JR東日本があえて「ゲートウェイ」にこだわったわけ
その後の古い地図を時代ごとに細かくチェックしていくと、埋め立て地が鉄道省(のちの国鉄、今のJR)の車両基地になり、その先がさらに埋め立てられて下水処理場や工場ができ、さらに埋め立てられて貨物港ができ、貨物線ができ……と発達していったことが分かる。この変貌は前回紹介した地図を見ていただければよく分かる。
そして、今では、埋め立て地(港南地区)にオフィスビルができ、マンションも建てられている。明治初期の人たちはここに人が住み、学校が建てられるとは思っていなかっただろう。となると、車両基地による東西の分断が不便になってくる。いつまでも「高輪橋架道橋下区道」のような狭いガード下の道路しかないのはまずいだろう。
一方、時代の流れとともに品川に留置しておかねばならない列車の数が減り、大規模な車両基地は郊外へ移せるようになった。車両基地に自由に使える土地が生まれたのだ。これを活用すべく計画されたのが、「グローバルゲートウェイ品川」なのだ。今や都心にこんなまとまった土地はそうそう出てこない。
そして2014年に車両基地跡の利用計画が発表され、16年に駅の概要が発表され、17年に工事が始まり、20年3月に駅が暫定開業したのだ。そして24年にゲートウェイ品川の第1期(1街区~4街区)が完成する。残る5街区と6街区は、品川駅大改造と連携して27年ごろの完成を目指す。
こうしてみると、高輪ゲートウェイ駅は「駅ありき」ではなく、田町車両センター跡地の開発計画がまずあり、そのために(といっては乱暴だけど)山手線の駅間で2.2キロメートルともっとも長かった「田町駅~品川駅間」に新駅を造ることにしたのだなと感じる。
過去からの地名(例えば高輪)を駅名に使わないわけにはいかないにしても、再開発のシンボルとなる言葉は外せない。それが「ゲートウェイ」だったのだ。開発計画の趣旨に上げられているように、目指すのは「世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点」であり、東京の“玄関口(ゲートウェイ)”なのだから。
その駅は、6種類のロボットを使ったり、無人のコンビニエンスストアを設置したりするなど新しいハイテクな試みをする場としても活用される。未来の駅へいざなう入り口(=玄関口)的な役割を果たすことも狙っているのだろう。
そんなことを思いつつ新しい駅を見ると、今までの駅とはいささか異質であり、「高輪ゲートウェイ」という山手線・京浜東北線の駅らしからぬカタカナ系ネーミングになったのもなんとなく納得できてしまう。
東京の玄関口を目指すグローバルゲートウェイ品川は品川駅大改造と連携して進む。先行開発される1街区~4街区の南側にできる5街区と6街区は、品川駅に新設される北口改札と北口広場につながる。一方、京浜急行品川駅は地上に移設され、ホームはJR線と同じ高さで並ぶことになる。これにより、現在、JR線をまたいでいる自由通路を、京急線の上まで伸ばせるようになる。この通路は第一京浜をまたぐ歩行者用空中デッキにつながる。空中デッキは新設される北口とも結ばれる予定だ。品川駅東側の港南口の地下40メートルにはリニア中央新幹線の品川駅が建設中だ。いずれも27年ごろの完成を目指している。渋谷駅周辺の再開発が一段落するときとほぼ同じだ。
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