テレビ東京アナウンサー・西野志海と日経ビジネス編集委員・山川龍雄が、世間を騒がせている時事問題をゲストに直撃する動画シリーズ。第10回のテーマは、日米通商交渉「このままでは日本の負け?」。細川昌彦・中部大学特任教授は「大筋合意の内容は世界貿易機関(WTO)のルールに違反する」と指摘。自由貿易推進の旗振り役である日本にとって、将来に禍根を残すと警告する。
西野志海(日経プラス10サタデー・キャスター、以下、西野):今回のテーマはこちらです。日米通商交渉「勝ったのはどっち?」。先ごろ、大枠合意と伝えられましたが、このままの内容で貿易協定案への署名に至ると、日本にとってプラスなのかマイナスなのか、分かりづらいところもあります。本日のゲスト、中部大学特任教授の細川昌彦さんに伺います。
山川龍雄(日経プラス10サタデー・メインキャスター、以下、山川):細川さんは好評につき、このコーナー、3度目の登場です。よろしくお願いします。
細川昌彦(中部大学特任教授、以下、細川氏):よろしくお願いします。
細川昌彦(ほそかわ・まさひこ)
1955年生まれ。77年東京大学卒業後、通商産業省(現経済産業省)入省。貿易局安全保障貿易管理課長などを経て98年通商政策局米州課長、2002年貿易管理部長など通商交渉を最前線で担当した。その後、中部経済産業局長、日本貿易振興機構ニューヨーク・センター所長などを経て現職。著書に『暴走トランプと独裁の習近平に、どう立ち向かうか?』(光文社)、『メガ・リージョンの攻防』(東洋経済新報社)など。
西野:さっそく最初の疑問です。
肉好きに 関税引き下げ 朗報か?
この表に示した通り、アメリカ産牛肉の輸入関税は、現行の38.5%から環太平洋経済連携協定(TPP11)参加国と同じ9%まで段階的に引き下げる方向のようです。これからアメリカ産のお肉は安くなると期待していいんでしょうか?
細川氏:いいと思いますよ。TPP11に加盟しているオーストラリアやニュージーランド産の牛肉の輸入関税は既に段階的な引き下げが始まっています。これに対して、アメリカ産は不利な状況にありました。今回の合意で同等に引き下げられるわけですから、消費者にとっては朗報でしょう。
山川:実はアメリカ産牛肉は関税の引き下げを待たずに、安くなっています。米中協議がこじれてアメリカが中国に輸出しようと思っていた肉の在庫がだぶついているのが主な原因のようです。
細川氏:そうなんです。既に安くなっているうえに、これから関税が下がるわけですから、肉好きの消費者にとっては、ありがたい。
西野:大枠合意の内容の中で、気になったのがトウモロコシの購入です。
細川氏:こちらは消費者が食べるものとは違う飼料用のトウモロコシです。今年は病害虫にやられていることもあり、安く仕入れることができるならば、農家の中には、一息つくところもあるでしょう。
山川:トランプ大統領は自分の支持基盤である農業州を喜ばせる形になり、日本の畜産農家にとっては、負担軽減につながる側面もあるというセットの取引になっている?
細川氏:そうですね。
西野:ただ、購入するのは、(日本が年間に輸入する飼料用トウモロコシのおよそ3カ月分にあたる)275万トンに達する見通しであると言われています。これを使い切れるものでしょうか?
細川氏:現在は病害虫対策という緊急性もあるので前倒しで輸入するということでしょう。ただ、アメリカ産を優先して買い付けているのは確かです。
西野:これはそもそも中国が輸入しない分を日本が購入するということですよね。
細川氏:そうです。米中摩擦で中国が輸入しない、もしくは高関税をかけるということで、アメリカのトウモロコシ農家が困っている。それを助けることが狙いの一つです。
西野:そうなると、今後、大豆とか他のものについても、トランプ大統領が日本に「買ってくれないか」と要求する可能性がありませんか。
細川氏:そうですね。ただ、日本は政府が「買います」と言えば、それで本当に決まった量を買えるわけではありません。
中国は国家が貿易するので買う量を決められますが、日本はあくまでも買う主体は民間です。必ずこれだけの量を買うと約束するというよりも、政府ができるのは、民間が買いやすいように補助を与える程度です。アメリカからの農産品の追加購入といっても、中国と日本では、手法が異なる。
西野:トウモロコシの購入にしても、アメリカの要求をのんで、必ずしもいいことばかりではなさそうに思えます。そこで、次の疑問です。
クルマだけ 協議継続 大丈夫?
山川:自動車についてはアメリカが課している2.5%の輸入関税がゼロにはならない見通しです。一応、協議継続ということになっていますが、こちらはどう評価しますか?
