編集Y:最近、このお話を日本でも指折りの認知症の研究者の方にお聞きしたら「そもそも、症状の進行を自分で把握できる方はめったにいません。実際にはまず無理でしょう」とおっしゃっていました。
小田嶋:そうそう。自分がどれくらいやばいかというのは、なかなか自分では分からないんだよ。
編集Y:その先生によると、「どこからが認知症なのか」という区分も実は曖昧で、「研究者として、今の自分自身を見れば、ああ、俺はゆっくりと認知症になりつつあるな、と考えることもできる」のだそうです。
小田嶋:うーむ。
健康と病気の区分も実はあやふやなものかもしれません。
編集Y:そのグレーゾーンが年とともに広がってくる、ってことでしょうかね。
岡:僕は時々、病院に小田嶋を訪ねて、経過を見ていたんだけど、同世代、しかも昔から知っているやつが入院しているとなると、結構自分の方が調子悪くなるんだよね。
ああ、それは分かる気がします。身につまされるお話ですね。
■「そういう夢」を持って生きねば
岡:小田嶋の病室を訪ねる度に、俺も調子が悪いな……というふうに、だんだん気分がうつってきて。そういうことを感じたのと、あと、全体として思ったのは、もう60歳を過ぎたら、誰でも死はそれほど遠くのものではないな、ということ。
小田嶋:俺は死ぬなんてことはあんまり考えなかったけど、これが厄介な病気だった場合に、仕事を休まなきゃいけないとすると、ちょっと入院費も大変だなとか、入院費が大変なのは何とかなるとして、仮にいかんことになった時に、もしかするとこの出版界の常識としては、かえって需要が高まるという変な話になろうか、ということはちょっと意識したよね。
うーん、そこに行きましたか。
岡:そんなことを意識して、どうするの。
小田嶋:だから樹木希林さんなんかのベストセラーも、まさにそういうタイミングで、その辺のことは、この先ちょっと考えなきゃいけないな、とは思いましたね。
小田嶋隆、遺産をなす、みたいなことですか。
小田嶋:そうそう、ゴッホじゃないけど、あの人も生きているうちはあんまり大したことはなかった。でも、死んだら急に「ゴッホ、いたよね」みたいなことになり、俺にしても、そういうことに夢を持っていかなきゃいけない、というのがあった。
いやいやいや、これ、今、すごい話になっちゃいましたね。人生の諸問題がついに終活に及んできました。岡さんの方は大丈夫ですか。
岡:僕は昨年の秋に不整脈が起きました。
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