みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
今週も明るく楽しくヨタ話からまいりましょう。
居酒屋チェーンやぶ屋を経営するトライアスロン仲間の横瀬武夫くんが、新しい居酒屋をオープンしたので遊びに行ってきました。
トライアスロン仲間の横瀬武夫くんと。彼とは先月のテキサスでも一緒に走りました。例によって私が嵐を呼んでしまい、大会は途中で中止となり、彼には本当に申しわけないことをしてしまいました。
やぶ屋がすごいのは、働くママを応援するために従業員向けの無料託児所を設置しているところです。女性雇用促進で徐々に環境は整備されてきましたが、正直な話まだまだヌケが多い。託児施設の選に漏れて「働きたくても働けない」ママがたくさん存在するのです。それならウチがやっちゃいましょう、と。大企業ならいざしらず、従業員200人規模の会社が独自で有資格者が運営する託児所を持つのは本当に大変なことだと思います。
週末はF1スペイングランプリを観戦しに、バルセロナまで行ってまいりました。
オーストラリアに続きスペインでもレッドブル・ホンダが3位入賞。私が応援に来ると100%の確率でホンダが表彰台に上れます。(写真:ホンダ)
結果はご存じの通り、「オランダのフェルちゃん」こと、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが堂々の3位入賞。ピエール・ガスリーも粘りに粘って6位に食い込み、同じパワーユニット(PU)を積むトロロッソ・ホンダのダニール・クビアトは9位に入賞。10位の入賞圏内を走っていたアレクサンダー・アルボンは、クビアトとのダブルピットストップに失敗して大きくタイムロス。ここで11位に順位を落としてそのままチェッカーとなってしまいました。ホンダ勢全車入賞という夢の実現は次回へと持ち越されました。
レッドブルが3位6位という順位は、奇しくもルノーのPUを積んでいた2018年のスペインGPとほぼ同じ結果(3位と5位)でありまして、欲を言えばルノーとホンダの実力差を見せつけるために「もう一歩上」の結果が欲しいところではあります。
バージョン2のエンジンを積んで、準備万端のレッドブル・ホンダ。
それにしてもメルセデスは強い。圧倒的に強い。開幕から5戦連続で1、2フィニッシュを決めてしまいました。レッドブル・ホンダもフェラーリも、今季はまだ一度も2位にすら入れていないのです。今後の活躍に期待しましょう。
今回のF1観戦では、レッドブルのチームホスピタリティにお招きいただき、ランチをご馳走になりました。木造3階建ての巨大な建物がピット裏にデンとそびえ立っています。モーターホームとかそういうレベルの話ではありません。1日で組み上げてしまうプレハブではありますが、それはそれは立派で快適な建物です。フェラーリもメルセデスも立派でしたが、レッドブルの立派さは群を抜いています。ヨーロッパラウンドは、この施設をトレーラーで運んで全て同じクオリティのサービスを提供するそうです。
こちらがピット裏のホスピタリティ村。朝イチはガラガラですが、昼すぎからセレブ関係者がゾロゾロ歩いています。
これがレッドブルのホスピタリティの2階部分。プレハブとは思えない豪華さです。
チームのメンバーはこの建物の1階で食事を取り、ゲストは上の階へ招かれます。前菜からデザートまでフルサービスで供され、所望すればワインでもウィスキーでも何でも出てきます。もちろんレッドブルも(笑)。
レッドブルのお姉さま方。ぼくはもうこれから毎日レッドブルを飲みますよマジで!
