押井:僕は破綻してる映画のほうが好きだからいいんだけど。凡庸な映画は救いようがない。だけど破綻してる映画はいろんなことを学べる。だから破綻してる映画は大好きなの。何かやろうとすれば破綻するリスクを冒すのは当たり前なんだよ。
テーマを持って何かをやろうとすれば失敗することもあると。
押井:だから「破綻を恐れるな」といつも言ってるのに、辻本(貴則)とか田口(清隆)とか湯浅(弘章)とかヤマケン(山岸謙太郎)とかさ、あいつら小器用にまとめやがって。「まとめようとすんな! 勢いで撮れ!」って。勢いがある映画が破綻するのは当たり前じゃん。
邦画の王道・ヤクザ映画
押井:そもそもヤクザとか任侠とか、そういう日本映画の独特なアウトローな世界というか、日陰者の世界、これは邦画の正統派というか王道なんですよ。
日陰者が正統派ですか。
押井:邦画の黄金時代には「若様お姫様」という映画もなかったわけじゃないけどね。二枚目の若殿様とわがままだけど美しいお姫様が紆余曲折あって結ばれましたみたいな。しょうもない映画だけど需要はあったんですよ。当時日本は貧乏だったし、甘い夢物語も必要とされていたから。一方で、江戸時代とかもっと前から綿々と続く、日陰者たちの哀感をうたった映画。そういうのは義理人情がもれなくついてくるわけだ。江戸時代の近松(門左衛門)の心中物なんかみんなそうですよ。零落していった階級を主人公にして、でも純愛を貫いたとか、義理を貫いたとか。だいたい最後は死ぬんだけど。
確かに、歌舞伎や文楽ではそういうのが多いですね。
押井:その流れを汲んでいるから、日本映画というのは日陰者を扱ってきた映画がどちらかというと王道なんですよ。そういう長い長い歴史に連なるのが股旅ものであり、任侠映画であり、任侠映画の流れから実録ヤクザものというのが出てくる。ようやくそこにつながるわけ。
その流れの中では新しい路線ということになるわけですよね。
押井:さすがにいつまでも着流しはやってられないと思ったんだろうね。でも、ファンというのは永遠にやってほしいわけだ。今でもそうだけど「パトレイバー」だろうが「ガンダム」だろうが、ファンは永遠に同じことをやってほしいわけだよね。
自分が好きなものを永遠に見たいと。
押井:卒業する気なんかこれっぽっちもないんだよ。だけど健さんだって年を取るしさ、それに着流しが似合う役者がいなくなったんだよね。着流しというのは着こなすのが難しいんですよ。今の若い役者で、着流し以前に着物を着れるヤツなんて何人もいないよ。女優さんもそうだけど、だいたい(生地が)反物で足りないでしょ。
昔より体格がいいからですか?
押井:そうそう、昔より日本人が大きくなったから。だからひとつには、役者に着流しが合わなくなってきた。菅原文太だって最初は着流しをやってたんだけど、なんかもうひとつだったんだよね。小林旭とか高橋英樹もロマンポルノの前の日活で任侠映画をやってたけど、当時から鶴田浩二とかにボロクソに言われてたの。「着流しで歩くときにケツを振るな」とかね。やっぱりもうひとつなんですよ。
その時代の役者さんでも、すでにそうだったんですね。
押井:やっぱり和服の立ち姿、裾さばきとか帯の位置とかさ。体格がよければいいというもんじゃないんですよ。なで肩で、どちらかといえば足が短くて、膝から下で歩くみたいなね。チンピラじゃないんだからのし歩いちゃダメ。日本刀だって、チャンバラ映画みたいに振り回していいものじゃない。長ドスなんだから扱いが違うわけ。あとはやっぱり、親分を演じる大物俳優たちが払底しつつあった。
新しい路線で新規顧客を開拓
押井:だから実録ヤクザ路線がなぜできたかというと、キャスティングが限界に来たのかもしれないというのがひとつ。そしてあともうひとつは、新しい路線をつくりたかったんだよ。いつだって、どの映画会社だってそうなんだけど、新しい路線で新しい客層をつかみたい。映画会社だって企業だから、基本的には事業を拡大したい気は絶えずあるんだよね。
そりゃそうですよね。株主に配当もしないといけないし。
押井:撮影所もできる限り稼働させなきゃいけないし、食わせなきゃいけない人間もいっぱいいる。だからいろんな会社がいろんな路線を開拓するわけだよね。落ち目になった日活がロマンポルノをやったのだって同じ。東映も様々な路線をやたらいっぱい作ったんだから。忘れ去られようとしてるけど「東映ポルノ」というのもあった。
ありましたね。
押井:わざわざアメリカとかフランスからお姉ちゃんを呼んでまでポルノ映画をいっぱい作ったんだから。サンドラ・ジュリアンだったかな。なかなかいい人だったけど。あとアメリカで売れたぽっちゃりした、なんつったかな?
シャロン・ケリーですか。
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