日経ビジネス、同電子版(旧日経ビジネスオンライン)で人気を博した懐かしの企画について、執筆者本人に舞台裏を聞く本コラム。第3回は「日経ビジネス」1992年12月21日・28日号に掲載された「コニカ 『撮りっきり』を小型化 シェア奪回の突破口に」だ。情報として古過ぎると言うなかれ。デジタルカメラが生まれる前の昔、レンズ付きフィルムという当時の成長市場を舞台に、コニカ(現コニカミノルタ)が巨人・富士写真フイルム(現富士フイルム)に挑んだ死闘は、「商品開発とは何か」を考える上で様々な気付きを今なお与えてくれる。筆者の鈴木信行副編集長とともに、内容を振り返る。
(聞き手は山崎 良兵)
「あの企画の舞台裏」第3回の題材は、「日経ビジネス」1992年12月21日・28日号に掲載された「コニカ 『撮りっきり』を小型化 シェア奪回の突破口に」です。って、いくらなんでも古過ぎるでしょうが(笑)。ほぼ30年前の記事じゃないですか。
筆者:ほぼ新人の時に書いた記事です。
だいたい今の若い人はデジカメやスマホカメラの世代で、富士フイルムの「写ルンです」のような「レンズ付きフィルム」に触ったことすらないのでは。そもそも2019年の今、「撮りっきりコニカ」のヒットの秘密を知りたいと思う日本国民が何人いると思っているんですか(笑)。
「写ルンです」は根強い人気で、今も市販されている! (写真:PIXTA)
筆者:一方で、経営や商品開発の本質は20~30年では変わらないとも聞きますよね。
まあ。では見てみますか。「日経ビジネス」1992年12月21日・28日号に掲載された「コニカ 『撮りっきり』を小型化 シェア奪回の突破口に」です。どうぞ。いくらなんでも古過ぎると思うけどなあ……。
マーケティング
「コニカ 『撮りっきり』を小型化 シェア奪回の突破口に」
(1992年12月21・28日号)
(書き手は鈴木信行)
4月に発売したレンズ付きフィルム「撮りっきりコニカMiNi」がヒット、販売網を広げている。富士写真フイルム(以下、富士写)にシェアを逆転されてから40年、ようやく追撃の突破口がみえてきた。
コニカがレンズ付きフィルムで富士写真フイルムの販売網の一角を突き崩した。今年4月、従来品より一回り小さいことを売りに発売した「撮りっきりコニカMiNi」が、富士写の独壇場だったコンビニエンスストアや観光地などの販売ルートに食い込んだからだ。
コンビニはレンズ付きフィルムの主要販売チャネル。国内で販売される年間6000万本のレンズ付きフィルムの約2割を売る。にもかかわらず昨年までコニカ製品は、ローソン、サンチェーンというダイエー系列の2チェーン以外ほとんど置かれなかった。ところが「MiNi」は、発売後4、5カ月でセブン-イレブンなど大手10チェーンが取り扱いを開始。現在、全国2万数千あるコンビニの7割の店舗で売られている。
同じく全本数の2割が売れる観光地でも、富士写の「写ルンです」しか 置かなかった売店やキオスクが秋以降、一斉に「MiNi」を店頭に並べ始めた。ほとんど見かけなかった専用自動販売機も、首都圏近郊のテーマパークなどを中心に、設置台数が1000台にまで 急伸。来年も関西地区を中心に、新たに数百台設置する予定だ。
カメラ専門店や量販店など既存ルートでも状況は同じ。ヨドバシカメラなど大型店では、昨年までコニカのレンズ付きフィルムの店頭構成は1~2割程度だったが、現在、5割近くまで上昇している。
「写ルンです」と明確に差異化 売れ行きはほぼ互角との声も
販売網の拡充に伴い、売り上げも増加。レンズ付きフィルム全体の1992年度の売上高は、91年度に比べ50%増え、150億円を超えそうだ。昨年までは従来品の「ナイスショット」に「パノラマメイト」を合わせても、月産80万本がやっとだったが、現在 「MiNi」だけで月産120万本を超える。来春までにはこれを160万本に引き上げる。
シェアも徐々に動きつつある。富士写は「『MiNi』の勢いはあくまで首都圏のほんの一地域だけの現象。『写ルンです』の国内市場シェアは依然85%はある」(広報室)と説明するが、流通サイドでは「すでに売れ行きはほぼ互角」(木村迪夫・カメラのきむら会長) との声が多い。コニカは「92 年度のシェアは25%を超える」(日比野繁雄・営業部局)とみている。
