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 大型開発プロジェクトで変貌しつつある東京。その注目エリアをピックアップし、地域の歴史や地形と絡ませながら紹介していく連載です。現地に残る史跡、旧跡のルポも交えて構成。歴史好きの人のための歴史散歩企画としてもお楽しみください。変貌する「ネオ東京」の“来し方行く末”を鳥瞰(ちょうかん)しつつ、その地の歴史的、地勢的特性を浮き彫りにします。

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 渋谷駅は迷宮である。東京には迷宮扱いされる駅がいくつかあるが、渋谷駅がそれらより複雑なのは立体的な動きが加わるからだ。

 平面的に見るだけでもいろいろと迂回が必要でややこしいのだが、そこに地下5階から地上3階までの上下が加わるのだ。

 正確かつ精緻で立体的な駅構内図が毎回作られるのだけれども、平面移動に上下移動が加わるものだから、それを1枚の図に凝縮されても「ああ複雑だな」と思うだけで脳が理解を拒否しそうになるレベルである。

 私のように会社勤めしていない人間は「迷宮だあ」と言っていれば済むけれど、最短距離で素早く乗り換えたい人にとっては大事な問題。2020年1月3日の東京メトロ銀座線の渋谷駅移設にともなってまたぞろ注目を集めているのが渋谷駅乗り換え動線問題だ。

 なぜこんなややこしい動線になっているのか。

 「渋谷駅乗り換え物語」と題して、渋谷駅への各線乗り入れの変遷をたどってみると、非常に興味深い歴史が出てきたのだ。

 80年ほど前、渋谷駅の動線は一度、強引かつきれいに整理されていたのである。

昭和初期、玉電は渋谷駅を西から東へ、市電は東から西へ抜けていた

 渋谷駅が作られたのは明治18年(1885年)だが、駅が現在の場所に移動し、各路線が集結を始めたのは大正時代である。たまたま昭和初期に刊行された渋谷区詳細図を持っていたので、その時代の渋谷駅周辺を見てみよう。

昭和11年ごろの渋谷駅周辺
渋谷の西側からは帝都電鉄と玉川電車、東側には宮益坂から市電が山手線をくぐって西口へ入り込んでいる。東急東横線は東横百貨店をターミナルとした駅だった。玉川電車は山手線をくぐり、南下、途中分岐して天現寺方面と中目黒方面に延びていた。昭和11年ごろ(推定)の渋谷区詳細図より

 地図に発行年月日が書かれてないのだが、恐らく昭和11(1936年)のものと推測される。銀座線が開通する前の渋谷駅だ。まず山手線渋谷駅と東京横浜電鉄(今の東急)東横線渋谷駅。駅舎の一部は東横百貨店(旧東急百貨店東横店東館)の2階に含まれていた。東横百貨店の開業は昭和9年(1934年)のことだ。

 ちょうど同じ頃の昭和8年(1933年)に帝都電鉄(現在の京王井の頭線)渋谷駅が開業している。ちなみに玉川電気鉄道玉川線(通称玉電)の渋谷駅開業が明治40年(1907年)で、それが中目黒まで延伸したのが昭和2年(1927年)だった。