日本では現在4種類のレッドブルが売られていますが、こちらではその倍以上、9種類が用意されています。トロピカル味はビミョーでしたが、ライム味とジンジャー味はおいしかったな。
当然レッドブルは飲み放題です。そんなにたくさん飲めるもんじゃありませんが。
さてさて、ヨタは大概にして本編へとまいりましょう。
今回は現地で元F1ドライバーの中野信治さんにお話を伺う機会がありましたので、「モータースポーツは果たしてスポーツなのか」という禅問答のような話をお聞きしてきました。
日本人5人目のF1レギュラードライバー、中野信治さん
中野信治さんは、日本人で5人目のF1レギュラードライバー(スポット参戦ではなく、通年で参戦する)である。
その後ホンダの依頼でアメリカのレースであるCART(Championship Auto Racing Teams)シリーズへも参戦し、ル・マンにも参戦経験がある。日本人で初めて世界3大レース(F1モナコGP、インディ500、ル・マン24時間レース)に出場した超実力派だ。
現在はTEAM MUGENの監督と鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)の副校長を兼任し、多忙な日々を過ごしておられる。
レーサーというと何となく荒々しいイメージがあるのだが、中野さんは非常に丁寧で、言葉を選びながらゆっくりと話す。物腰は限りなく柔らかでとても優しい。そしてモデルのようにイケメンである。厳しく自己を律しているのだろう、身体は格闘家のように引き締まっている(3回夕食をご一緒したのだが、中野さんは一滴も酒を飲まなかった。その分私がタップリいただいた)。
今回お話を伺った中野信治さん。レッドブルホスピタリティの3階テラスにて。
F:中野さんはSRSで副校長をやっておられるのですね。まずはそのスクールについて教えてください。
中野信治さん(以下中):日本は2輪でも4輪でも、世界のモータースポーツシーンで活躍する高性能マシンの研究開発を行っているモータースポーツ先進国です。では翻ってドライバーはどうか。世界に通用する人材が育っているか。
SRSは、運転技術だけでなく、精神的にも人間的にも世界のトップクラスとして通用するライダー、ドライバーの育成を目的として1992年に「鈴鹿サーキットレーシングスクールジュニア(SRS-J)」として開校したのが始まりです。翌93年には次世代ドライバー育成機関「鈴鹿サーキットレーシングスクールカート(SRS-Kart)」が、そして95年にはフォーミュラ・ドライバーの育成を目的とした「鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ(SRS-Formula)」が開校しました。
F:92年から! すると既に四半世紀の歴史があるということですか。
中:そうなりますね。私自身もそこで講師を20年ほどやらせていただきました。
そして、ここで今までとは少し切り口を変えて、よりインターナショナルな世界で通用する人材育成に特化しようということで、佐藤琢磨と一緒にやることになりました。
F:「楽しくレーシングドライブを習いましょう」というのではなく、もっとガチの、いわばエリート養成機関というニュアンスでしょうか。
予選後コースが開放され、自由に走ることができる。これは貴重な体験だ。
モータースポーツは“スポーツ”か否か
中:エリート養成機関という表現が適切かどうかは分かりません。ですが、ドライビングスキルだけでなく、世界で戦うためには、早いうちから知っておいたほうがいいことがたくさんあります。モータースポーツは自分1人の力では決してやり遂げることができません。そうであれば、今、どういうふうに立ち回るべきか、人との付き合いをどうしていくべきか。そういうところまでを含めて。
F:ずいぶん親切ですね。運転だけでなく、人との付き合い方までスクールで教えてくれるのですか。
中:ここは大事なところだから気をつけて書いてください。あくまでも人間として、社会人としての基本的な部分を教えるという意味です。「こういう時にはこのように話しましょう」とか、そんな細かいことを教えるわけではありません。細々したことを全部詰め込むと、本当に小さな人間になってしまうので。ただ「俺が俺が」と主張するのではなく、基本ができた上での自己主張。そういうことができる人間になってほしいな、という思いがあります。
F:希望すれば誰でも入れるのですか?
中:カートのほうで言うと、一期で15名しか入れません。アプライしてくださる方はその何倍もおられますが、それまでのキャリアも重要ですし、面接で人間性も見させてもらいます。それなりにお金もかかることですし、誰でも簡単に、というわけにはいきません。
F1ドライバーにジョギングしながらコース攻略法を教えていただくという幸せ。
F:なるほど。ここで「モータースポーツ」に関して伺います。モータースポーツという言い方はするけれども、素人から見ると、別に走るわけでもないし息が切れるわけでもない。ずっと座って運転しているわけで、「スポーツ」とはまたちょっと違うような気がしているんです。失礼なことを申し上げますが。
中:いえいえ。確かに見えにくいですよね。そもそもレースのどこがスポーツなのよ、というのはよく言われます。ですが、例えば体力的な面で言うと、F1なら走行中に心拍数は軽く180ぐらいまで上がっています。
F:ひゃ、180! そんなに……。
中:はい。マックスだと190ぐらいまで上がる人もいます。誰でもレース中はずっと、最低160ぐらいは上がりっぱなしです。今日フェルさんに見てもらったレースは2時間以上走っていましたよね。フルマラソンじゃないけれど、結構なところまで心拍は上がっているんです。だから当然息も切れる。
F:そんな。フルマラソンで180を維持して走っている人などいません。トップランナーでも、だいたい150くらいで走っていると思います。
ピットインで休憩……なんて無理!
