押井:当たり前のように思うかもしれないけど、そういうものを見事に構造としてはめ込んだシリーズってなかなかないよ。日本だとそれが若大将シリーズだった、という話は前にしたけど、だからどっちも続いた。だからこそ失速し、煩悶も迷走もした。007シリーズは、冷戦が終わってからやることがなくなっちゃった。

冷戦という背景設定がないと、そこまで「欲望むき出しで楽しくやろうぜ」というのはやれないんですかね?

押井:できない。要するに「ツケ」は全部冷戦に回すんだから。MI6はそれで領収書が全部通っちゃうわけだよ。プロダクションI.Gなんかほとんど通らないからね。

「この領収書は通せません」というのがバブル崩壊以降の我が国の風潮です。

押井:それまではソ連とかあったから、そことの喧嘩に使いました、ということなら必要経費でなんでも通っちゃう。100%領収書OKの男。国を救うことに比べたら、女に金使ったり博打に金使ったりうまいメシ食ったりする経費は安いもんじゃん。

その結構な雰囲気が消えて、007が迷走したのはどの辺ぐらいからでしょうか? ロジャー・ムーアになってから?

押井:ロジャー・ムーアになってからはただのアクション映画になっちゃった。石油成り金だったりアラブの富豪だったり、とっかえひっかえいろんな人間を引っ張り出したけど、小物感は覆えないね。あとは宇宙に行ったりしたのも致命的だった。「007 ムーンレイカー」(79)か。007がレーザーガンを撃ったりとか、何やってんのというさ。

「ロシアより愛をこめて」以外で見るべき作品を挙げるとしたら?

押井:さっきも言ったけど「007 ゴールドフィンガー」は好きだった。偉大なメインビジュアルがあったから。金粉を塗った女というさ。

あれで皮膚呼吸ができなくて死んじゃうんだっていうのが。

押井:日本にも金粉ショーって伝統があるんだけどさ(笑)。今でも大駱駝艦(舞踏集団)がやってるじゃん。でもあの当時は金粉を塗られた全裸の女が横になってるというのは最強のメインビジュアルだよ。歴代の007シリーズでもあれ以上のメインビジュアルはない。

 その話で思い出したけど、007と言えばオープニングと主題歌。これが見たいというのも理由の一つだったよね。オープニングのあのフォーマットは誰が作ったんだろう。必ずお姉ちゃんのシルエットかセミシルエット。007って裸のお姉さんはいっぱい出てくるんだけど、乳首が見えたことはない。これはお約束なんだよね。

あそこまで見せてるのに、どうしてその一線は超えないんですかね。

押井:中学生まで客層を広げたいから、PG15じゃダメなんですよ。だからオープニングで裸のお姉さんのシルエットはいっぱい出てくるんだけど、乳首は絶妙に隠す。ダニエラ・ビアンキが寝台列車で脱ぐシーンだって絶妙なタイミングでシーンが変わるからね。いまだにそれは守ってる。伝統なんだよね。確かにそれでなかったら日本の中学生にあれほどアピールしなかったよ。

確かに、テレビでかかっても親がギリギリ見せてくれる映画でした。

押井:さっきの3つのテーマに加えてオープニングと主題歌。そういう意味でも「スカイフォール」はすばらしかったんだよね。とどめを刺したからね。あの歌(アデルの「スカイフォール」)は歴代の主題歌でも最高なんじゃない? ひさびさにしびれた。あとは「ゴールドフィンガー」「ロシアより愛をこめて」。見るならその3つがいいんじゃないかと思うよ。

次ページ 007はオワコンか