
- ●鎌倉時代には、武士の力を否定しようとする天皇・上皇がいた。
- ●後鳥羽上皇は1221年に承久の乱を起こし、鎌倉幕府を倒そうとしたがかなわず。
- ●後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒すことに成功した。ただし、後鳥羽上皇ほど計画的ではなかった。
今回のテーマは、武士の台頭にあらがった天皇たちです。
キーパーソンは後鳥羽上皇と後醍醐天皇。
源頼朝が鎌倉幕府を開いて武士の世の中が始まりました。武力において、天皇・朝廷は将軍・幕府にはかないません。しかし、鎌倉時代には、武士の力を否定しようとする天皇・上皇がいました。それが後鳥羽上皇と後醍醐天皇です。
鎌倉幕府の打倒を企図し、後鳥羽上皇は1221年に「承久の乱」を起こしました。数少ない直属の武士や、鎌倉幕府に仕える御家人を前もって側近に登用。褒美として土地、位階・官職を与える準備も整えました。
後鳥羽上皇は有力な軍事力の編成に成功しました。例えば、有力な御家人である大内惟義を味方につけることに成功しています。しかし、これを「軍勢」に仕立てることができませんでした。
果たして、それはなぜだったのか。
>>>>続きは動画で。会員登録でご覧いただけます。
東京大学史料編纂所教授

1960年生まれ。東京大学・同大学院で日本中世史を学ぶ。専門は中世政治史。史料編纂所で古代史料部門を担当する。著書に『考える日本史』『承久の乱 日本史のターニングポイント』など。
有料会員限定記事を月3本まで閲覧できるなど、
有料会員の一部サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。
※有料登録手続きをしない限り、無料で一部サービスを利用し続けられます。
Powered by リゾーム?