大型開発プロジェクトで変貌しつつある東京。その注目エリアをピックアップし、地域の歴史や地形と絡ませながら紹介していく連載です。現地に残る史跡、旧跡のルポも交えて構成。歴史好きの人のための歴史散歩企画としても楽しめます。変貌する「ネオ東京」の“来し方行く末”を鳥瞰(ちょうかん)しつつ、歴史的、地勢的特性を浮き彫りにします。
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駅周辺の分断は解消されるのか、動線はどうなるのか
高度成長期、渋谷駅周辺は6つのエリアに分断された、という話が前回「6つに分断された“迷宮”渋谷はどうして生まれた?」。
JR(当時は国鉄)で東西に、井の頭線と銀座線で南北に分断された渋谷駅周辺は、高度成長期の首都高速3号線と国道246号(この道、渋谷で青山通りから玉川通りに名前が変わるというややこしさだ)で、腹筋の「6(シックス)パック」よろしく、6つに分断されたのだった。昭和末期頃の渋谷はこうだ。
6つに分断された渋谷
渋谷は高低差があるだけでなく鉄道や道路によって6つに分断された街になってしまった。6つの地区を互いに行き来するのが難しい
その頃の渋谷駅前がどうだったか整理してみよう。
渋谷駅に初めてできたビルが東横百貨店(現東急百貨店東横店東館)で、なんと戦前の1934年(昭和9年)。続いて、戦後の1954年(昭和29年)に現在の東急百貨店東横店の西館が増築され、1956年(昭和31年)には東口にプラネタリウムと映画館でにぎわった東急文化会館がオープン。1964年(昭和39年)に渋谷インターチェンジなど首都高速3号線の一部が開通し、1965年(昭和40年)には西口に渋谷東急ビル(のちの東急プラザ渋谷)が、1970年(昭和45年)に東急百貨店東横店南館がオープンする。
1956年開業の東急文化会館(2003年撮影)。現在はここに「渋谷ヒカリエ」が建っている(写真:荻窪圭)
その後1999年に西口のスクランブル交差点向かいにQFRONTが、2000年に井の頭線渋谷駅を内包する渋谷マークシティが開業したものの、多くの人にとっての渋谷駅は1970年に完成していたといっていい。
でも、建設から50年以上たって老朽化も目立ちはじめ、増築を重ねた斜面の温泉旅館のような迷宮っぷりは探索するには楽しいものの、日常的に利用する人には不便極まりなく、谷地形からくる浸水被害も問題となっていた。
そろそろ建て替えの時期だが、個別に建て替えていては今までと同じ。そこで駅前地区の「特定都市再生緊急整備地域」として一気に手を付けることにしたのが渋谷駅周辺改良プロジェクトである。
商業施設がどうなり、経済効果がどう、という話はおいておき、駅の利用者が一番気になる「最終的に渋谷駅の動線はどうなるの? 渋谷駅周辺の分断はどうなるの?」という利用者目線で見てみたい。
東急文化会館から渋谷ヒカリエへ
渋谷駅周辺の再開発で最初に手が付けられたのが東急文化会館。何しろ開業が1956年である。築45年を優に超えている。これが取り壊され、渋谷ヒカリエが誕生したのが2012年。最初がこれだったのがよかった。何がいいって、渋谷ヒカリエの渋谷駅側がガラス張りで、駅再開発の様子がよく見えたからである。
地上にいると工事のフェンスで視界が遮られるので全体像が見えないのだ。渋谷駅がスクラップ&ビルドされていく様子を渋谷ヒカリエから撮った写真をどうぞ。
13年に東急東横線が明治通りの地下へ移設されて副都心線とつながり、旧東急東横線渋谷駅の解体がはじまる。
完成直後の渋谷ヒカリエ。2012年撮影(写真:荻窪圭)
2013年、渋谷ヒカリエから撮影した渋谷駅。まだ東急百貨店東横店東館が残っている(写真:荻窪圭)
そういえば、東急百貨店東横店東館屋上に「東横稲荷神社」(デパートの屋上に商売繁盛を祈って稲荷神社を勧請するケースは多い)があったけどどうなったのだろう。
在りし日の東急百貨店東横店東館屋上に鎮座していた「東横稲荷神社」。2012年撮影(写真:荻窪圭)
東急百貨店東横店屋上から。左手に完成したばかりの渋谷ヒカリエが見える。2012年撮影(写真:荻窪圭)
2015年、東急百貨店東横店東館がなくなった渋谷駅。ずいぶんすっきりしてしまった(写真:荻窪圭)