最大の懸念はWTO違反
細川氏:非常に残念です。本当は貿易協定はギブ・アンド・テークの世界ですから、日本が牛肉などの輸入関税を引き下げるなら、アメリカは自動車の関税を下げるべきです。TPP12(アメリカを含むTPP)の交渉の時はパッケージで合意した経緯があります。ただ、自動車はアメリカが一番抵抗するところ。ゼネラル・モーターズ(GM)やフォード・モーターなどが許さないということでしょう。
もちろん日本はアメリカに安全保障を依存しているため、譲歩はやむをえない部分もあるのでしょう。ただ、私が懸念しているのは、このままの合意内容だと、WTO(世界貿易機関)のルールに違反する可能性があることです。
西野:日本が違反してしまうことになるのですか。どうして?
細川氏:WTOには、2国間、例えば日本がアメリカに対して関税を撤廃する(あるいは引き下げる)時には、日米間の全ての貿易について関税を撤廃しなければならないというルールがあります。農産物だけというような“いいとこ取り”は許さないのがWTOの決まりなのです。
これまで日本が結んだFTA(自由貿易協定)を見ると、いずれも撤廃率は9割以上です。「全ての貿易」とはどれくらいかについて、WTOでは明確な数字は示されていません。ただ、国際的な「相場観」のような目安はあります。
日本と欧州連合(EU)が結んだ経済連携協定(EPA)の場合、関税撤廃率は日本側が94%、EU側は99%でした。アメリカが参加していた、いわゆるTPP12の時は日本側が95%、相手側が100%でした。これが相場観です。
ところが、この図が示す通り、日本からアメリカに輸出している品目のうち、自動車は金額ベースで全体のおよそ3割を占めます。もしアメリカが自動車の輸入関税を引き下げなければ、他の品目でどれだけ頑張っても、撤廃率は7割にしかなりません。
山川:つまり、WTOの相場観に達しない。
細川氏:明らかに「全ての貿易」とは言えません。
西野:そのルールを破るとどんな問題があるのですか?
細川氏:罰則があったり、どこかの国から制裁されたりするわけではありません。しかし今後、日本が他国と貿易協定を結ぼうとする際、「アメリカに7割を許したのに、我々には85%や90%の関税撤廃を求めるのか」と言われてしまう。
これはダブルスタンダードで一番批判されることです。私が懸念しているのは、今回のアメリカとの合意が、今後の他国との通商交渉の足かせにならないかという点なのです。
山川:例えばアジアで東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の交渉が続いています。日本が参加国に対して関税撤廃を求めようとしているときに、「アメリカとは7割じゃないか」と言われてしまう?
細川氏:途上国に対しては、85%以上の撤廃率を求めるのが相場観です。にもかかわらず、先進国同士の貿易協定で、7割というのはこれからが心配です。
西野:確かにルールを守るのは大切ですが、アメリカのような“個性的な”大統領がいるところに、100%を求めるのは、非現実的ではありませんか。
細川氏:確かにトランプ大統領は何を言い出すか分からない(笑)。
山川:トランプ氏の場合、本人がWTOを無視している感じすらありますからね。
ルールが日本の砦
細川氏:ただ、アメリカが違反するのはアメリカの勝手かもしれませんが、日本はそうはいきません。
アメリカや中国はパワーゲームで力任せに相手を従わせることができるかもしれませんが、日本にはそんな力はない。だからこそ、ルールが最後の砦(とりで)なのです。ルールをテコにして相手と交渉するのが、日本の交渉の基本。これしかないと私は思っています。
山川:ドラえもんに例えると、アメリカはジャイアンで、日本は残念ながら、お金ばかり拠出して、守ってもらっているスネ夫みたいな存在かもしれません。ある程度の妥協は戦略的に仕方ないという考え方は成り立ちませんか。
つまり、トランプ氏は大統領選挙が来年に迫る中で、中国との交渉で成果が出せず、焦っている。日本との交渉では早めに結果を出したい。だとすれば、トランプ大統領がもっと厳しい要求をしないうちに、早めに妥結してピン留めしておくのも、政治的には現実解のような気がします。
細川氏:政治的に、早めに妥結してしまいたい、という衝動に駆られるのは理解できます。しかし、これでピン留めというのは、トランプ大統領に対して有効かどうか。
山川:ピン留めにはならない?
