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古墳時代の人物埴輪と飛鳥時代の仏像

 仏像が百済からもたらされるつい一世代前の6世紀前半までは、前方後円墳を飾った人物埴輪が盛んに造られた古墳時代後期でした。では、埴輪と仏像を造った工人は、全く別の人たちだったのでしょうか? 明確な証拠はありませんが、私は何らかの接点はあったと考えています。飛鳥時代に造られた小金銅仏を見てみると、大陸や朝鮮半島で造られたものとは明らかに違う稚拙な造形を持った作例がたくさんあります。埴輪を造っていた工人の末裔が、渡来系工人の作品をまねながら「ろう型鋳造」で仏像を制作していた姿が目に浮かぶようです。このことは、あくまで私の幻影に過ぎませんが……。

人物埴輪
飛鳥時代の素朴な小金銅仏

江南(六朝)および百済系の仏像

法興寺(飛鳥寺)釈迦如来坐像

 飛鳥寺の名で知られる日本最古の寺院は、蘇我氏の氏寺として596年に創建された法興寺です。開基は蘇我馬子で、五重塔を中心に三つの金堂が囲むというたいへん豪壮な伽藍を誇っていました。平城遷都の際に、法興寺は禅院(僧侶が瞑想する堂宇)を中心に新都に移転し官営寺院の元興寺となりました。現在の飛鳥寺本堂に安置されている釈迦如来坐像は、鎌倉時代の落雷によって大きな損傷を蒙り、現在の痛々しいお姿はその後の修理の結果です。それでも、飛鳥様式を伝える杏仁形の眼、筋の通った鼻梁、口角を上げる微笑みの表情は、六朝の石仏などと共通しています。

飛鳥寺釈迦如来坐像