、レース2では7位に入り2ポイントを獲得しています。
平川亮選手
(Suguru Saito / Red Bull Content Pool)
SUPER GT GT500クラスと全日本スーパーフォーミュラ選手権に参戦する平川亮選手は1994年3月7日生まれの25歳。2010年にスーパーFJに参戦しデビューウィン。16歳1カ月での優勝という史上最年少記録を打ち立てます。2012年には全日本F3選手権でデビューウィン。そして史上最年少でシリーズチャンピオンを獲得しました。
2019年のSUPER GT第4戦(タイ)では平川亮選手/ニック・キャシディ選手がドライブするKeePer TOM'S LC500が2位に!
レッドブルがサポートする日本人アスリートは他にもエアレース、BMX、スケートボード、スノーボード、パルクールなど多岐にわたります。おそらく本コーナーを読んでくださっている方の中にも、エクストリームスポーツの映像などを目にしたことがある方がいらっしゃるでしょう。その映像はまさに“翼をさずける”という感じで、時間を忘れて見入ってしまいます。モータースポーツをはじめ、レッドブルがサポートする日本人アスリートの活躍に期待します!
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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