押井:健さんの「(昭和残侠伝)唐獅子牡丹」(66)とかあの辺は現代ヤクザよりも前、まだ任侠映画なんですよ。時代も現代じゃなくて、だいたい大正とか明治末とかそのぐらいの時代。だからみんな着流しを着てる。

着流しの「任侠映画」は、「現代ヤクザもの」よりも古いジャンルなんですね。

押井:現代ヤクザは着流しじゃないから、それがひとつの記号になってる。そういう「着流し系」はだいたい港湾の工事を仕切っててとか、そういう歴史があるんだけど、実はそれが明治以降の日本が抱えてた根本的な問題のひとつなんですよ。

どういうことでしょうか。

押井:港の整備とか道路とか、国主導、官主導でいろんなインフラ工事をやるわけだけど、そういうのを当時は全部地元のヤクザに仕切らせてたの。だから昔の着流し系の任侠映画というのは、だいたい港湾工事をめぐって企業役員と癒着した近代派と、地元の義理人情の守旧派……アラカン(嵐寛寿郎)が親分だったり……が対立して、守旧派が卑劣な罠にはめられる、というパターンが多い。最後は古い任侠系の義理人情を大事にする清く正しいヤクザが、役人や警察と結託した近代派ヤクザと対決する。

清く正しいヤクザって矛盾を感じます(笑)。

着流し任侠映画の様式美

押井:近代派がそういう土着勢力のヤクザを殲滅しようとして、最後は高倉健が反撃に殴り込んで、近代派の奴らを皆殺しにして、だいたい警察に御用になって終わり。

最後に捕まって終わりというのは、今の感覚とはだいぶ違う印象です。

押井:でもそれは当時それでみんな納得してたわけ。僕は納得してなかったけど。

殴り込みに行ったら、そこにいる全員を殺戮するわけですよね。

押井:皆殺しです。大量殺戮。だって完全に殺す気で行ってるんだもん。出来心でとかそんなわけないじゃん。ちゃんと行く前に腹にサラシを巻いて、タンスから長ドス出して、手ぬぐいで手に縛り付けるのよ。血糊で滑らないように。明らかに殺(や)る気まんまんなわけ。

ということは、捕まったらもう出て来れないと。

押井:出て来れないどころじゃないよ、死刑確実。そんなのどこに納得するんだよ、と当時から思ってた。そもそも、なんでおとなしくお縄につくのか。「あなた行かないで」って藤純子(現・富司純子)とかが一応言うけど、律義にサラシを巻いてあげたりとかね、黙って見交わす目と目とか。

わかってて誰も止めないわけですね。

押井:殴り込みに行くときにはだいたいなぜか雪が降るんだよ。そのシーンを歌舞伎や文楽になぞらえて「道行き」って言ったりするんだけどさ、撮影所の中でスポットライトだけで、ドスをぶら下げて、番傘差してね、そこに演歌が流れるんだよ。

様式美の世界。

押井:橋の袂で菅原文太とか池部良とかが待ち構えてて、黙って合流してさ。「俺も行くぜ」と。単独の場合もあるんだけど、ふたり連れの場合もある。なぜだか大勢で集合しては行かないのね。それやると凶器準備集合罪になるんだけどさ(笑)。最大限でふたりなんだよ。

「少人数殴り込み」にはわけがある

戦力は多いほうがいい気がするんですが。

押井:もちろん実際に殴り込むなら多いほうがいいけど、多すぎると撮るほうが収拾つかないから。殴り込む側が数が多いとどう撮っていいかわかんなくなるんだよ。実際、忠臣蔵の討ち入りシーンはあまり盛り上がらないでしょ。

ああ、確かに。

押井:大石内蔵助自身はしっかり構えてて、老臣、要するにおじいちゃんがまわりを固めてる。結局はせいぜい数人を中心に撮らざるを得ない。忠臣蔵の映画やドラマはずいぶん見たけど、これという決定打がないね。市川崑が「四十七人の刺客」(94)で、吉良邸内に迷路や水濠があったりと、変なことやってたくらい。だけどなんかやろうとしても「なんかやろうとしたのね」というレベルにしかならないんだよ。忠臣蔵はそこが難しい。

なるほど。

押井:だから、殴り込みが最大限ふたりだというのはよくわかる。誰を撮ればいいのかわかりやすいんだよ。寄ってたかって来る奴を迎え撃つだけでOKだから、殺陣として組み立てやすい。忠臣蔵みたいに隠れてるジジイを探しながら戦うというのは、映像にするのはなかなか難しいんだよ。

少人数で殴り込むのは撮影側の都合なんですね。

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