岡:NHKの番組を見ていたら、認知症の第一人者である聖マリアンナ医大の先生がいて、その先生が認知症になった話を放映していました。彼はデイサービスというものを日本で提唱してきた人なんだよ。デイサービスなどのケアが充実すれば、介護をする家族の負担は減るし、本人も仲間がいた方がいいですよ、といって推進したんだけど。
小田嶋:まっとうな主張ですよね。
岡:そうでしょう。でも、自分が認知症になったでしょう。それでデイサービスに行くでしょう。そうすると、自分自身に、まったく笑顔が出ないんだって。
全員:……。
岡:それで、その先生は1週間も持たずに、家族に「(通所を)やめさせてくれ、耐えられない」と。
せっかく自分がよかれとつくった仕組みなのに。
岡:そうなんだよ、自分でつくって、拒否するのはなぜなんだ、と。その先生がいうには「あそこでは孤独すぎる」っていう話なわけ。
全員:うわ……(身につまされています)。
おうちには奥さまがおられますよね。
岡:上品でやさしい奥さんがいて、娘さんが「おばあちゃんが大変だから、デイサービスに行ってあげて」と諭しても、「でも、しょうがないだろう、行きたくないんだから」なんていっちゃっているわけです。
それ、岡さんと小田嶋さんが、折に触れて使ってきたいい分ですね。
岡:いや、だから、そういう当事者の、しかも仕組みをつくってきた人ですら、我が身になると、話はまた別になってきちゃうんだよ。
ジャイアンシステムによる「上から適応」
小田嶋:病院では、おばさんとか、おばあさんたちは、ナースさんともすぐ仲良くなるし、おばあさん同士も仲良くなるんだけど、じいさん同士は仲良くならない。
岡:ああ、無理、無理。僕は絶対、無理ですね。
小田嶋:岡は、そういう共同生活みたいなところは、俺よりもあり得ないでしょう。
岡:僕は、小田嶋に比べると社会に適応している風じゃない? サラリーマンも意外と長くやったし。
小田嶋さんの8ケ月に対して、岡さんは19年ですから、そこは圧勝です。しかし、みずからおっしゃる通り、あくまでも「適応している『風』」ですけど。
岡:それは僕に社会適応能力があったわけじゃなくて、周りが僕に対する適応能力が高かっただけだ、と。いや、自覚していますよ、我ながら。
小田嶋:俺は岡にすごく適応してきた感じがあるぞ。だから、岡は「上から目線」じゃなくて、「上から適応」なんだよ。自分が環境に合わせているんじゃなくて、環境を岡にフィットさせるようにつくりかえていってしまう。
岡:ということは、やっぱり僕はデイサービスも老人ホームも、まるでだめじゃない?
岡さんがみずから、上から適応の、老人ホームの新ビジネスモデルをつくってはどうでしょうか。
小田嶋:ジャイアンシステムみたいなのをつくるといいよ。あいつとは合わないって、避けていくやつは消えていって、気が付くと、介護してくれる人も、仲間も、自然に自分とフィットする人間しかいなくなっている仕組み。そこで、岡はビールの空き箱をひっくり返して、上に乗って歌っていればいいじゃん。
岡:なんか、ばかみたいだけど、仲間を間違えなければいい。
というか、「人生の諸問題」を語るこの場も、結局、岡さんの上から適応でここまで回ってきたともいえなくもありません。
小田嶋:まさしくジャイアンシステムね。
岡:本当だ。のび太、スネ夫、しずかちゃんもいる。ちなみに、のび太は編集Yさんね。

それで、スネ夫は、もちろん小田嶋さんね。
岡:ところが僕は小田嶋に、「お前はジャイアンの外見で中身がスネ夫だ」っていわれてきた。ということは、僕は結構、最低の人間ということになるじゃないか。めちゃくちゃだよね。
力×知恵という意味なら最高じゃないですか。
岡:でも、横暴×セコさだったら、最低だね。年を取ると、そっちの悲しい末路の方にリアリティがある。
小田嶋:これ、大切な問題ですけど、じいさんはじいさんが嫌い。
岡:そう、じいさんはじいさんが嫌いです。
はい。ばあさんもじいさんが嫌いです。
岡:それで、じいさんは意外とばあさんが好きなんだよ(笑)。
編集Y:あの……新刊……。

小田嶋:そこでまた、いろいろ問題が起きていくんだけど、一つ確かなのは、じいさんは誰からも愛されない、ということ。じいさんは本当に孤独なんですよ。
……その「じいさん」を語る小田嶋さん自身が、ほかならぬ「じいさん」なのではないか。話をうかがっているうちに、心理学でいう同属嫌悪を私は感じるのですが。
小田嶋:う。
岡:いや、話を変えよう。それを認めるのは、辛すぎる。
(辛すぎるお年ごろ、ということで、後編に続きます)
延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?
現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。
私たちはあまりにもよく似た事件の再起動の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍麻させられてきた。
それが日本の私たちの、この5年間だった。
まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。
別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。
ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)
人気連載「ア・ピース・オブ・警句」の5年間の集大成『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』3月16日、満を持して刊行。
3月20日にはミシマ社さんから『小田嶋隆のコラムの切り口』も刊行されます。
小田嶋隆×岡康道×清野由美のゆるっと鼎談
『人生の諸問題 五十路越え』もございます
「最近も、『よっ、若手』って言われたんだけど、俺、もう60なんだよね……」
「人間ってさ、50歳を越えたらもう、『半分うつ』だと思った方がいいんだよ」
「令和」の時代に、「昭和」生まれのおじさんたちがなんとなく抱える「置き去り」感。キャリアを重ね、成功も失敗もしてきた自分の大切な人生が、「実はたいしたことがなかった」と思えたり、「将来になにか支えが欲しい」と、痛切に思う。
でも、焦ってはいけません。
不安の正体は何なのか、それを知ることが先決です。
それには、気心の知れた友人と対話することが一番。
「ア・ピース・オブ・警句」連載中の人気コラムニスト、小田嶋隆。電通を飛び出して広告クリエイティブ制作会社「TUGBORT(タグボート)」を作ったクリエイティブディレクター、岡康道。二人は高校の同級生です。
同じ時代を過ごし、人生にとって最も苦しい「五十路」を越えてきた人生の達人二人と、切れ者女子ジャーナリスト、清野由美による愛のツッコミ。三人の会話は、懐かしのテレビ番組や音楽、学生時代のおバカな思い出などを切り口に、いつの間にか人生の諸問題の深淵に迫ります。絵本『築地市場』で第63回産経児童出版文化賞大賞を受賞した、モリナガ・ヨウ氏のイラストも楽しい。
眠れない夜に。
めんどうな本を読みたくない時に。
なんとなく人寂しさを感じた時に。
この本をどこからでも開いてください。自分も4人目の参加者としてクスクス笑ううちに「五十代をしなやかに乗り越えて、六十代を迎える」コツが、問わず語りに見えてきます。
あなたと越えたい、五十路越え。
五十路真っ最中の担当編集Yが自信を持ってお送りいたします。
この記事はシリーズ「人生の諸問題 令和リターンズ」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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