「とにかく徹底的に小さくしたことが『写ルンです』 との商品差異化につながり、流通を動かした」と松本良一常務は言う。 87年にレンズ付きフィルム市場に参入して以来、コニカはシェア10%台で、苦戦してきた。既存のフィルム販売ルートに流すだけでは富士写にかなわない。コンビニなど、既存ルートでない販売チャネルを持つ以外、打開策がないのは分かっていたが、86年発売の「写ルンです」がすでに市場を席けんしており、「似たような製品を置いても商品回転率が悪くなるだけ」と相手にされなかった。
何とか「写ルンです」と差異化しようと、88年から90年にかけて3回モデルチェンジを実施。本体にヒモを付けたり、本物のカメラのようなデザインにしたりするなど工夫したが、いずれも「的外れで、中途半端」(カメラ専門店幹部)に終わった。
「もっと小さく、軽くしてほしい」──。レンズ付きフィルムユーザーの 5割を占める主婦や若い女性の声をもとに「MiNi」の開発がスタートした のが90年11月。「どうせやるなら一目見て、『写ルンです』との違いが分かるように、 ワイシャツのポケットに入るほど小さくしなければ市場に受け入れられない」(松本常務)と、開発、生産、営業、マーケティングの各部隊から数人ずつ総勢15人のプロジェクトチームを結成した。
3カ月にわたり議論を重ねた結果 通常の35ミリフィルムを使っていては小型化に限界があると判断。専用の小型フィルムを独自に開発し、搭載することにした。フィルムは普通、約120ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)のベースに感光乳剤を塗布して作るが、このベースを10ミクロン薄くした。これでフィルムの直径を従来の25ミリから20ミリにした。
また、本体の厚みを減らすにはレンズからフィルムまでの焦点距離を短くしなければならない。広角レンズを採用 することにした。さらに部品点数も7点から4点に削減した。こうして91年8月、従来品より30%体積 が小さく20グラム軽い、「『写ルンです』と一目で違いが分かるレンズ付きフィルム」(井沢清・マーケティング部長)が試作できた。
富士写が追随しないと確信 商品化を決断
それでも、商品化に踏み切るには問題もあった。まず、専用フィルムの開発費や広角レンズの搭載は「従来品と同じ利益率を維持しようとすると、価格を1~2割上げなければならない」 (井沢部長)ほどコストを押し上げる。「写ルンです」に対抗するには価格は当然据え置かねばならず、利益率は確実に低下する。
また、設計上、24枚撮り用しか作れない。専用フィルムの大きさでは、36枚撮り分のフィルムを巻き込むのは無理。長期の旅行などに持っていく場合は不便だ。
商品化を決断したのは、富士写が追随してこないという強い確信だった。富士写は今、米イーストマン・コダック、キヤノン、ミノルタカメラ、ニコンの4社と共同で次世代写真フィルムの開発に取り組んでいる。
プロジェクトが明るみに出たのは今年3月。しかしコニカは、各社が出す特許内容をチェックし、2年ほど前からそうした動きがあることに気付いていた。コニカは、次世代フィルムが主に次の3点を改良すると予想した。まず、端を磁気化し何らかの記憶機能を付ける。そして、フィルムのリード部分をなくし円筒型にする。さらに、単3 形乾電池程度まで小型化する──。コニカは第3の改良点に目を付けた。
「写ルンです」を「MiNi」と同じ大きさにするには専用小型フィルムの 開発、投入は不可欠だ。しかし、異なった規格のフィルムの投入には大きな労力がいる。既存の現像機で処理しにくい場合は、全国700の現像所と1万4000のミニラボから一斉に反発されかねないからだ。
「MiNi」が搭載する専用フィルムも、そのままでは自動処理は無理。そのため90年の開発開始と同時に対策を練り、今年2月、現像時にアダプターを付けて通常の35ミリフィルムと同じ大きさにして処理してもらうことに決定。発売前、2カ月かけて全国の現像所にアダプターを配った。
