1805年(文化2年)の目黒筋御場絵図を見ると、高輪大木戸のあたりから街道の海側にはずっと石垣が描かれている。石垣で補強する必要があるくらい、海ギリギリのところを街道が通っていたのだ。

1805年(文化2年)の目黒筋御場絵図
1805年(文化2年)の目黒筋御場絵図
1805年(文化2年)の目黒筋御場絵図(国立公文書館デジタルアーカイブより)の高輪あたり。東海道の海側は石垣で護岸補強されていた
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 明治になると、その街道のさらに海側に築堤してそこに鉄道を通したのだからえらいもんである。当時の錦絵には、その頃の風景を題材としたものが数多くある。下の「東京名勝高縄鉄道之図」には、海のそばの街道、そこから少し離れた海に造られた堤を走る鉄道、そして沖合の台場が描かれている。

高輪の沿岸を走る蒸気機関車を描いた「東京名勝高縄鉄道之図」(国立国会図書館デジタルコレクションより)。左手に高輪大木戸と石垣が見える
高輪の沿岸を走る蒸気機関車を描いた「東京名勝高縄鉄道之図」(国立国会図書館デジタルコレクションより)。左手に高輪大木戸と石垣が見える
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 日本初の鉄道が敷かれてから約150年、高輪の、かつて海だった場所に、モダンな高輪ゲートウェイ駅がオープンしたのである。

 ただ、長らく分断されていた高輪地区と埋め立て地(港南地区)が道路で結ばれて、開発も一段落となるにはもうしばらく待たないといけないようだけど。

(次回 「高輪ゲートウェイ駅 第3回」に続く)

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