戦後、1964年のオリンピック招致に向けて動き始めた日本は、57年、明治神宮外苑競技場を取り壊して新競技場の建設を始める。58年に「第3回アジア競技大会」メイン会場として完成したのが国立霞ヶ丘陸上競技場、いわゆる「国立競技場」だ。「国立霞ヶ丘」とついているように、このあたりは霞ヶ丘と呼ばれている。住所は新宿区霞ヶ丘町(以前は霞岳町と表記)だ。
国土地理院が公開している航空写真に明治神宮外苑競技場時代(47年)と、国立霞ヶ丘陸上競技場時代(63年)のものがあったので並べてみた。
地形を生かして観客席を造った明治神宮外苑競技場の様子とメインスタンドの背後に渋谷川が流れていることが分かる。明治神宮外苑競技場と神宮野球場の間に相撲場(円形の部分)があるのも新鮮だ。
両競技場の下(南)側に見える道は前回の連載で触れた坂道だ。現在の国立競技場はこの道の部分も敷地内におさめてしまったので、その道はなくなったが、歩いてみれば土地が斜面であることが今でも分かる。競技場の東側(写真右手)にある青山門から右回りに競技場を歩いていくと、南側にある外苑門に着く。そこは人工地盤で造られた空中デッキの上なのだ。平らな面を歩いていたはずなのに、地表より高いところにたどり着く。競技場が建てられた土地が、斜面であることの証拠だ。
我々になじみのある旧国立競技場時代を迎える(写真右)と、渋谷川は暗きょとなって、その地表部分は緑道公園(明治公園の一部)となる。地下に潜った渋谷川はその後、下水道にされてしまう。渋谷川の流路が新宿区と渋谷区の境界線となっていたので、区界をたどれば、かつてどこを渋谷川が流れていたかが分かる。そしてこの川がかつて、渋谷の東急東横店東館の地下を流れていたのだ。(関連記事)
2014年、旧国立競技場も役目を終え、20年の東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場として新たに国立競技場が建てられた。
シンプルなデザインの旧国立競技場でアクセントとなっていたメインスタンドの2つのモザイク壁画「野見宿禰像」と「勝利の女神像」は、新たな国立競技場になっても残った。今は、青山門の両脇に飾られている。そして青山門の正面に、1964年のオリンピックで使われた炬火台(いわゆる聖火台)が設置されることになっている。
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