金王桜は「長州緋桜」という種の桜で、社伝によると源頼朝がこの地にゆかりのある「渋谷金王丸」(後述)をしのんで、鎌倉にあった桜を移植したという。桜は今でも拝殿の脇に立っており、春は花見客で境内がいくらかにぎわう。開花はソメイヨシノより少し早いので注意したい。

享和(1801~1804)の頃の渋谷の絵図。八幡宮の場所に書かれている「八幡」の文字の隣に「金王櫻」とわざわざ書かれている(国立国会図書館デジタルコレクション)
享和(1801~1804)の頃の渋谷の絵図。八幡宮の場所に書かれている「八幡」の文字の隣に「金王櫻」とわざわざ書かれている(国立国会図書館デジタルコレクション)
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春の金王八幡宮。右端の満開の桜はソメイヨシノ、その横でほぼ散っているのが金王桜(ちょっと遅かった)
春の金王八幡宮。右端の満開の桜はソメイヨシノ、その横でほぼ散っているのが金王桜(ちょっと遅かった)

 その渋谷金王丸が「金王八幡宮」の名の由来。

 渋谷金王丸は源頼朝の父義朝に仕えて戦った平安時代後期の武将。金王丸17歳の時、源義朝に従って出陣する折、自らの姿を彫った木像を残したといわれている。それを納めた御影堂が境内に残っている。

 伝承によると、平安時代後期、源氏の奥州征討(後三年の役)に参加した河崎基家が八幡宮を創建し、その後河崎重家が渋谷の姓を賜って渋谷城を構えた、とされている。渋谷金王丸は、その重家の子とされている(諸説あります)。

 渋谷城がいつ造られたのか、渋谷城の城主渋谷氏は本当に河崎基家の系統なのか、金王丸は実在したのか、その辺は定かではないが、中世の頃、渋谷氏が鎌倉街道沿いのここに居館を構えていたのは確かなようだ。

 その渋谷城は、1524年、小田原北条氏が江戸城を攻めた際、渋谷経由で江戸に向かった別動隊によって攻められて焼失し、落城したと伝わっている。

 金王八幡宮の隣には「豊栄稲荷神社」(とよさかいなりじんじゃ)が鎮座している。

豊栄稲荷神社。渋谷川の稲荷橋脇にあった田中稲荷神社と豊澤稲荷神社が合祀(ごうし)されて1961年に創建された。昭和の時代のことだ
豊栄稲荷神社。渋谷川の稲荷橋脇にあった田中稲荷神社と豊澤稲荷神社が合祀(ごうし)されて1961年に創建された。昭和の時代のことだ

 これは1961年(昭和36年)に建てられたもの。

 渋谷駅南の稲荷橋脇にあった田中稲荷と、道玄坂上にあった豊澤稲荷を合祀(ごうし)して創建した神社だ。1964年に開催された東京オリンピックに向けた開発で、移転せざるを得なかった神社が集合した形だ。また、境内には渋谷にあったこうしん塔群も集められている。開発がもたらした1つの象徴のようにも思えてくる。金王八幡宮と一緒に参拝したい。

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