最後の会話

 兄と最後に話をしたのは、いつだったろう。

 7月の中頃、兄が再入院(最後の入院)する前だったろうか。
 たしか、ぼくは自分の部屋のなか、机の前に立ち、茶色いドアにぼんやりと視線を向けながら、30分ぐらい電話を耳にあてていたのだった。

 内容は、まさかそれが最後になるとは考えていなかったから、マルクスの土台上部構造論だの、マンハイムのイデオロギー概念だのと、今こうなってから振り返ると、まったくどうでもいい、つまらないことを、しかしそのときは互いに少し興奮しながら話していたように思う。

 しかし話題は少しずつ移り、やがて、どういう流れだったのか覚えていないけれど(そうだ、その頃は母が高齢者施設に入居する、その準備をしていたはずだから、そんな話題の直後だったかもしれない)、兄が突然大きな声ではっきりと言った。

 「あぁ、歳をとるってやなもんだな」。
 ぼくは、ひどく驚いてしまった。

 ぼくたちの育った家は、巨額の負債を背負ったり離散したりした。その前にも後にもいろいろな経験をしたけれど、兄もぼくも、それらのことを怒ったり嘆いたり恨んだりしたことは、ただの一度だってなかった。

 誰に教わったわけでもないけれど、子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。

 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ。

 とりわけ兄は、そうだった。来るものが来る、それは兄にとっては、新しいゲームの始まりのようなもの。さあどんなふうに乗り切ってやろうか、どう対応すれば面白いだろう、そうだ、こうやってやっつけてやれば、きっとみんな驚くぞ。

 などと想像して目を輝かせ、ワクワクする気持ちを抑えられずにいる。いつも兄は、そんなふうに見えたのだった。

 その兄が、避けることのできない「老化」について、嫌だ、と強い調子で拒んでいる。大袈裟に言えば、その言葉は、ぼくの耳に非現実的な響きを残した。

 戸惑った。兄が今、何を想い何を考えているのか、このときは想像もできずにいた。
 返す言葉も思い浮かばなくて、ただ小さな声で、「だね」と曖昧な相槌を打った。

 兄は、なおも、たかぶる想いが収まらないらしく、追撃するような勢いで「歳はとりたくねえなあ」と続けた。

 応えられずに、ぼくは黙った。
 兄も口をつぐんだ。

 そして、少し間をおくと、兄は普段の自分を取り戻して、自嘲気味に笑いながら、まあ、オレのこの病気も老化かもしれないけど、と付け加えたのだった。

(文:岡 敦)

写真中央が岡さんの弟、岡 敦さん。「人生の諸問題」登場回も再公開させていただきます(写真:大槻 純一、撮影協力「<a href="https://www.facebook.com/cafeannumama/" target="_blank">杏奴</a>」※当時は東京都豊島区のお店でしたが、現在はリンク先に移転されています)
写真中央が岡さんの弟、岡 敦さん。「人生の諸問題」登場回も再公開させていただきます(写真:大槻 純一、撮影協力「杏奴」※当時は東京都豊島区のお店でしたが、現在はリンク先に移転されています)

 最後は、岡さんの同級生にして「人生の諸問題」の相方、小田嶋隆さんです。

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