007はオワコンか
今後007が新作をやるにあたって、期待でも予想でもいいんですけど、どういう展開や敵が考えられますか。
押井:現実の世界で、国家が非正規戦を始めちゃったわけで、国家同士の戦争じゃなくて国際テロ組織、あるいは少数部族とか国内の特定勢力を相手に戦争する時代になった。不正規戦とも言うけど、そういう時代になっちゃった今、エスピオナージの世界が映画のテーマ足り得るのかと。国家同士で表立って戦争できないからこそのスパイの世界だったんだよね。暗殺だテロだ誘拐だ拉致だをやってたわけで。だからこういう時代にスパイ映画が成立するんだろうか。渋い映画じゃなくてエンターテインメントとして。
難しそうな気がします。
押井:はっきり無理だと思うよ。だから007の歴史的使命はとっくに終わったと思ってる。むしろ冷戦終結以降、よくここまでやりおおせたもんだと感心したよ。それも「スカイフォール」を見たからもういいやというさ。惰性で「スペクター」まで見に行ったけど全然ダメだった。過去のコピーでしかない。そもそも「スカイフォール」だって最後のあだ花みたいなもんだからね。「カジノ・ロワイヤル」(06)もいいと思わなかったもん。「スカイフォール」は死に花を咲かせたなと思った。だからもう007を見に行こうという気持ちはない。
テレビでも見ませんか?
押井:他に見るものがない時以外は見ないね。僕は家のTVをダラダラ見るんでしょっちゅう奥さんに怒られるんだけど(笑)。快感原則だったりとかそういうレベルで言ったら、まだマーベルのほうが見るべきものがある。007のアクションは昔はかっこよかったんですよ。でもあるときから普通だよなと感じるようになった。チェイスと格闘というのはアクション映画の二大テーマなわけでしょ。でも007はやり尽くしちゃったから。
アクションも「ミッション:インポッシブル」シリーズでトム・クルーズがもっとすごいのをやってたりします。
押井:あっちのほうが全然すごい。最近だと「アトミック・ブロンド」(17)でシャーリーズ・セロンがひさびさにエスピオナージやってたけど、あれも彼女のアクションとファッションが売りというかね。すばらしかったよ。180センチで金髪の彼女がマッチョたちと本気で殴り合って、青あざ作って、階段落っこって、便器で殴りつけたりとかさ、パワープレイですごかった。それが見たくてひさびさに映画館に行ったんだけどさ。
「アクションなら、007を見に行かなくてもほかにいっぱいあるよな」という話。銃撃戦とか格闘とかがある映画なら、もれなくなんでも見る主義だけど、007は客観的に言って水準ではあっても「すげえな」というレベルじゃない。今の言葉で言えば、とっくにオワコンになってる。名前で商売させてもらってますというレベルだと思うよ。見る側も期待してない。アクション映画としては並ですね。ちゃんと作ってます、というレベル。
M:Iはどうして「ただのアクション映画」なのか
では、スパイ映画としての「ミッション:インポッシブル」シリーズはどうですか?
押井:僕はあれをエスピオナージだと思って見たことは一回もない(笑)。よくできたアクション映画という、それ以上でもそれ以下でもない。
なぜ「ミッション:インポッシブル」はアクション映画でしかないんでしょう?
押井:だってほかに何もないじゃん(笑)。
世界を脅かす陰謀と戦ったりしてるわけですが……。
押井:その世界を脅かす陰謀が何だったのか覚えてる?
うっ。
押井:ほら、何も覚えてないでしょ。つまりお客さんにとってもどうでもいいんだよね。トム・クルーズのすげえアクションが見たいだけ。
あのシリーズもお姉ちゃんの印象がほぼない。トム・クルーズってそういうキャラクターだよね。相手役の女優の印象がほぼない。トム・クルーズ自体がそういう意味ではセクシャルな俳優なんだよ。だってそんなに演技力があるわけでもなければ、すごい二枚目というわけでもない。ガニ股だし足も短いし背も低いじゃん。僕はトム・クルーズなら「アウトロー」(12)のほうが好き。ジャック・リーチャーシリーズは大好き。あれは脚本家を目指す人間は全員見るべき。トム・クルーズの映画では一番好き。あとは「コラテラル」(04)もなかなかよかったけど。トム・クルーズが悪役をやったんだよね。マイケル・マンの映画だから見たんだけど、髪を銀髪に染めてがんばってた。
近年のスパイ映画としては、前の連載(『仕事に必要なことはすべて映画で学べる』)で取り上げた「裏切りのサーカス」(11)もありましたけど。
押井:「裏切りのサーカス」は大傑作だよ。あれも冷戦終結がテーマになってるんだけどさ。みんなでパーティーでUSSRの歌を歌ってたでしょ。「すげえシーンだな」と思った。そうやって、今でもエスピオナージはほそぼそとやってるんだけど、「裏切りのサーカス」がそうであるように、エンタメではない。
確かに。大変渋い映画でした。
押井:そういう意味で言えば文芸の世界に近づいている。本来は「裏切りのサーカス」の原作者であるジョン・ル・カレのスパイ小説こそが正統派で、007シリーズの方が大衆版だったんだよね。「この程度でいいよね。その代わりいっぱいコース付けさせてもらいました」という。本来のエスピオナージというのはもっとシビアで暗いもので、人間性の暗部みたいなものだったんだよ。そういう作品が出てくること自体、エスピオナージは原点に戻ったとも言えるし、そういう意味でも007はもう役目を終えたんだと思うよ。
今日はこんなところで。ありがとうございました。
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