さて、私が旧国立競技場で最後にサッカーを観戦したのは14年4月29日だった。閉鎖される1カ月ほど前だ。

 確かに老朽化は見てとれたものの、1964年東京オリンピックの優勝者の名前が彫られた壁、競技場の周囲に置かれた数々の彫像や塑像、1階に設けられた秩父宮記念スポーツ博物館など「国立競技場」ならではの光景が随所に見られた。これが最後かと写真に撮って回ったものである。

正面玄関の外壁にあつらえられた1964年東京オリンピックの金メダル獲得者の名が彫られた銘板
正面玄関の外壁にあつらえられた1964年東京オリンピックの金メダル獲得者の名が彫られた銘板
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御者像。第11回オリンピックベルリン大会の芸術競技の彫刻・彫像の部で金メダルを受賞したファルビ・ビニョーリ(イタリア)の作品。当時のオリンピックにはスポーツ競技とは別に「芸術競技」もあったのだ
御者像。第11回オリンピックベルリン大会の芸術競技の彫刻・彫像の部で金メダルを受賞したファルビ・ビニョーリ(イタリア)の作品。当時のオリンピックにはスポーツ競技とは別に「芸術競技」もあったのだ
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円盤投げ像。ミロン制作の円盤投げ像の型抜き
円盤投げ像。ミロン制作の円盤投げ像の型抜き
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数奇な運命をたどった霞ヶ丘アパート

 やがて、旧国立競技場と、その南に隣接する明治公園と日本青年館、さらにその南に位置していた都営霞ヶ丘アパート(63年竣工)が新しい国立競技場建設のために壊された。10棟からなる霞ヶ丘アパートには、64年の東京オリンピック・パラリンピック(アジアで初めてのパラリンピックだった)のための開発・建設工事で立ち退きを余儀なくされた人々も入居していた。そして、今度は2020年東京オリンピック・パラリンピックのために、再び転居することになったのだ。オリンピックとともにアパートに転居し、次のオリンピックでまた別の場所へ転居させられるという数奇な運命となったのである。

在りし日の都営霞ヶ丘アパート。2010年撮影
在りし日の都営霞ヶ丘アパート。2010年撮影
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