江戸の玄関口「高輪大木戸」、東京の玄関口「高輪ゲートウェイ」
では最後に、高輪ゲートウェイ駅の名前の由来として引き合いに出される「高輪大木戸」の話をしよう。JR東日本は高輪ゲートウェイ駅の名前を発表したときに、いろいろ異論が出ることを意識してか、駅の命名理由に「この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口としてにぎわいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています」と説明している。ここに出てくる「江戸の玄関口(ゲートウェイ)」は高輪大木戸のことだ。
話は江戸時代。
高輪大木戸は各街道に設けられていた、江戸への出入りを管理する門の1つ。旧東海道にあった大木戸だ。昼間は自由に行き来できるが、毎日「暮れ六つ」(およそ日没時)に閉められていた。江戸を守るための重要な役割を果たしていたのである。
それが置かれていたのは、高輪ゲートウェイ駅の少し北、高輪橋架道橋から第一京浜(旧東海道)に出てすぐだ。品川宿から来た人はここを越えると「江戸に着いた」と実感したことだろう。まさにゲートウェイだ。
今でも大木戸の両側に造られた石垣の片方が史跡として保存されている。その石垣を避けるように、歩道が少し迂回している。当時、この石垣の外側は海。出入りを管理するにはちょうどよい場所だったのだ。
1723年(享保8年)の江戸絵図を見ると、しっかり大木戸の石垣と「札の辻」と書かれた高札場(こうさつば)が描かれている。
ちなみに現在「札の辻」という名の付いた交差点は大木戸より700メートルほど北にある。江戸時代初期にはこの「札の辻」交差点付近に高札場があったのだ。だが、1683年(天和3年)に今の高輪大木戸の場所に移された。でも、初代の札の辻は「元札の辻」と呼ばれ続けたせいか「札の辻」名前が定着してしまい、明治には「元」が取れて「札の辻」となって、今も地名として使われている。ちょっとややこしい。
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