日本初の鉄道が引かれ鉄道橋ができた時は6メートルあまりの幅(鉄道用築堤の幅)しかなかった水路が、埋め立てによって、どんどん長くなっていく。しかも上には線路が敷かれているのだから、当然トンネル化する。そしてある時、埋め立てられて道になった。
ただ、それはいつかは分からない。港区では引き継ぎ文書で大正期と伝えられてきたようだが、それを明確に裏付ける史料はないという。正確なところは謎なのだ。
グローバルゲートウェイ品川開発で通路はどう変わる?
いずれにせよ、その後、この細い道を車が頻繁に通行するようになるとは思わなかったろう。広大な車両基地で東西に分断されたこの地で生活したり仕事をしたりする人たちにとっては貴重な通路だ。
そして、この道は高輪ゲートウエイ駅を抱えるグローバルゲートウェイ品川の開発とともに4月12日に車両通行止めとなる予定だ。ただし、当面、歩行者、自転車(押し歩き)の通行はできるらしい。
日本初の鉄道が海に造られた築堤の上を走っていた時代から、沖合が埋め立てられ、広大な車両基地が造られ、東京の“玄関口”を目指すグローバルゲートウェイ品川の開発が始まるまでを経験してきたこの道(水路)は、これからどうなるのだろう。
そして、広大な車両基地によって東西の行き来が不便だったこの地は、グローバルゲートウェイ品川という巨大再開発によって、どう変貌するのか。高輪橋架道橋の行く末も含め、次回はそのあたりを追いかけてみる。
(次回 「高輪ゲートウェイ駅 第2回」に続く)
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