5社連合は遅くても数年先には次世代フィルムを商品化するとみられる。その時にはアダプターの配布どころか、「今の現像システム自体を大きく変えねばならない可能性もある」(井沢部長)。「富士写がレンズ付きフィルムを小型化するためだけにわざわざ、直径20ミリ程度の中途半端な大きさのフィルムを開発投入して、現像所を混乱させるようなことはしない」(松本常務)と読んだ。
結局、読み通り富士写は、「MiNi」に競合する小型レンズ付きフィルムの投入を凍結。代わりに、従来より3枚多く撮影できるのが売り物の「写ルンです・エコノショット」を7月に発売して対抗するにとどまった。
35ミリフィルムの取り扱い 一緒に増やす小売業者も
「パノラマタイプや標準タイプなどハンドバッグに2~3個入れて持ち歩ける」、「デザインがかわいい」──。「写ルンです」にない小ささに引かれ、 「MiNi」を指名買いするユーザーが若い女性を中心に急増したことが、これまでコニカ製品を扱わなかった小売業者を動かした。富士写が追随していれば「MiNi」のヒットはなかった、といえる。
ただ、コダックや富士写が実際に次世代フィルムを商品化すれば、「MiNi」は商品価値を失いかねない。コダックと富士写を合わせた世界シェアは90%近くある。
次世代フィルムはそのまま世界標準になり、レンズ付きフィルムもすべて「MiNi」より一回り以上小さくなる。そうなればコニカも新モデルの開発を余儀なくされよう。
また、レンズ付きフィルムはコニカの総売上高の4%程度を占めるにすぎず、「MiNi」の健闘も不況下での業績低迷を下支えするほどの力強さはない。93年3月期(決算期変更に伴う11カ月決算)の決算予想は売上高が前期比実質10%増の3800億円、経常利益が同10%減の95億円。円高による輸出採算の悪化、複写機などOA機器やカメラの落ち込みから、 3期連続の減益は免れない。
それでも、富士写が独走していた販売チャネルを切り崩した意義は大きい。
91年度のカラーフィルム国内市場で富士写のシェアは73%。これに対してコニカは17%しかない。1873年に小西屋六兵衛店として出発し、日本の写真産業を興したコニカが、これほどの後れを取った最大の要因は、販売力の弱さにほかならない。
1951年、当時の主力「さくらパンFフィルム」の一部に、かびが生える事故が発生。欠陥商品の回収にもたついたのをきっかけにシェアが急落し、富士写に首位の座を譲った。
58年、67年の二度にわたる無配転落と労働争議で、混乱から立ち直れぬコニカを横目に、富士写は着々と系列現像所の全国展開を進め、60年代半ばには整備を終えた。コニカが着手したのは70年代になってからである。この差がその後20年間、重くのしかかった。
富士写が450~500カ所、コニカは220カ所という系列現像所の数の違いが小売業者へのサービスの差につながり、「『フジカラー』だけ扱えばフィルム屋はできる」(小売店幹部)現状をもたらした。フィルム市場が成熟化しつつある現状では現像所は増えず、状況は変わらないとされてきた。
「MiNi」の大健闘は、商品戦略次第では販売網はまだ広がる、ということを証明した。「MiNi」と一緒に、一般の35ミリフィルムの取扱量を増やす小売業者も出てきている。「MiNi」の好調が持続すれば、「フィルム=(富士写の)緑の箱」という消費者の先入観も薄れ、フィルム全体でコニカ浮上の芽が出てくる。
米山高範社長は、創業130年を迎える21世紀初頭に向け1兆円企業を目指す構想を掲げている。そのためにはレンズ付きフィルムを含めたフィルム国内シェアを3割近くまで上げねばならない。(鈴木 信行)
なるほど。30年前の記事なのに、確かに気付きがあった(笑)。
筆者:でしょう。
そもそも20世紀前半のフィルム市場を牛耳っていたのが富士写でなくコニカ(小西六写真工業)だったこと自体、よく知りませんでした。あと、レンズ付きフィルム市場を巡るコニカと富士写の攻防がスリリングで、面白かったです。
