空気を読まない舛添さん、オリンピック予算に猛反発
小田嶋:その年は舛添さん(要一・前東京都知事)に、人生の諸問題がいろいろ発生した年だった。オリンピックの開催が決まって、国立競技場の設計が進んだら、すごく予算が膨張して、当時都知事だった舛添さんがそれに対して怒って。
岡:今考えると、たいへんまっとうな怒りだよ。
(前略)舛添都知事は、さる連載コラムで《新国立競技場の建設について、誰が最終的に責任を持つのか!?》《根拠不明な都の拠出額「500億円」 文科省は新国立競技場問題に誠実な回答を!》という寄稿をしている。 一読する限り、私の目には、舛添都知事の言い分は極めてまっとうに見える。
(中略)早い時期から予算オーバーが懸念され、工期の遅れが心配され、施工の困難が予想されていた状況をものともせずに、計画は奇妙な具合いに見直されたり手直しされたりしながらも、全体としてじりじりと前に進み、解体への反対運動が起こっていた旧国立競技場も、あっさりと破壊されてしまった。
で、ここへ来て、いよいよどうにも間に合わなくなった時点で、はじめていきなりお手上げのポーズをしてみせる形で、関係者が、各方面にバカな説明を繰り返し始めた次第だ。で、何をどうトチ狂ったのか、当事者以外の何者でもない文部科学大臣自らが、予算オーバーの尻を持って行く相手に向けて、当事者意識を持てだのという驚天動地の説教を 垂れているわけです。
こんなバカな話があるだろうか。舛添都知事は次のように述べている。
「新国立競技場建設の責任者に能力、責任意識、危機感がないことは驚くべきことであり、大日本帝国陸軍を彷彿とさせる。日本を戦争、そして敗北と破滅に導いたこの組織の特色は、壮大な無責任体制になる」
「東京裁判の記録を読めばよく分かるが、政策決定について誰も責任をとらないし、正確な情報、不利な情報は上にあげない。新国立競技場建設について、安倍首相には楽観的な情報しか上がっていなかった。これは、各戦線での敗北をひた隠し、『勝利』と偽って国民を騙してきた戦前の陸軍と同じである」
まさにご指摘の通り、新国立競技場建設をめぐる物語は、意見の集約のされ方や、現状認識のあり方、決断のされ方やその受け継がれ方に至るまで、旧日本軍の無責任体制そのものだ。
この度、建設費をめぐって、舛添さんと下村さんの間で論争が起こったことは、幸運なめぐりあわせだったと私は考えている。もし現職の都知事が、猪瀬さんのままだったら、580億円の追加支出は都の臨時予算としてすんなり計上され、文科相と都知事が握手する絵柄の写真付きで、 「都民の夢のために、580億円を快諾」 とか、そういう記事が配信されていたのかもしれない。
それどころか、工期が遅れていることや予算がショートしていること自体、報道されていなかったかもしれない。うちの国の巨大組織は、誰も責任を取らないで済むタイプの決断を好む。というよりも、われわれは責任を分散させるために会議を催している。
(以上、『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』より引用)
小田嶋:ところが当の本人に公私混同話がずるずる出てきて、結局、翌年にぐずぐずで都知事を辞職することになって。
岡:そうそう、16年に都知事選があったよ。
小田嶋:そういうことがあったけど、その意味でいえば、15年はわれわれがはっきりと自覚する時代の区切り目ってわけではなかった。
岡:時代の区切り目といったら、それは、震災でしょう。
編集Y:あの……販促企画上、2015年以降の話題で……。
岡:東日本大震災から、もう10年か……(と、スルー)。
9年です(しかも、間違っている)。
岡:そう、9年がたっているでしょう。でも、その後に大きな区切り目って、あんまりない気がするんですよね。
昨年は平成から令和への改元がありました。
小田嶋:ああ、令和ってやつ、あったね。
(ガクッ)
岡:まあ、でも、東日本大震災と、阪神大震災の二つの震災が日本社会に与えた影響は大きかった。
小田嶋:阪神大震災の年は、オウム真理教の大事件もあった。その意味で1995年は、一つの節目だった気がする。
「失われた10年」が「20年」にならんとするころに、リーマン・ショックによる金融崩壊があり、09年、10年あたりに、その影響がボディブローのように日本に来て、11年に東日本大震災です。
岡:リーマン・ショックっていつだっけ?
(ガクッ)
小田嶋:2008年ですよ。俺にとって不思議だったのは、第2次安倍政権に対する、いろいろな人たちの評価の違いの中で、大学の関係者がわりと安倍政権に好意的なことだったのね。そういう人たちがそこそこ多いのはなぜか、というと就職がよかったからなんだよね。
岡:なるほどね。
小田嶋:大卒の就職だけを取り上げると、非正規が増えたりとか問題はいろいろあるんだけど、新卒に限れば震災以降に就職状況が立ち直って、好調が続いた。
岡:失業率も低いしね。
小田嶋:大学の学生を直接見ている人たちに限れば、安倍政権で世の中が明るくなったような感じを持っている。それで、新卒の就職とは微妙に違うけど、俺がこの数年、患者目線で詳しくなった医療現場でいうと、女性医師の比率が上がっているな、と。
もう一つの職業的な変化がそれですか。
岡:その患者目線で実感した、というのは、ちょっと避けたい事態だけどね。
高齢男性のコミュニケーション問題
小田嶋:あくまで個人的な実感だけど、女性医師の方が全然優秀。腕とか医学的知識とかは、こっちからは正確に評価できないけど、何しろコミュ力がまるで違う。
岡:男の医者で患者の目を見ないという人は、結構いる(笑)。
小田嶋:男の医者って、俺からしても、この先生、大丈夫かなって思う人が結構いるんですよ。病気についてちゃんと説明ができて、患者とコミュニケーションが取れる人が、あんまりいないのよ。
それを小田嶋さんに言われるのは、とてもまずいことだと思います。
小田嶋:いや、これ、本当よ。俺が接した女性のお医者さんは、あなたは今、こういう状況で、治療はこうでこうで、というコミュニケーションがちゃんと取れるんですよ。医大が入試で女性の受験生に露骨な差別を行っていたけど、医者ってむしろ女性向けの仕事ではなかろうか、と思います。
岡:ただ一方で、患者サイドのコミュ力という問題もあるだろう。はたから見ていても、どうしようもない患者って、いるじゃないか、病院には。
小田嶋:その問題を集約すると、おそらく、じいさんのコミュ力のなさということに整理される。
岡:それはおおいにあるな。
小田嶋:すごいですよ、じいさんって。俺は自分の入院回数が、もうよく分からなくなっているぐらい、ひんぱんに病院にお世話になったけど、おかげで入院しているおばあさんたちのコミュ力の高さと、じいさんのだめさ加減、看護師さんへの迷惑のかけ方のひどさっていうのを、いやというほど見ましたね。
あくまで小田嶋さん個人の感想です。
小田嶋:じじいって本当、ひどいよ。
岡:そんなにひどい?
小田嶋:うん。全然、話にならない。一般社会でいえば、電車の中で怒っているのも、たいていがじいさんでしょう。病院でもそう。ナースさんに理不尽に文句を付けているとか、意味なく怒っているとか、オレを誰だと思っているとすぐ言うとかは、たいがいがじいさん。
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