みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
今週も明るく楽しくヨタ話からまいりましょう。
のっけからあまり明るくない話で恐縮なのですが、今シーズン最後の山形県は月山でのスキーで転倒して、重傷を負ってしまいました。正式な怪我の名称は「第七頚椎棘突起骨折」というもので、一般的にいうと「首の骨を折る大怪我」というヤツです。
シーズン最後にやってしまいました。矢印の部分がポッキリいっております。
一歩間違えば四肢麻痺が残る可能性もある危険な箇所。転倒した直後はアドレナリンも出ていますからそれほど強い痛みは感じられません。しかし背中と手足になんとも形容し難いイヤな痺れが走っている。直感的に「これはヤバい」と思いました。雪の上でしばらく横になり様子をみましたが、イヤな感じは抜けるどころかますます増していく。
転倒した場所は月山ペアリフト上駅からさらに上がったロープトゥーの横ですから、パトロールの救助を待つには条件が悪すぎます。文字通り這々の体で自力でリフト上駅まで下り、リフトに乗って下山、救急車で大きな病院に搬送されました。大勢のスタッフに囲まれ身ぐるみ剥がされてCTとMRIを撮ると、「ああ、頚椎がいってますね。脊髄損傷の疑いもある」と。
ガチガチに首を固定されて救急搬送。生まれて初めて患者として救急車に乗りました。思ったよりもガタガタ揺れるんですな。こういうことは怪我をしてみないと分かりません。
頚椎骨折……脊髄損傷……さすがに舌が震えました。すぐさま入院手続きが取られ、病室に運ばれる。そしてはいオシッコはこれで、と尿瓶が手渡される。小便くらい自力で行けますと言うと、「絶対安静です。ベッドも起こしていいのは50度まで」とにべもない。
そのまま入院となりました。イテテ。首が痛い……。尿瓶というものを初めて使いましたが、なかなか便利です。家でも使おうと思います。
ドクターは最低1週間の入院が必要と言う。月曜日はどうしても外せない仕事があるので、日曜のうちには帰京しなければなりません。しかし「仕事と命とどちらが大事なんですか?」と言われると返す言葉もない。
一夜明けて土曜日。退院するとゴネると偉い先生も出てきて30分ほど押し問答が続きました。最終的には(飛行機ではなく必ず新幹線を利用するという条件付きで)日曜日の強行退院と相成りました。
ソロソロと新幹線で東京に帰り、日曜は自宅でおとなしく静養。月曜日は三軒茶屋のいとう整形外科へ行きました。ここはかかりつけで、私の怪我履歴を親子で把握している伊藤先生がいる。
相変わらず黒いね君ぁ。とても怪我した人にゃ見えないよ。と伊藤先生。
この日はお父様先生に診ていただいたのですが、おっしゃることが救急搬送された病院と180度違う。あちらでは1週間の入院。その間は絶対安静。歩行禁止にパソコン禁止。運動はそう、2カ月後からゆっくりと、なんたってあなた重傷なんですよ重傷。頚椎の怪我を甘く見てはいけません。これから障害が出る可能性もあるんですから! とさんざん脅されたものですが、伊藤先生ときたら、筋力が落ちると良くないのでどんどん歩きなさい、背中に負担のかからない腿上げとか軽いスクワットはむしろ推奨。パソコンなんて君の商売道具でしょう。姿勢を良くして打つならOK、とOKOKの大盤振る舞い。「その大袈裟なカラーも外していいよ。暑いでしょう」と。
患者のメンタルはドクターの一言で大きく変わるものです。いとう整形外科を出た後は心がフワフワと軽くなり、痛みが5分の1くらいに軽減したものでした。「病は気から」と言いますが、「怪我も気から」であることを実感いたしました。
とまれ、「首の骨が折れる大怪我」を負ったことは厳然たる事実です。
しばらくは飲酒を控え、おとなしくしようと思います。
そうそう。最近Google Mapの精度が落ちていると思いませんか? ゼンリンとの契約が切れたとかで、クルマが通れないような細い道が出てきたり、同じところを何度もグルグル回らされたりひどいものです。タダのサービスに文句を言っても仕方がありませんから、これを機にフェル号のナビを新調いたしました。クルマのかかりつけ医であるmaniacs STADIUMの山下さんに相談したところ、「今ならストラーダですかねー」ということで、言われるままにパナソニックのストラーダを装着いたしました。
最近のナビはVICSなんぞは頼りにせず(山下さん曰く「あれは消えゆく技術」なのだそうです)、新世代のETCと連動してさまざまな情報を収集しているそうなのです。ナビなんぞ無料の地図アプリに押し切られて、近々絶滅するものかと思っていましたが、どうしてどうして。知らぬ間に着々と性能を上げ続けているようです。ナビの開発者の話も面白そう。パナさん、取材チャンスはありますでしょうか?
