「人生の諸問題」の語り手のお一人、コラムニスト小田嶋隆さんの新刊、『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』が刊行されました。前作『超・反知性主義入門』から5年、2015年から19年までの間に、日経ビジネスオンライン/電子版に毎週執筆したコラムをえり抜いた、まさに現代日本のクロニクル。
なんとか販売促進のため、座談の話題を引っ張りたい担当編集Y。しかし、そんな“忖度”をオカ&オダジマコンビがするわけもなく、新型コロナ騒動にも触れず、語り始めた話題は……。

この2月に野村克也さんの逝去がありましたが、お二人はどう受け取られましたか。
編集Y:ああ! 話題を『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』に戻していただきたかったのに、キヨノさんまで、全然違う前振りを……(泣)。
岡:野村さんですね。すごく悲しいです。
小田嶋:同感。(編集Yの意図をまるで汲まない人たち)
星野仙一さんのときは、それほど思い入れはないです、ということでしたが、野村監督は違うんですね。
岡:星野さんにはなぜか感情移入できなかったけど、野村さんは違います。野村監督によって、プロ野球はいろいろなことが変わりましたからね。
例えば、ピッチャーがセットポジションで左足を上げないで投げる「クイックモーション」を洗練させたのは野村監督です。ほとんど足を上げない「すり足クイック」だから、ピッチャーが投げる時間が短縮される。よって、盗塁ができない。あれは発明でしたよ。
小田嶋:ノムさんが始めた革命的戦法はたくさんあるよね。
岡:投手分業制、ギャンブルスタート、ささやき戦術、ID野球、あと、小早川毅彦みたいに自由契約になったベテランをチームに入れて大活躍させた「野村再生工場」とか。
小田嶋:俺が昔、TBSラジオで働いていたとき、プロ野球のスコアを付ける係みたいなことをやっていたんだよ。その時代に、後楽園球場で野村さんが解説を務める現場に行きあたることがあった。
そのとき、野村さんが付けていたスコアブックというのが、我々が付けている普通のスコアブックどころじゃなくて、ストライクゾーンが9つに分かれているような、すごい詳細なもので。
岡:「野村スコープ」だよ。
小田嶋:俺らのようなアルバイトもどきは、ただのボールとストライクしか付けないんだけど、野村さんはボールでも、内角か、外角か、どっちに外れたボールなのか、またはストレートなのか、変化球なのか、落ちる球なのか、スライダーなのか、と、全部分けて、自分の記号で記録を付けながら解説していました。
岡:今はどのチームもやっているけど、ストップウオッチを野球のベンチに持ち込んだのも、野村監督が最初なんです。あのキャッチャーは二塁まで何秒で投げるんだろうと、時間を計った。
小田嶋:それまでは野球というものは、非常に大ざっぱな人たちが身体能力だけでやっていたスポーツだったけど、野村さんのおかげで、はじめて日本の野球に理屈らしいものが付きましたね。
岡:野村さんが亡くなったことは、悲しいな……。彼の記録って、生涯ホームラン、生涯打点って、ほとんどが2位なんですよね。何しろ、王、張本、長嶋がいた時代に行きあたってしまったもんだから。
野村さんが戦後初の三冠王を取ったとき、彼は翌日の新聞を楽しみにしていた。戦後初の三冠王なんて、すごい快挙、すごいニュースだよ。それでも野球ニュースの筆頭は、長嶋が二塁打を打ったことだった。
小田嶋:ああ……。
岡:戦後初の三冠王なのに、それでも一面を飾れないって、それってどうなのよ。しかも、彼はキャッチャーなんだよ。
小田嶋:彼が選手、監督として在籍していた南海ホークスをメジャーにしたのは、皮肉な話、王貞治ですからね。
岡:不思議だよね。これが人の持っている、何というの、運、めぐりあわせというものなのかね。
会話が白熱しています。ただ、オダジマさんの新刊本に、まったく近づいていませんが……。
小田嶋:野村さんについては、沙知代さんという、いろいろ問題があるところの夫婦関係も話題だった。(さらに編集Yの意図から遠くなる)
岡:そっちもね。
小田嶋:俺はある雑誌の仕事で、あの人のことを調べたことがあったんだけど、ほとんどの経歴がウソなのよ。だけど、野村さんはそれを知っていて、世間から「ウソじゃないですか?」と問われたときに、「そうやってまで自分と一緒になりたかったんだから、ありがたい話じゃないか」と言っていたというのが、エラいというか、よく分からないことだよね。
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