筆者:『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』みたいでしょ。
「富士写がレンズ付きフィルムの小型化に追随してくれば、撮りっきりコニカはたちまちせん滅される恐れもある。しかし、5社連合で次世代フィルムを開発していた富士写が直ちに中途半端なフィルム小型化に乗り出すことはない」──。こう考えて「撮りっきりコニカ」の開発に乗り出した決断は確かに見事です。ただ、富士写が追随しなかった理由はそれだけではない気がする。
今だから分かるコニカ作戦の真の中身
筆者:そう。コニカが5社連合の次世代フィルム計画を2年前から見抜いていたように、富士写も「撮りっきりコニカ開発計画」を察知していたはず。それでも動かなかったのは「次世代フィルム量産の暁には、コニカなどあっという間にたたいて見せるわ」という自信があったからでしょう。だから「撮りっきりコニカ」試作機を強奪するようなこともせず、事態を静観した。そして、レンズ付きフィルム市場のシェア争いという視点で見れば、その判断は100%間違ってなかった。
ところがコニカ作戦の真の狙いは、レンズ付きフィルムのシェア向上ではなく、むしろ40年間、何やっても効果がなかった富士写の鉄壁の販売網を、一角でもいいから突き崩すことにあった、と。
筆者:そんな読み合いの果てに、コニカは「撮りっきりコニカ」を史上最強の富士写販売網上に落下させることに成功した、という話です。
そうやって両社が死闘を繰り広げたフィルム市場も今では、技術革新によって「兵(つわもの)どもが夢の跡」、というわけですか。ただ、「写ルンです」はまだ市販されているみたいですよ。フィルムカメラで撮影して写真を現像したいという人は今でもいるようです。
筆者:フィルムで撮影した紙焼きの写真は家にありますか。
最近の家族写真などはデジタルですが、実家に帰ればあると思います。
筆者:その中に同窓会の写真はありますか。
同窓会!?
筆者:はい。
探せばあると思いますよ。
筆者:本当ですか。ならば、何枚ありますか。
アナタは家に「同窓会の写真」は何枚あるか
数えたことはないですけど、ありますって。
筆者:本当に積極的に同窓会に顔を出し、記念撮影に笑顔で写りこんでいますか。
たぶん…。あのーもしかして私のこと「同窓会に行けない症候群」だと思っているんじゃ……。
筆者:……。
……。
『同窓会に行けない症候群』いよいよ発売!
日経ビジネスから
『同窓会に行けない症候群』
を刊行しました!
2017年『宝くじで1億円当たった人の末路』がシリーズ18万部のベストセラーになった著者の2年ぶりの最新作! テーマは「同窓会」です。
同窓会という言葉を聞くと、あなたは何を思い浮かべますか?
「勉強が得意だった学級委員長」「腕っぷしの強い番長格」
「運動神経にたけた人気者」「アイドルだったあの子」……。
懐かしいたくさんの同窓生の顔とともに、
「体育祭」「文化祭」「修学旅行」「恋愛」などの
甘酸っぱい思い出が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
あいつ、今どうしてるんだろう?
昭和の時代までは、多くの人がこぞって参加していた同窓会ですが、
平成の30年間で、驚くほど様変わりしています。
「大勢が集まる同窓会にはもう参加したくない」
そう考える人が大幅に増えているのです。
なぜ今になって同窓会に行かない人が増えているのか──。
本書はこの“謎”に深く切り込み、平成30年間の企業文化や社会構造の変化を分析することで、裏側にある理由に迫ります。
「出世できなかった」「起業に失敗した」「好きを仕事にできなかった」……。
それぞれの事情を、多角的に考察し、「小学生時代にモテた人」「一念発起して起業した人」など様々な人生の末路にも迫ります。
「ベストな人生とは何か」「幸せな生き方とは何か」
自分やクラスメートの人生を考えながら、この本を読めば、生きるための何がしかのヒントがきっと見つかるはずです。
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