全8595文字
(イラスト:西尾 鉄也)

押井監督お久しぶりです。

押井:お久しぶり。

前回は「仕事に必要なことはすべて映画で学べる」がテーマ(単行本はこちら)でした。今回のテーマは「映画で歴史観を学ぶ」ということなんですが。

押井:なるほど。

押井監督は以前「文化は歴史の忘却装置だ」とおっしゃっていましたね。

押井:うん、言葉をもうちょっと補足すれば「いま現在、文化は歴史の忘却装置にしかなってない」っていう話なんだけどね。僕が主張したいのは、文化は歴史の忘却装置であっていいのか? っていうことなんだよ。

あっていいのか。忘却装置ではいけないんでしょうか。

押井:「嫌な日常を忘れて、エンタメを楽しみたい」っていう気持ちはわかるよ。開放感を味わいたいとか、カタルシスを味わいたいとか、誰かの夢いっぱいの人生を追体験して、たどってみたいとか。それはもちろん映画の基本的な機能だから。だけどそれだけになってしまって、浮き世のことを忘れる「忘却装置」になっていいわけではないんじゃないかと。

現状、そうなっていますかね。

押井:典型的なのが戦争という歴史だよ。日本は「第二次大戦を忘れよう」としながら戦後文化を築いてきたわけだから。まさに「文化は歴史の忘却装置」になっている。

 例えば日本の実写映画は、歴史……というか、歴史の経過で生まれた「社会の中にある不安」と向き合うことをかなり前にやめちゃった。だから今では「戦争」を描くことができなくなってる。実写では「反戦」映画しか作れないんだよ。

映画に限らず、「戦争」を話題にすること自体が不謹慎だという空気はありますね。

押井:一方でアニメは方便が成立しやすい。「ファンタジーだ」と言えば戦争を描いても成立するんだよ。だから「機動戦士ガンダム」(テレビ作品、1979年放映)がミリタリー(戦争)に道を開いて、その後にも様々な「戦争」を描くアニメが現れた。「風の谷のナウシカ」(84)なんて、戦争そのものを描いてるけど、誰も「不謹慎だ」なんて言わないでしょ。

確かに。

押井:同じ年に公開された「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」(84)だって戦争映画だし、その年に僕の作った「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(84)だって、そういう意味でいえば、「戦争」がテーマなんだから。

えっ、「ビューティフル・ドリーマー」は、どの辺が「戦争」なんでしょうか?

押井:あれは端的に言うと、戦後の焼け野原だよ。僕が子どものころから妄想している、ポストアポカリプス(黙示録の後)の世界。それにハリアー(イギリスの戦闘機)もレオパルト(ドイツの戦車)も出てくるし。おまけに劇中で「ゴジラ」(54)も上映してるじゃん。

言われてみればそうですね。

押井:いまだに「戦争」を描いているのは、日本映画ではほぼアニメだけと言ってもいい。それ以外はほぼ全滅だよ。

映画はエンタメとして時代を記憶する

押井:「忘れたいものがある」から、そのためにテレビを見よう、映画を観よう、という人が多いんだろうけど、見る側はともかく作る側がそれじゃダメなんだって。

なぜですか。

押井:観客には「自分が抱えている不安を、具体化、形象化してほしい」という気持ちがどっかに必ずあるからだよ。

 能天気でありたいけれど、能天気なだけでは生きていけない。現代はそういう意味では生きるのがしんどい時代。右肩上がりにどんどん豊かに良くなると思っていた高度成長期やバブルの時代はとうに終わって、「悪くなるかもしれない、いや、悪くなりそう……」という時代なんだから、特に若い人には不安の影がすごく濃いでしょう。

はい、それは感じます。