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法隆寺金堂釈迦三尊像

 法隆寺は、飛鳥から少し離れた山沿いの斑鳩にあるため斑鳩寺、鵤寺などとも表記された聖徳太子ゆかりの寺院です。ちなみに「いかるが」とは、「いかるという小鳥が住む場所」という意味です。周辺には古墳も多く残っていることから、古くから飛鳥とともに政治的文化的に重要な場所であったことがわかります。『日本書紀』によれば、聖徳太子が605年に飛鳥宮から当地・斑鳩宮に移転し、寺院を建立したと伝えています。

 また同書には、670年にこの寺院が全焼したとの記事があり、再建・非再建の論争が長く続きましたが、1939年の発掘調査で若草伽藍が発見されて、現在の法隆寺西院伽藍は再建されたものであることが分かりました。釈迦三尊像ほか金堂の諸尊像は、この再建時に創建時の様式に倣って再制作されたものではないかとの説もあり、まだ決着はついていません。私見ながら、造形の洗練化や光背銘文の表現などから再建時に再制作された可能性が高いと、私は考えています。

イカル
法隆寺金堂釈迦三尊像

法隆寺百済観音立像

 法隆寺の大宝蔵院には、すばらしい仏像が美術工芸品とともに並んでいます。そのなかでひときわ名高いのが百済観音立像です。像高約210㎝のすらりとしたお姿と優しいお顔に人気があります。もともとは他のお寺に安置されていたものが、廃寺などによって法隆寺に施入されたと考えられています。

 材料技法はクスノキの一木造。クスノキは「くすし木・香りの良い木」が語源で、中国江南地方の仏像用材であった白檀の代用樹として、その香りの良さから用いられたと思われます。クスノキは日本列島の在来種で、朝鮮半島には自生していませんから、百済観音の名称は何時の時代かに他の百済伝来の像と混同されたためと思われ、本像の本来の名称は不明です。左手に蓮華や花瓶ではなく蓋の付いた水瓶をつまんでいることから、弥勒菩薩の可能性も考えられます。

法隆寺百済観音立像