ドライバーだけでなく、ピットクルーもレース前に入念な準備運動。これもモータースポーツがスポーツであるという証左。
中:それぐらい心拍を上げた状況で2時間。時速350kmとか370kmのスピードで走りながら、100分の1秒を削り取るために走っているんです。無線で交信して、タイヤの状況、クルマの状況、他のクルマの状況も感じながらやっているわけです。それこそ呼吸なんて、ハアハアするどころか、本当に止まってしまう。
何で心拍数が上がるかというと、コーナリングで強力なGが掛かるからなんですね。すごく大きな横Gが掛かる。意識はしていないんですが、みんなコーナリングでは息を止めています。4Gとか5Gとかの大変な力が掛かっていますから。
F:うぅ……少なくともマラソンは好きな時に息ができますからね。
中:コーナーを立ち上がって、加速して、ある程度で直進状態になったところでようやく呼吸ができる……と思ったところで、また次のコーナーがやってくる。だからフィジカルなトレーニングはとても重要です。
F:なるほど。これはまごうことなきスポーツですね。しかも大変にハードなスポーツです。
中:その上ハーフタイムがない。
レッドブル・ホンダのキャリアカー。よく見るとルノートラックやおまへんか(※)。まあホンダはトラック造ってないからなぁ……。(※ルノーから売却され、企業としてはボルボ傘下です)
F:それこそ一息つくヒマもない。ピットインのときくらいですか。ヤレヤレとできるのは。
中:今日ピット作業を見たでしょう。2秒もかかっていない。とてもヤレヤレなんてできません。しかもほんの些細なミスで大事故につながる可能性もある。クルマが壊れたら、1回で何百万円、何千万円もかかるわけだし。
F:恐ろしい。カネも命も惜しいです。
中:ドライバーはそういう本当のギリギリのところで、限界を探りながら走っているんです。でも守り過ぎると、それだけ遅くなってしまう。例えばほんの1m、ブレーキポイントを遅らせただけで、破綻につながることもある。手前でブレーキングを始めれば安全なんですが、その分はコンマ1秒の遅れになって返ってくる。10カ所のコーナーで守りの走りをしたら、それが積み重なって1秒の遅れになるわけです。
F:レースはコツコツと細かいことの積み重ねなんですね。
中:その通りです。本当に細かいことの積み重ねです。その細かいことの一つひとつを少しでも詰めていくために、クルマを良くしていったり、体力をつけたり、180ぐらいまで心拍数が上がった中で冷静な状況をいかに保てるかというトレーニングを積んだり……。体力的な部分だけではなく、メンタル面も鍛えなければいけません。交感神経ばかりがグングン上がって、いわゆる「慌てた状態」だと冷静な判断ができません。だからフィジカル面だけではなく、メンタル面のトレーニングも非常に重要です。
F:メンタル面のトレーニング、ですか。
ホンダの山本雅史F1マネージングディレクターと、レッドブル・レーシングのクリスチャン・ホーナー代表。
中:どのスポーツでも一緒だと思うのですが、慌ててしまうような状況であればあるほど、冷静にならなければいけません。いかにして醒めた精神状態を維持するか。慌てない状況をつくりあげられるか。これが難しい。ヘルメットを被っていると、死にそうな顔をしていても外からは分からないですし、なかなかイメージしにくいのですが、そういった一面から見ても、やっぱりモータースポーツは「スポーツ」といえるのではないかと思います。
F:なるほどおっしゃる通りです。大変ご無礼を申し上げました。
ですがスポーツということになると、「生まれつき問題」が出てきますよね。例えば短距離走にしても、足が遅い人はどんなに頑張っても、トレーニングした元から速い人にはかないません。こう言ってしまうと本当に身も蓋もないのですが、誠に残酷なことにスポーツは才能に大きく左右されると思います。翻ってモータースポーツはどうでしょう。やはり生まれつき、元から速く運転できる人、というのはいるものなのですか。
「速く走る」能力はまだまだ解明できていない
中:単純にクルマで「速く走る」ということだけを取り上げれば、生まれつき速い人は確実に存在します。ですが、「速いとは何か」ということがいまだに解明されていないのがモータースポーツの現実です。なんと言いますか、科学的に解明するにはまだまだ時間が必要な分野なんですね。
F:そういうものですか。
中:ええ。ただ、モータースポーツの面白いところは、運動神経があまり良くない人でも、結構速くて活躍している人もたくさんいるということです。結構いるんですよ。足が異様に遅いとか、サッカーボールをマトモに蹴ることができないとか……。おいおいお前大丈夫かよ、というような人が、レースに出るとものすごく速かったりして(笑)。日本の誰かと名前は出せないですが、実はそういう人も少なくないんです。
