押井:だからバンダイの作ったアニメーション映画は、ことごとく配給が松竹なんだよ。僕の作品もほとんどがそうなんだけど、パトレイバーだろうがガンダムだろうが、みんな松竹だよ。

松竹しか相手にしてくれないんですか。

押井:そう。あとは東映と東宝なんだけど、東宝はロボットものとかほとんどやったことがないはず。エヴァも東宝じゃないでしょ(※旧劇場版から「Q」までは東宝以外での配給、最新作の「シン」のみ東宝・東映・カラーの共同配給)。そう考えるとわかりやすい。配給会社というのは意外と、それぞれそういうカラーがあるんだよ。もちろん松竹もロボットものに愛があったわけでもなんでもなくて、要するになんでもやってくれた。あそこは本業が舞台だからさ。

うちは歌舞伎が看板だと。

押井:うん。映画は言っちゃえば副業だから。東宝は違うからね。東宝ももちろん舞台はあるし不動産というのもあるんだけどさ、メインストリームは映画なわけだ。東映はまたちょっと系列が変わるんだけど、アニメーションもたくさん配給してる。東映動画(現・東映アニメーション)はもちろんやるんだけど、東映動画以外にもやってるんだからね。うちの師匠(鳥海永行)がやった「宇宙戦士バルディオス」(1981)だって東映だからね。

懐かしい(笑)。

押井:日活もアニメからは脱落してるから、配給は東宝、松竹、東映。東映は自前の東映動画があるわけだから、それ以外だと必然的に東宝と松竹になっちゃうわけだ。そういう意味ではアニメーションの配給が苦戦したという話は実はそんなにないんだけど、角川映画というのは絶えず配給の落とし所を探し続けたんだよね。角川映画の配給を調べてみたらわかると思うんだけど。

「犬神家の一族」(1976)が東宝。「人間の証明」(1977)が東映、「野性の証明」(1978)は日本ヘラルドと東映になってますね。

押井:ヘラルドとかは当時主流じゃなかったと思うんだよね。

その後は東映が多くて一部東宝です。

押井:松竹はやってないでしょ。

「蒲田行進曲」(1982)で初めて松竹配給ですね。あとは90年代の角川映画の末期はほとんど松竹です。最後の「REX 恐竜物語」(1993)も。

押井:末期だよね。角川映画は当初破竹の勢いでやってたんだけど、そのわりに配給が安定しなかったという印象がある。興行収入の取り分も含めて、たぶん相当いろんなやり取りがあったんじゃないかな。

テレビスポットが強かった時代

角川映画は配給とはうまくいってなかったのかもしれませんが、一方でテレビをうまく利用したという印象があります。

押井:そうそう。テレビに進出するとか局を買収しちゃうとかそういうことじゃなくて、宣伝として徹底的に利用した。あれだけ大量にスポットを流したのは角川が初めてやったことだから。「映画の宣伝と言えばテレビの大量スポット」というのはその後十何年間も続いた、そのはしりだよ。後にテレビ局が自ら映画製作をするようになると、自分の局で大量に宣伝を流すようになった。スポットなんてレベルじゃなくて、あらゆる番組を活用してタイアップで宣伝した。

1983年のフジテレビの「南極物語」から始まったようです。

押井:僕も「スカイ・クロラ」(2008)のときに日テレに24時間監禁されたからね。朝一番の番組から深夜まで、あらゆる番組に30秒でもいいから絶えず顔を出せと。とんでもないことやらされたよ。局の支度部屋に丸一日、文字通り監禁された。

あっちこっちの取材に行かされるよりは効率はいいですよね(笑)。

押井:だけど僕は「これだけ宣伝する意味はあるの?」と思ってた。あの時代はすでにアニメーションを宣伝で売るのはもう無理だったよ。だって実際問題「スカイ・クロラ」だって「イノセンス」(2004)だって動員数はほとんど変わってないんだもん。

それを言っちゃあ(笑)。

押井:そもそもがもうネットの時代だったわけじゃん。テレビスポットだの雑誌だのという媒体数をそろえて「なんかやった気になる」というのは、映画というより広告代理店の仕事だよ。

そうですね。

押井:何を根拠に映画を見に行くのか、というのはその時代その時代で変わるわけだ。映画マニアは監督の名前だったり役者だったり、いろいろあるんだろうけど、年に数回も映画を見ない人たちが見に行かない限りは大ヒットにはならない。そういう人たちをいかに動員するかというのは映画というよりも配給のテーマだったわけ。今の時代だったら若い売れてる役者の名前がどれだけ並ぶかというさ。「このキャスティングじゃなきゃ配給できない」とか平気で言ってくるから。

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