新型コロナウイルスが世界中で感染を拡大させる中、インドは世界でも類を見ない大規模な封鎖に踏み切り、世界の注目を集めている。ただインドが取る方策はこれだけにとどまらない。厳しい状況に追い詰められても、この国はただでは転ばない。むしろ逆境を生かして新しいアイデアをいくつも生み出し、それを実現させている。
具体的な動きは後述するとして、なぜインドは全土封鎖という厳しい決断を下したのか、その背景について説明したい。インドは約14億人という世界第2位の人口を抱えており、都市部は過密な状況にある。しかも医療体制には問題も多い。だからパンデミックを避けるには、経済を犠牲にしても厳しい策を取らざるを得なかった。
インドの医療体制は正直に言って貧弱だ。医師の数は人口10万人当たり80人程度と、日本の約3分の1しかいない。病床数も10万人当たり90~120床程度というのが現状だ。大都市部には先進国と遜色のない体制と設備を整えた民間の病院チェーンもあるが、極めて限られている。一方、公立病院では野戦病院かと思うような光景が広がっていたりする。中都市、小都市ではさらに医師の数は減り、医療の質も下がる。
こうした厳しい医療体制がテクノロジーの導入を促している側面はある。遠隔医療とか、家庭で採血できる血液検査サービスといった新しいヘルスケアサービスが生まれ、日本より速いペースで活用が進んでいる。

保険制度を見ても、日本のような全国民が加入できる公的な保険の仕組みはない。福利厚生の一環として保険に加入する企業はあるものの、多くの人は自腹で民間の保険に加入せざるを得ない。病気になればミドルクラスですら生活に困窮する恐れがある。貧困層ではそもそも保険に入る余裕すらない。モディ首相は「モディケア」という貧困層向けの保険制度を始めたが、それでも対象は5億人ほどで、全人口をカバーできてはいない。
インドが全土封鎖に踏み切ったもう一つの大きな理由は衛生環境にある。インドの衛生に対する意識は高いとはいえない。大都市ですら、あちこちで立ち小便をしている人がいるし、唾やパーン(噛みタバコ)をペッと路上に吐き出す光景も日常だ。スラムに住む人や路上生活者は毎日水浴びはするものの、その水は垂れ流しになっている。さらに、川に何でも流す。生活排水から路上のごみまで、混然一体となって流れていく。雨期ともなると蚊が大量発生し、デング熱などの感染症がまん延してしまう。
公衆衛生という観点では、インドは日本とは比べものにならず、悲しい状況にある。もっとも、インド政府も手をこまねいているわけではない。公衆トイレを設置して野外排せつする人を減らそうとしたり、川の浄化プロジェクトを推進したりしている。
衛生に対する教育を施して人々のマインドを変えるのは容易ではなく、どうしても時間はかかる。ただ今回の新型コロナの感染拡大を受け、マスクをする人は増えた。手洗いを徹底するなど、衛生状態を高く保つことの重要性について周知が進むことで、中長期的に見れば状況は改善していくものと思う。
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