フェースシールドを3Dプリンターで即製

 治安管理に当たる警察官など、公共の場で活動せざるを得ない人々を守る装備の生産では、3Dプリンターが活躍している。ものづくりに特化したコワーキングスペースをムンバイで手掛けているMaker's Asylum(メイカーズ・アサイラム)は、3月下旬から3Dプリンターを活用したフェースシールドの製造に乗り出した。ムンバイを中心に100万個のシールドを作るという目標を掲げ、生産を順調に拡大してきた。インド各地でパートナーと連携した結果、既に100万個という目標は達成しており、各所に届けているという。

 メイカーズ・アサイラムの取り組みで注目すべき点は2つある。1つは3Dプリンターの活用。もう1つはこれを利用した生産の分散化だ。 

 物流が寸断され、多くのものを大規模に生産する能力が足りなくなり、さらに生産に必要な金型を一から設計製造する時間もない、そんな今回のような厳しい状況では、世界的に3Dプリンターが活躍している。イタリアなどでも人工呼吸器に必要な弁の不足を、3Dプリンターで生産することで補おうとする取り組みがあるという。

 封鎖下のインドでは必需品ですら配送が難しい状況があった。物流が寸断されているため、州を越えて製品を届けることが容易ではなかった。そこで3Dプリンターを利用した生産モデルが威力を発揮した。各都市やエリアで個別に生産し、供給するモデルが実現するからだ。このモデルであれば、困っている人たちに必要なものを迅速に届けることができる。日本でも大阪大学のチームがこうした取り組みに着手している。

 筆者も実際に3Dプリンターを活用するプロジェクトに複数携わった。世界のどこかで生まれた知恵を、データという形で各地に提供し、これを元に需要が発生している場所で生産するというモデルは、今後も様々な分野で広がっていくのではないかと思う。もちろん課題もある。製造チームがあちこちに分散することで品質管理が困難になるというのは代表的な課題の1つだろう。オープンな取り組みになることが多いため、コミュニティーづくりやリーダーシップの在り方も重要になる。

アーユルヴェーダから人工知能活用の身体モニタリングまで

 新型コロナ対応で課題になったのはフェースシールドだけではない。人工呼吸器の不足も深刻な問題だ。インドでは5月末までに10万台規模が必要になるという試算がある。足元では2万台を超える規模の準備があるといわれており、「(インドには)月産3000台の生産能力もあるから大丈夫」と話す政府高官もいる。ただ、そんな数ではとても足りない。

 そこでインド政府は大規模調達に乗り出した。日系企業ではマルチ・スズキがインドの人工呼吸器メーカーの生産支援を実施するというニュースも出ている。ただ生産を短時間で拡大させるのは容易ではない。複数の部品を海外からの調達に頼っているが、その物流が寸断されているため、調達が思うように進まない恐れがある。さらに海外でも完成品、部品に対する需要が高まっており、在庫は逼迫しているものとみられる。

 そこで政府は要求する性能や品質の水準を下げることで、新規メーカーによる市場参入を促そうとしている。足元では、従来の4分の1以下に価格を抑えた人工呼吸器の開発が進んでいるという。さらに、1台の人工呼吸器を2人で使えるような装置を3Dプリンターで開発しようとするスタートアップも登場した。

 インドで進む数々のプロジェクトに共通するのは「Better than Nothing(無いよりはまし)」という考え方だ。さらに極端な話ではあるが、多少の犠牲が出たとしても、それ以上の人たちを救うことができる可能性があるなら積極的にチャレンジすべきだというマインドがある。

 求める品質の水準を落とすことや、今まで活用されたことのない製品を短時間のテストで市場に投入することについては議論の余地があるかもしれない。その考え方は、極限まで、それこそ100%に近い信頼性を求める日本企業の発想からすると異様に感じるだろう。だが、インドのこのやり方もまた正義なのだ。日本企業は100%に近い性能を求めたがために、市場で負け続けてきた側面もある。

 やりながら、走りながら、よりベターなものを目指し、その場で改善を続けていく。それがインドにおけるプロジェクトの大きな特徴だ。これまで見てきたように、その考え方は危機の中でこそ生きるのかもしれない。

 医療危機を乗り越えようとする試みは枚挙に暇(いとま)がない。身体の状況を自動でモニタリングしようとする取り組みもある。医者の数が限られているという課題に対応した動きだ。体温や心拍数、酸素飽和度などを測定し、それらのデータをモバイルアプリに送信する。これを人工知能が監視し、異変を察知して警告する。これにより医者の負担を抑えられるのではないかとみられている。

 インド政府は、自国が誇る頭脳ともいえるインド工科大学(IIT、20を超えるIITが国内にある)に対し、パンデミックと戦うためのアイデアを考え、製品・サービスの開発に取り組むよう呼び掛けた。人工呼吸器に取り組む大学もあれば、新型コロナ患者を追跡するアプリ開発を提案するところもある。

 インド古来の「アーユルヴェーダ(インドの伝統的医学)」の活用も模索されている。インドには伝統医学を推進するAYUSH(アユーシュ)省というものがある。アーユルヴェーダの教えに基づき、スパイスなどを活用したり、ヨガを実践したりして健康な生活を送ろうと呼び掛けている。ヨガとか、マインドフルネス、メディテーション(瞑想(めいそう))といったものは、封鎖下の苦しい生活で心のバランスをとるには有用かもしれない。

 新型コロナの感染拡大と、これに対応するための厳しい封鎖という危機の中においても、インドでは様々な工夫やイノベーションの卵が生まれている。一朝一夕に、即座に問題を解決できる夢のようなアイデアは望めないかもしれない。だが新しい時代に向けた一歩は、そこかしこで踏み出されている。

まずは会員登録(無料)

有料会員限定記事を月3本まで閲覧できるなど、
有料会員の一部サービスを利用できます。

※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

※有料登録手続きをしない限り、無料で一部サービスを利用し続けられます。

この記事はシリーズ「目覚める巨象、インドの変貌」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。