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 大型開発プロジェクトで変貌しつつある東京。その注目エリアをピックアップし、地域の歴史や地形と絡ませながら紹介していく連載です。現地に残る史跡、旧跡のルポも交えて構成。歴史好きの人のための歴史散歩企画としてもお楽しみください。変貌する「ネオ東京」の“来し方行く末”を鳥瞰(ちょうかん)しつつ、その地の歴史的、地勢的特性を浮き彫りにします。

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国立競技場へ向かって歴史の道を歩く

今回紹介するのは国立競技場周辺の古道と旧跡を訪ねながら、国立競技場へ向かい、帰る道(赤いライン)。「旧原宿」方面から、旧鎌倉街道を経て、勢揃坂経由で競技場の外苑門へ向かう。帰りは、外苑門を出て聖輪寺、鳩森八幡神社を経て代々木駅に向かう

 いよいよ完成した新しい国立競技場。天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会決勝をこけら落としに、本格稼働を始めたわけで、競技を観戦しないとしても、ちょっと話のタネに訪れてみたいという人も多いはず。

 どこからどうやって行くのがおすすめか。最寄り駅はそのものずばり、都営地下鉄大江戸線の「国立競技場」駅だ。ただし、ここは地図上では近くても、地下深くにあるので意外に遠く感じる。それに今回のテーマの「歴史を感じる」には、あまりに近すぎて不向きだ。

 都営大江戸線ができる前は、JRの千駄ケ谷駅か信濃町駅、あるいは東京メトロ銀座線の外苑前駅の3つが最寄り駅だった。いずれの駅も競技やイベントの開催時には、大混雑していた。

 そこで、国立競技場周辺の歴史をたどりつつ、国立競技場へ行く「歴史的」な裏道を考えてみた。

実は中世の歴史が埋もれている千駄ヶ谷

 前回書いたように、江戸時代のこのあたりは江戸の町のはずれ。今の新宿御苑の北を走る甲州街道と赤坂見附から渋谷に抜ける矢倉沢往還(大山街道、今の青山通り)に挟まれ、大きな武家屋敷があまりない田舎だった。

 だが、国立競技場周辺の伝承を探ると、意外なほど過去をたどれるのである。

 国立競技場の西を流れていた渋谷川を渡った先にある聖輪寺は、奈良時代の725年に行基菩薩(ぼさつ)がここに滞在された際、如意輪観音像を刻んだのが始まりという超古刹。江戸時代は千駄谷観音として有名だった。

 そこから坂(観音坂)を上ったところに鳩森(はとのもり)八幡神社。こちらは平安時代の860年に京都の石清水八幡宮から勧請(かんじょう)したという古社。江戸名所図会には、八幡神社前の道は鎌倉街道の旧跡で、青山にあった原宿町(後述)よりこの地を経て大窪(今の大久保のこと)へつながっていたとある。

 ただし、国立競技場の敷地にあった寂光寺にはその地が「往古の奥州街道」にあたるという伝承もある。ややこしいのだ。

 ちなみに寂光寺の境内には「お鷹の松(遊女松)」という木があり有名だった。徳川家光が鷹狩りの途中で、寂光寺で休んでいたところ、江戸城から逃げていた愛鷹「遊女」(すごい名前だ)が、境内の松の木に飛来し、家光が大変喜んだという逸話から名が付いた。その2代目の木が、旧国立競技場の建設時に取り去られ、競技場の旧代々木門内に移されたという。そして今回の新しい国立競技場の建設に伴い、今度は近くの聖徳記念絵画館そばに石碑とともに移動したのだ。

江戸名所図会に描かれた寂光寺と千駄谷大神宮。これを見ると当時の地形がうかがえる。千駄谷大神宮は少し高い場所にあったように見える。今はどちらも国立競技場の下だ。ちなみに本文で紹介した「お鷹の松」は図中文字「寂光寺」の右手あたりに「遊女松」として描かれている