ストラーダに新調されたフェル号のナビとmaniacs STADIUMの山下さん。画面が非常に美しい。
ということでボチボチ本編へとまいりましょう。
F1モナコGP、ル・マン24時間、インディ500の世界3大レースに出場した唯一の日本人。中野信治さんインタビュー続編です。
単純にクルマを速く運転するだけでは速いレーサー、頂点に立つレーサーには決してなることができない。レーサーには運転だけでなく、もう一つの重要な「能力」が必要である。一方で、極端に足が遅い、サッカーボールすらマトモに蹴ることができない、いわゆる「運動神経の鈍い」人間が、レーサーとしては一流だったりもする。
日本人として5人目のF1のレギュラードライバーだった中野信治さんの口から、意外な言葉がポンポンと飛び出してくる。
意外と言えばもう一つ。中野さんはしきりに「レーサーがクルマをつくる」、と話す。
レーサーは運転することが仕事ではないのか。
クルマをつくるのはエンジニアやメカニックではなかったのか。
さらに詳しく伺ってみよう。
F:先程から中野さんは、「レーサーがクルマをつくる」と繰り返しおっしゃっています。これはどういうことでしょう。クルマをつくるのはエンジニアやメカニックの仕事ではないのですか?
中野信治さん(以下中):先程申し上げた通り、どんなに上手いレーサーでも、そのクルマの持つ性能以上に速く走ることは絶対にできません。なにをどう頑張っても、もともとのクルマの性能が100であれば、最高に上手く走っても100の速さでしか走れない。天才レーサーだからといって、100のクルマを110や120で走らせることは物理的に不可能なんです。
F:はい。そこまでは分かります。
どこが悪いか、どうしてか
中:そしてクルマには調整しなければいけない部分がたくさんあります。例えばいまフェルさんがこのクルマに乗るとする。何周か回ってきたら、ちょっとアンダーステアが出ると感じたとする。それはどのようなアンダーなのか。クルマがどんな状態の時に、どんな挙動を示すのか。自分はその時にどう感じたか。どう手を入れれば改善するか。そしてそれをいかに間違いなく正確にメカニックに伝えることができるか。そこが非常に重要です。
F:間違いなく正確に伝える能力。コミュニケーション能力ということですか。
中:エンジニアがつくってきたクルマの能力をいかに引き出すか。何百通りとあるセットアップの組み合わせを、いかに短い期間で自分に合った選択でつくり上げていけるか。そこは間違いなくコミュニケーション能力ですね。
F:レーサーに重要なのは運転技術だけでなく、コミュニケーション能力も必要である、と。
中:ええ。エンジニアの側からすると、アンダーステアを消すためにはいろいろな方法があるわけです。キャンバーを付ける。エアロバランスを変える。車高を変える。キャスターを変える……「アンダーステア」と一言で言っても、その種類はたくさんあり、またその対策もたくさんあるんです。
レーサーにはメカニック、エンジニアとのコミニュケーション能力が求められる。
F:ははぁ。アンダーステア一つとってもいろいろと種類がある。
中:はい。それがブレーキングでアンダーなのか、コーナーの真ん中からアンダーなのか、出口でアンダーなのか。それによってクルマのセッティングを変えていく場所も異なる。それをキチンと正確に伝えることができる言語能力。自分の感覚を具体的に言い表せる表現力、そうした能力が求められます。