かくして渋谷駅東側は渋谷ヒカリエへの通路と銀座線を残して更地となり、15年には東急百貨店東横店の地下を流れていた渋谷川が下水道施設に変更されて、少し東へ移動。さらに地下に水害を防ぐための地下貯留槽が造られることになる。
渋谷川移設工事の位置図。かつての渋谷川は東急百貨店東横店東館の地下を流れていた。このため東館には地階がなかった。今回の工事では、渋谷川のルートを東側に移した(図:渋谷駅街区土地区画整理事業共同施行者をもとに編集部で改変)
その工事の際、渋谷川が一部地上から見える、というので騒ぎになった……いやなってないか、とりあえず暗渠(あんきょ)好きの間ではかなり話題になり、わたしもわざわざ見に行ったのである。
2014年、渋谷ヒカリエから見た一瞬だけ顔を出した渋谷川(写真:荻窪圭)
2014年、渋谷駅南口歩道橋から見た一瞬だけ顔を出した渋谷川(写真:荻窪圭)
実は、わたしはたまたま16年に開催された、工事中の地下や東横店をめぐるツアーに参加したので、渋谷川を地下から見上げた経験がある。上方にあるコンクリートの四角いブロックのように見える部分が渋谷川だ。
工事中の渋谷駅東口地下。丸い柱で支えられている四角いブロックの部分が渋谷川。工事が終了するとこの場所は東口地下広場として使われる(写真:渋谷駅街区土地区画整理事業共同施行者)
12年からは一番渋谷駅の動線が複雑化し、利用者を混乱させるようになった。数カ月おきに他線との改札間の動線が変わり、昔の感覚で歩いていると以前は通れていた通路が通れなくなっていたりする。標識に従って歩かないとどうしようもないという状態になっているのである。
主要施設を稼働させながら再開発するので、ここを工事している間は通路はこちら、次はこちらを工事するので通路はこっち、と迷宮化するのはしょうがない。とはいえ、渋谷駅は分かりにくいので使いたくない、といわれてもしかたない感じもする。このころは完成しているのは「渋谷ヒカリエ」のみで、「東横線ホームが遠くて不便になった」という印象しかなかったんじゃあるまいか。
東横線渋谷駅が地下深くになり、上下の移動も大きくなった上に、頻繁に動線が変わるので、利用者は最終的に渋谷がどうなるのか見えないまま動かされてストレスを感じていたはずだ。この先渋谷はどうなるのか。再開発が完成したとき、動線は改善されるのか。分かりやすく無駄なく行き来できるようになるのか。気になって仕方がないところである。
そこで今回、東急株式会社や東急不動産を取材してきた。
出てきたのが「アーバン・コア」と歩行者デッキという2つのキーワードだ。次回はアーバン・コアを軸に、渋谷の再開発をひもといていく。
東口地下広場や地下貯留槽も建設中
渋谷の再開発というと、高層ビル群を中心としたものに目がいきがちだが、地下も大きく変わろうとしている。その1つが渋谷駅東口の地下の整備だ。東急百貨店東横店東館の地下を流れていた渋谷川の流れを東に移動させるとともに、新たな施設を建設している。
それが19年11月に一部供用を開始する渋谷駅東口地下広場だ。広場の頭上に渋谷川が流れるこのスペースは、東急東横線、田園都市線/東京メトロ副都心線、半蔵門線など地下駅の改札とJR線などの地上駅や東口バスターミナルといった周辺施設を結ぶ乗り換えの要所になるはずだ。渋谷スクランブルスクエアなど周辺のビルとも連絡する。また、都営バス定期券発売所兼案内所と情報発信や観光案内機能を持つカフェなどが設置される予定だ。
さらにその下には、大雨時に雨水の暫定貯留を行う容量約4000立方メートルの貯留槽が造られる。すり鉢状の地形の底にある渋谷駅周辺は、たびたび水の被害を受けてきた。この施設の完成で、その被害を少しでも減らすことを目指している。
渋谷駅東口地下広場の断面図。東口地下広場の上に渋谷川が流れている。地上に見えるのは東京メトロ銀座線の新駅(図:渋谷駅街区土地区画整理事業共同施行者)
渋谷駅東口地下の断面図。東口地下広場の下、地下約25メールのところに地下貯留槽が造られている(図:渋谷駅街区土地区画整理事業共同施行者)
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