その後、ここが「提灯(ちょうちん)殺しのガード」として有名な場所だと知った。通路の上にある橋桁が低いため、タクシーの屋根についている表示灯「ちょうちん」がぶつかってしまうからだそうな。ガードの高さ制限は1.5メートル。内陸側からの入り口近くこそ170センチメートルの私が普通に歩ける高さだが、それ以外の部分はもう一段低い。腰をかがめて歩かないと橋桁にぶつかりそうになる。

高輪橋架道橋ガードの内陸(第一京浜)側の入り口。2007年撮影
高輪橋架道橋ガードの内陸(第一京浜)側の入り口。2007年撮影
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高輪ゲートウェイ駅周辺図
高輪ゲートウェイ駅周辺図
高輪ゲートウェイ駅周辺の地図。品川駅東口側から線路の東側を北上すると、札の辻に行ける札の辻橋まで線路をまたぐ大きな道路はない。その途中にあるのが「高輪橋架道橋」だ。ちなみに旧東海道(第一京浜)を境に東側(海側)は標高が低い(白く表示)。台地となっている西側とは大きく地形が異なる。東側はかつては海で、埋め立てられた場所だからだ
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 なんとかガード下を通り抜けると、第一京浜の地下を走る都営浅草線の泉岳寺駅あたりに出た。そして、品川駅の八つ山橋と田町駅の南にある札の辻橋の間で線路を横断できる場所はこの狭くて低いトンネルしかないことに改めて驚いた。しかも自動車だと、海側に向けての一方通行だ。

 つまり、広大な車両基地が線路の東と西を完全に分断していたのである。

 なぜこんな不便なことになってるんだろう。なぜここにこんなトンネルが生まれたのだろう?

“橋”が2つ付く「高輪橋架道橋」の名前の由来は?

 そもそも“橋”の字が2つも付いている「高輪橋架道橋」ってどういう意味なのか?

 高輪ゲートウェイ駅を考察するならそこを無視しては進めないと勝手に思い、調べてみた。

 まず、大正末期の東京区分地図から「芝区」(のちに麻布区と赤坂区と合併して港区となった)を見てみる。

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