F:へぇ! それは意外です。そういう方はどうして速いのでしょう。地道な努力の積み重ねということでしょうか。
中:モータースポーツは道具を使うスポーツだからです。この競技は、クルマという道具をどう使いこなせるか、どうつくりあげていけるかを競うスポーツなんですね。用意ドンという単純なスポーツではなく、インテリジェンスを競うスポーツです。ただ運転がウマい、ヘタというだけではまったくダメで、どんなに上手でも遅いクルマに乗ったらやっぱり速くは走れないんです。これはもう、どうしようもない事実なんですよ。
F:いくらウマくても。遅いクルマに乗ったらどうにもならないと。
中:ダメですね。どうにもなりません。
F:いくらフェルスタッペンでも、私がNSXで彼がN-BOXだと勝負になりませんものね。
中:そうですね。いくらマックスでも、それはかわいそうです。ハンデを付け過ぎです(笑)。どんなプロフェッショナルでも、クルマの実力以上に走ることはできません。クルマの限界の90%しか引き出せない人。100%まで引き出せる人の差はとても大きい。それこそが一流と超一流の差になっているのですが、その土台の部分であるクルマの性能をどのようにして築き上げるかで、その人のもともと持っているドライビングのセンスも生きてくるというわけです。
場内移動用にとチームに寄贈されたレッドブルカラーのホンダ製スクーター。
中野さんはしきりに「ドライバーがクルマをつくる」とおっしゃるのだが、はて、クルマをつくるのはエンジニアの仕事、メカニックの仕事ではないのだろうか。
次号はその辺りから伺いましょう。お楽しみに!
こんにちは、AD高橋です。
今回はGLCクーペのインポーターインタビューの予定を変更し、レッドブル・ホンダ3位入賞の現場からフェルさんに緊急リポートをお願いしました。
F1スペインGPでインタビューを受けていただいた中野信治さん。現在はTEAM MUGENの監督としてSUPER GTのGT500クラスとSUPER FORMULAに参戦しています。
SUPER GT開幕戦(岡山)は悪天候のためクラッシュが相次ぎ2度の赤旗中段、82周のレースが31周で打ち切られる荒れた展開になりました。そんな中、予選で昨年のコースレコードより速いタイムを出したTEAM MUGENのMOTUL MUGEN NSX-GTはフリー走行でもトップタイム、そして決勝ではクラス7位に。
令和初となるSUPER GT第2戦(富士)は予選4位に。決勝は一時3位につけるも、目まぐるしく変わる天気に翻弄されてクラス11位でのフィニッシュとなりました。
SUPER FORMULA開幕戦(鈴鹿)では10番グリッドからスタートした野尻智紀選手(16号車)が、セーフティカーが4回も入る荒れた展開を切り抜け、4位入賞。
中野監督は「予選順位は満足する結果ではないことはみんなが認識し、決勝に向けて作戦からセットアップまできちんと整理できたと思います。混乱したレースをドライバーとチームスタッフが持っている力を発揮し、ポジションを上位に上げることができました。よくやったと思います」とコメントしています。
本編でもフェルさんが紹介されていた通り、中野信治さんは国内トップレースの監督を務めるほか、今年から鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)のVice Principal(副校長)に就任。インディカーに参戦中の佐藤琢磨選手とともに自身の経験を惜しみなく注ぎ、世界に通用する選手を育成しています。
さらに中野さんはドライバーとしてSuper Taikyuに参戦。Modulo Racing with DOMEからST-TCRにシビックで挑み、開幕戦(鈴鹿)は4位でレースを終えています。
選手、監督、育成者、F1解説など多忙な日々を過ごす中野信治さん。我々世代はやはりF1ドライバーとしての中野選手を思い出すのではないでしょうか。
1997~1999年にF1参戦。中野選手にとってこの3年間は決して恵まれた環境とは言えなかったはず。それでも97年はハンガリーGPとカナダGPで6位入賞。98年はモナコGPで日本人ドライバー過去最高位となる9位に。また、6戦連続で完走を果たし、シリーズ連続完走記録を樹立しました。2000年からはCARTに転向。02年には日本人最高位となる4位入賞を果たしました。
中野選手は現在48歳。日本のモータースポーツを盛り上げるための精力的な活動から目が離せません。
(次回に続きます)
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この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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