F:海外で戦うにしても、ただ単に英語が堪能というだけじゃダメなんですね。
中:世界で戦うのを目指すのであれば、英語が喋れるのは最低条件です。ただ、英語がペラペラでも、日常会話や感覚的な言葉だけじゃだめですね、具体的に何がどうなっている、だからこうするべきだ、こうしてほしい、ということをエンジニアとメカニックに対して理路整然と話せないといけません。
F:それじゃ長嶋茂雄さんはF1レーサーにはなれませんね。「グッと引きつけてパッと打つ」とか、そんな感覚的な言葉ではエンジニアに伝わりませんもの(笑)。
中:長嶋さんに関しては僕は何も言えませんが……(苦笑)。一つ言えるのは、モータースポーツは数学の世界だということ、そして繰り返しますが「物」を使っているスポーツだ、ということです。ですからクルマのエンジニア、クルマのデザイナーはみんな数学の天才です。自分の思い描いたイメージを、すべて数字で表現できる人たちなんですよ。
F:クルマは数学の天才がつくっているんですか。
すべては数字で表せる
中:僕はそう思います。そうでなきゃクルマはつくれません。クルマのすべてを数字で表さなければいけない。そしてクルマのすべては数字で表すことができるんです。だからクルマはセンスだけでは決してつくることができません。センスプラス科学的、数学的な能力。デザイナーは美的なセンスに加えて科学的能力をも併せ持つ人間です。
現役のレーサーとして、いまも鍛え続けている中野さん。F1の頃に走り込みすぎて、膝を壊してしまったこともあるそうだ。
F:はー。そういうものですか。デザイナーはセンスが勝負なのかと思っていました。
中:ムリです。センスだけでは通用しない。
F:ムリですか。例えばその類稀なるセンスを、科学的、数学的に翻訳してくれるような優秀な助手がいたりしたら何とかなりませんか。
中:ムリですね。自分のイメージを数値化するのは、自分の頭の中でできないといけません。科学的・数学的翻訳者を使って実際にクルマをつくってみれば分かります。走らせてみると全然イメージと違う……となってしまう。そしてその修正には膨大な時間がかかる。そういうことも短時間で処理できることも含めての“センス”です。
F:よく分かりました。それでは、レーサー、エンジニア、デザイナーも含めて、レースの中で成長していくために一番大事なことはなんでしょう。
中:過去にいろいろ失敗もしてきて、反省もしてきて、その中からこれはプラスになるかもしれない、こちらはネガティブに出るな……そんなことを積み重ねながら、いかにミスを減らしていくか。ここが勝負なんですよね。
F:ミスを減らす。なるほど。
中:仮説を立て、検証する。それを繰り返していいものをつくり上げていく。どんな仕事でも一緒だと思うのですが、レースはそれが極めて短期間で回っている。答えもすぐに、しかも勝ち負けという形で思い切りシンプルに出る。1人では決してできません。質の高い組織力が求められます。
F:なるほど。するとレースの現場は、超高速回転している社会の縮図と言うこともできますね。
で、ここでちょっと話を一般の公道に移します。我々のような一般人が運転が上手くなるには、どうしたらいいのですか。F1ドライバーからのアドバイスをいただきたいです。
中:運転が上手くなる方法、ですか?
