渋谷氷川神社を行く

 金王八幡宮は渋谷に残る古社だが、そこから八幡通り(鎌倉街道)を挟んだ反対側にも古い歴史を持つ神社が残っている。

 渋谷氷川神社である。八幡通りを東へ渡り、狭い生活道路を奥へ進むと、氷川神社の脇参道(この参道は江戸名所図会にも描かれている)に出る。渋谷氷川神社は渋谷城(金王八幡宮)と同じく、渋谷川を望む高台の上にあり、今でも眺めはなかなかよい。

金王八幡宮のすぐ近くに渋谷氷川明神がある。両者をつなぐ道は描かれていない。今は渋谷氷川神社の脇に出る参道と金王八幡の間を道路が通っているので行き来できる。氷川神社の広さがよくわかる(国立国会図書館デジタルコレクション)
金王八幡宮のすぐ近くに渋谷氷川明神がある。両者をつなぐ道は描かれていない。今は渋谷氷川神社の脇に出る参道と金王八幡の間を道路が通っているので行き来できる。氷川神社の広さがよくわかる(国立国会図書館デジタルコレクション)
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江戸名所図会より、渋谷氷川明神。渋谷川沿いからの表参道の他に、斜面途中からの脇参道も見える。土俵は現存している(国立国会図書館デジタルコレクション)
江戸名所図会より、渋谷氷川明神。渋谷川沿いからの表参道の他に、斜面途中からの脇参道も見える。土俵は現存している(国立国会図書館デジタルコレクション)
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 氷川神社は伝承によると日本武尊が素戔嗚尊(すさのおのみこと)を勧請した、というが、さすがにそれは信憑(しんぴょう)性が薄い。別当寺だった宝泉寺の住職が江戸時代初期(1605年)に記した縁起があり、少なくともそのときにはあったのは確かだ。

 氷川神社は今でも約4000坪という広大な境内を持っており、現代の渋谷にこれだけの空間が残っていることに感動を禁じ得ない。江戸時代は、江戸郊外3大相撲の1つに数えられた奉納相撲が行われており、その土俵が残っている。ちなみに残る2つは、世田谷区にある世田谷八幡宮と品川区の大井鹿嶋神社。世田谷八幡宮では今でも東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われている。

 参道も土俵も江戸名所図会に描かれている姿そのままで残っているが、社殿の位置だけはちょっと変化している。江戸時代は表参道の階段を上ると、その正面に社殿が建っていたが、今の社殿は参道に対して左回転した方向を向いている。

 1938年(昭和13年)に社殿を建て替えたときに変更されたもので、旧社殿の場所には碑が立っている。

1938年(昭和13年)に建てられた拝殿。江戸期の時から左へ回転している
1938年(昭和13年)に建てられた拝殿。江戸期の時から左へ回転している
元の社殿があった場所には「本殿御敷地旧跡」の碑が立っている
元の社殿があった場所には「本殿御敷地旧跡」の碑が立っている

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