細川氏:あの人は何を言い出すか分からないでしょう。
私自身、かつては日米の通商交渉を担当してきましたから、安全保障を依存しているアメリカと対等の交渉が難しいことは、よく分かっています。いくら日本側が気負っても、本当に公平かと言えば、バランスは取りづらい。
しかし、その中で最低限、越えてはならない一線はあるのです。その一線を守りながらどうやって相手を納得させるか。それが交渉の一番大事なテクニックなのです。今回の交渉で、もし自動車の関税引き下げを諦めるとすれば、その一線を越えてはいないかというのが、私の問題意識です。
山川:今回は越えていると。
細川氏:WTOのルールに沿うのは、日本としては最後の砦ですから。
山川:確かに、日本はこのところ、自由貿易の推進役として存在感を高めつつありました。2国間ではなく、多国間で自由貿易協定を進める必要性をずっと説いてきた経緯があります。特にヨーロッパと連携して、自国ファーストに傾くトランプ大統領を、自由貿易の枠組みの中にとどめる役割も担ってきました。
細川氏:おっしゃる通りです。ヨーロッパもアメリカとの交渉はうまくいっていません。自動車については、お互いに関税をゼロにしようと主張しています。そんなときに、日本が自動車関税で妥協してしまうのは、日欧の連携にも影響を与えかねません。
日米交渉の仕上がり具合は、メキシコなど他の国々が高い関心をもって見ています。このままでは、「日本は脅しを逃れるためにルールまで変えてしまった」と、見られるかもしれません。
確かに国内の自動車産業の関係者は、安堵していると思いますよ。トランプ大統領が要求していた25%の制裁関税を逃れるならば、2.5%程度は飲み込んでもいいというのが本音でしょう。しかし、国内産業が納得すれば、それで済むものではありません。国際的にどういう目で見られ、日本がどう評価されるか。この視点は忘れてはいけません。
西野:最後の疑問です。
仲良しと ビジネスは別 トランプ流
ここまで日本はトランプ大統領を怒らせることなく友好関係を築いてきました。ただ、トップ同士が仲良くしたところで、相手に「ビジネスは別」と考えられてしまったらどうなんでしょう。
細川氏:安全保障を考えると、トランプ大統領と蜜月を維持しなければならないのは当然です。どうしても腫れ物に触るような扱いになってしまう。北朝鮮問題でも拉致問題を提起してもらうとか、トランプ大統領には期待しなければならないことも多い。
ただ、その中で一線を越えないように、どうやって知恵を絞るか。例えば、自動車の継続協議と言っても、期限はだいぶ先でも構わないんですよ。トランプ大統領がいなくなった後でもいいわけです。そういうところをうまく仕込めないかと私は思っています。
西野:世界を見渡すと、自国第一主義やポピュリズムが広がり、すごく難しい局面だと感じます。その中で日本の外交はそれに対応していけるのでしょうか?
評価できる日本外交
細川氏:私は基本的にこれまでの安倍外交を評価しています。まずアメリカが抜けた後にTPP11を成立させました。様々な国の利害を調整して、協定を結んだのは、日本としては事実上、初めてのことではないでしょうか。それから日本とEUの間でEPAを成立させました。これも米中が覇権争いをしてるときには、ものすごく大事な連携になります。
そして、「自由で開かれたインド太平洋戦略」という構想を打ち出して、インドやオーストラリアを取り込む仕掛けも作った。中国が一帯一路を進める中で、これも極めて戦略的なアプローチです。
山川:韓国というお隣の一国を除いて、安倍外交はどの国とも友好関係を築いているように見えます。このところ中国とも関係改善が進んできました。
安倍外交については、トップ同士はお友達になっているけれど、日露の北方領土交渉にしても、日米の通商協議にしても、中国の海洋進出にしても、押し込まれる一方で、成果が見えないという指摘もあります。仲良くなっているだけで、言うべきことを言っていないと。
細川氏:確かに中国にはもう少し注文を付けていく必要があるかもしれません。
歴史的に、米中関係が険悪になると、日中関係はよくなるんですよ。今がその時です。知的財産の問題とか、言うべきことはきっちり言った方がいい。
山川:真の友達は耳の痛いことも言う間柄だと。
細川氏:来春に習近平(シー・ジンピン)主席を国賓扱いで招く計画があるため、日本側は発言を控えているようです。しかし来日が目的化してしまって、そのために耳障りの悪いことを言わないのはおかしい。
山川:それが中国政府の作戦かもしれません。
細川氏:そこは注意しなければいけませんね。
山川:西野さん、今日の話はのみ込めました?
西野:いやあ、これだけたくさんの国がからむ外交のテーマになると、一言ではとても語れないですよね。
山川:正直に言えば、細川さんと私たちが今日話したことは、最前線で外交交渉をやっている人たちからすると、「きれいごと」に映るかもしれません。理想論であって、現実的ではないと。でも、今日の細川さんのお話は、そうはいっても通さなければいけない筋がある、ということだったと思います。
細川氏:交渉の現場の辛さは分かるんですよ。私もやっていましたから。でも、そこは踏ん張らなければいけないんですよね。
西野:カッコいい!(笑)。細川さん、今回もありがとうございました。
(注:この記事の一部は、BSテレ東「日経プラス10サタデー ニュースの疑問」の番組放送中のコメントなどを入れて、加筆修正しています)
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