高輪ゲートウェイ駅周辺の特異な空間は車両基地だった

 高輪ゲートウェイ駅が暫定開業する1カ月ちょっと前に新駅周辺を訪れてみると、なんとも不思議な光景が広がっていたのである。

 高輪ゲートウェイ駅は田町駅と品川駅の間にある。ここらは旧東海道である第一京浜(国道15号線)とJRの各線路が並行して走っている。このため品川駅も田町駅も第一京浜に面しており、道路からすぐアプローチできる。交通の大動脈である東海道を補完する形で線路が敷かれているのだ。

 でも、高輪ゲートウェイ駅は第一京浜から直線距離にして140メートルほど奥まったところに作られている。

 高輪ゲートウェイ駅ってどこにあるのだろうと探しながら第一京浜を歩くと、ビルの隙間からポツンと建っているモダンな建物が見え隠れしてびっくりする。第一京浜沿いに並ぶビル群がモダンな駅舎を道路から隠していたのだ。

 なぜそんな場所に駅なのか。そもそもそこはなんだったのか、なぜそんな土地があったのか。

第一京浜側の線路脇から見た高輪ゲートウェイ駅(ビル群の手前中央)。駅舎は第一京浜から東側に140メートルほど入ったところにある
第一京浜側の線路脇から見た高輪ゲートウェイ駅(ビル群の手前中央)。駅舎は第一京浜から東側に140メートルほど入ったところにある
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 そこには広大なJRの車両センターがあったのである。特に品川駅の北側は品川車両基地と呼ばれ、多くの車両が留置されていた。普段は見かけない特急列車やら寝台列車やらが留置されていて、新幹線の窓からよく見えた記憶がある。

 その広大な車両基地の一番西側(第一京浜に近い側)を山手線と京浜東北線の北行きが走り、車両基地の東側(海に近い側)を京浜東北線の南行列車や東海道本線、東海道新幹線が走っていた。その間にあった車両基地の東側に高輪ゲートウェイ駅が造られたのだ。ちなみに、山手線や京浜東北線の北行きの線路があったところは、ほぼほぼ、日本最初の鉄道が走っていたところなのだ。

線路をくぐる低くて狭い「高輪橋架道橋」通路

 車両センターの広大さを実感したのは、品川駅の北で、線路を越えようとしたときだ。

 今を去ること13年前、07年のこと、たまたま自宅のある世田谷区から自転車で品川駅東口側にある品川インターシティを訪れた時(そこにあるカメラメーカーに仕事で訪問したのだ)、行きは品川駅の南側(つまり八ツ山橋側)から線路を越えてアプローチしたので、帰りは品川駅の北側のどこかで線路を越えて帰ろうと思ったのである。

 品川駅東口から線路を越えられる場所はないかと北上したのだが、越えられるような気配がない。線路を越えるには、田町駅の南にある札の辻橋を渡るしかないかと諦めかけたところに、低くて狭くて暗いトンネルが現れたのである。

 品川駅から北へ約1キロメートルのところにある、「高輪橋架道橋」のガード下(高輪ガード)である。

海側から高輪橋架道橋ガードへのアプローチ道路。知らないと怖くてつっこめない作りだ。入り口の上を走るのは新幹線だ。2007年撮影
海側から高輪橋架道橋ガードへのアプローチ道路。知らないと怖くてつっこめない作りだ。入り口の上を走るのは新幹線だ。2007年撮影
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 これがまた高さがない上に雰囲気が怪しい。当時はこのトンネルのことをよく知らずに自転車ですっと飛び込んでしまった。ところが進んでも進んでも出口に着かない。その長さは約230メートル。そんな空間なのに人が結構歩いてるし、車も通路の上の橋桁をこすりそうにしながら通っている。そんな中、頭上を列車が頻繁に通るので、振動や音も大きくてドキドキする。

 東京にはすごいところが残ってるもんだと驚いたものである。

自動車は一方通行となっている高輪橋架道橋下区道。こんなとこ通り抜けられるのかよー、と思った。2007年撮影
自動車は一方通行となっている高輪橋架道橋下区道。こんなとこ通り抜けられるのかよー、と思った。2007年撮影
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