F:なにかコツというかですね。
中:ああ、それなら「無理をしないこと」ですね。目線を遠くに置いて、先を見て運転すること。心の余裕を持って運転していると、いろいろなものが見えてくるし、冷静になって運転していると、冷静にものが見えて、運転って上手くなるものなんですよ。
F:冷静に、ですか。もうちょっとこう、レースで速く走るコツみたいなものは……。
中:いや、レースでも同じことです。いかに冷静さを保ちながら運転できるかというのがとても重要です。冷静さがなくなって、ただ単に上手になろうとか速く走ろうと思ってガリガリやっていると、いろいろなものが見えなくなる。クルマは傷むし、自分は疲れて消耗するし、結果として遅くなる。
F:あー。自分のことを言われているようです……。
中:ガリガリやるとミスを犯す。ミスを犯せば、ムリにそれを補おうとしてまたミスが増える。そういうものなので。だから冷静に無理して走らない運転をすることが、結果として上手くなるための一番の近道なんですよ。丁寧にペダルに足を乗せて、丁寧にブレーキを踏んで、丁寧にハンドルを切ってというのが一番上手な運転です。クルマのポテンシャルを一番引き出すのがその丁寧さです。僕は常にこの丁寧さを意識しています。普段の運転からそうです。
僕が見ていたら速くなりますよ、でも……。
F:例えば素のままの私が隣に中野さんを乗せて筑波を何周かして、中野さんからワンポイントアドバイスをいただいたら、それだけで劇的に速くなったりするものでしょうか。
中:今のレベルにもよりますが、なるでしょうね。数秒くらいなら簡単にタイムを削れます。
F:速くなりますか!
中:はい。僕が見て教えたら、簡単に速くなります。
F:やった!(ホンダ広報)松本さん。これやりましょうよ。題して「直線番長フェル。中野信治に弟子入りす」。
広報松本:やりますか。タイプRかな。いや、危ないからN-ONEの方がいいか。
中:いや……でもフェルさんの隣に乗るのはイヤだな。同乗は誰か他の者を代理で出しますから(笑)。
F:そんなぁ。せっかくだから中野さんが直接教えてくださいよ。
中:いや、ポイントは僕が教えますよ。でも隣には乗りたくない……。
これがF1レーサーの危険回避能力というものなのでしょうか……。
首の骨が折れたので、中野道場の実現は少し先になりそうですが、いつの日か記事にしたいと思います。
2週にわたってお届けした超一流レーサーの生の声。お楽しみいただけましたでしょうか。
次号ではSRSの卒業生でもあり、中野さんの弟子筋でもある若き日本人F3レーサーの話をお届けします。
弱冠18歳! 虎視眈々とF1のシートを狙う青年は、何を考え何に悩むのか。
「最近の若い者は……」なんて言葉を思わず飲み込む若獅子の奮闘をとくとご覧あれ。
ニキ・ラウダ氏、ボーイングと闘う
大変ご無沙汰しております。本連載担当編集のYです。
今週はAD高橋さんからSOSが出まして、急遽穴埋めに登板させていただきます。
近況報告いたしますと、最近「シニア・エディター」なる肩書を拝受しました。やっている仕事は副編集長時代と変わらないのですが、和訳すれば“年寄編集者”。「貴様もそろそろトシを考えろ」ということなのでしょう。こんな物好き編集者に自覚を促していただいて、ありがたいことです。
物好きといえばこの「走りながら考える」でのマツダ地獄(=フェルさんがインタビュイーの話に反応しすぎて、いつまでも連載が終わらない)がきっかけとなった本、『マツダ 心を燃やす逆転の経営』も、マツダを応援する(物好きな)方々のおかげで、社内の面々もびっくりの重版となりました。心より御礼申し上げます。本に入りきらなかったネタをご披露する「『モノ造り革新』のリアル」連載も、掲載3回目の時点でフォローしてくださる方が300人を超えました。
本も連載も「走りながら考える」のコア読者の方々の心にぶっ刺され! と、気合を込めて書いております。定年に向けて、今後もますますニッチで偏った熱い人々のお話をテーマに突き進む所存です。こちらなどで、筆者名のところをポチっていただきますと、私の執筆コラムが「フォロー」できますので、物好きな方はどうぞよろしくお願いいたします。
さて、フェルさんばりの前ヨタはこのくらいにしまして、このところフェルさんが海外取材に繰り返し出かけて(なんとうらやましい)記事を書いてくださっている、F1のお話にまいりましょう。
私は中学生のころに、教室で「auto sport」を読んでいたカマタ君によってこの世界を知り、以来、興味が離れた時期もありましたが、ずっと追いかけてきました。今じゃこの雑誌は息子が愛読中。小学校時代は鉄ちゃん一直線だった彼を、PS3のレースゲームを餌にモータースポーツの世界に引き込んだのも懐かしい思い出です。もう大学生ですからね。私がシニア・エディターになるわけですよ、ええ。
さて、私が中学生時代に現役、というか、世界チャンピオンになった(1975年、77年、84年)伝説のドライバー、ニキ・ラウダ氏が5月20日、70歳でこの世を去りました。
76年の事故で負った火傷のあとも隠さず、ベテランらしい戦いぶりを見せる彼の姿(といっても当時は、雑誌の写真でしか見られなかったのですが)は、中坊の自分にも強く印象に残っています。そして最近はメルセデスF1のアドバイザーとして度々中継画面にも登場。「そういえばバルセロナでは見なかったな」と思っていたところでの訃報でした。
今回、後ヨタでしゃしゃり出てきたのは、このラウダ氏の意外な側面を知ったからです。彼が「ラウダ航空」という、大型旅客機を飛ばすエアラインを経営していたこと(もともと資産家のご子息)は、ご存じの方も多いと思います。そして彼は、自社の旅客機が91年に起こした墜落事故で、ボーイングとアメリカ連邦航空局(FAA)が行った説明に納得せず、断固として闘ったのでした。
実業家としてのニキ・ラウダ氏(写真:ロイター/アフロ)
これを知ったのは愛読している作家・大石英司さんのメルマガです。
以下、大石さんにご許可いただいて転載します(オリジナル記事はこちらの5月22日を)。
世間は、F1王者としての彼を偲ぶのだろうけれど、私が思い出すのは、1991年に起こったラウダ航空004便墜落事故です。彼は実業家でもあり、B737のライセンスも持つラウダ航空のオーナーでもありました。
バンコクで、B767型機が離陸して上昇中に、左エンジンのスラスト・リバーサーが作動するという悪夢に見舞われ、急激な推力の左右アンバランスに陥り、機体を捻りながら墜落、乗客乗員223人全員が亡くなった大事故でした。
(中略)
ニキ・ラウダは、ボーイングの言い分に納得せず、ボーイングの嫌がらせと闘いながら真相究明に乗り出す。ボーイングは、パイロットはそれをリカバリーできると言い張るものだから、彼は自分でシミュレーション操縦に挑む。所が、何度やっても墜落する。
最終的に、ボーイングは、その高度と推力で飛行中にスラスト・リバーサーが作動したら、25%もの推力低下が発生し、パイロットによるリカバリーはほぼ不可能であることを認めて、スラスト・リバーサー回りの安全装置はより高度なものに進化し、FAAの型式証明も、全て更新反映されることになった。
私たちが今、安全に空の旅を楽しめるのは、この時、ニキ・ラウダが執念を燃やしてボーイングや糞ったれなFAAと戦ってくれたからです。有り難う! ニキ・ラウダ。ご冥福をお祈りします。
該当の事故に関しては、日本語版のWikipedia で詳しく読めます。ナショジオ・メーデーでは、第12シーズンのドキュメントとして、ニキ・ラウダ本人がインタビューに応じて放映されました。
物事を突き詰めてやまず、相手が米国の超大企業、政府機関であろうが一歩も引かない生き方、いかにも彼らしい……ような気がします。
お会いしたことがあるわけじゃないので彼の人となりの本当のところは分かりませんが、それでもこの逸話に妙に納得してしまうのは、5年前に見た、名匠、ロン・ハワード監督が、ニキ・ラウダ氏と、早世した天才ドライバー、ジェームス・ハント氏の人生を描いた『ラッシュ/プライドと友情』のおかげかもしれません。理論派で愛妻家のラウダ氏と、天才型で恋多きハント氏との人生観の対比が面白く、そして、2人の人生が激突する76年の雨の富士のレースシーンがすごい。再現度もものすごい。
当欄愛読の方ならすでにご存じかもしれませんが、最近は配信でも見られますし、未見でしたら損はしないからぜひ、の、傑作映画だと思います。
公開当時に一緒に見た息子から、ラウダ氏の訃報が流れた日にこんなメッセージが来ました。
親バカですが、こういうことがあるとちょっとだけ、「トシを取るのも悪くないかな」と思いますね(笑)。
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?