起業家から大企業の経営幹部、気鋭のプロフェッショナルらが愛読するベストセラー漫画『キングダム』(原泰久著、集英社)。累計発行部数は4500万部を突破し、この春には映画化もされた。
中国の春秋戦国時代を舞台に、類いまれなる武力を持つ戦災孤児の主人公・信(しん)が、中華統一を目指す秦の若き王・嬴政(えいせい)の下で、天下の大将軍を目指すストーリーに、多くのファンが魅了されている。
兵を率いるリーダーシップ、数千人、数万人規模の兵をまとめる組織づくり、部下を育てる人材育成、そして戦略や作戦、戦術の練り方など――。多くの学びが、『キングダム』には盛り込まれている。
本連載では、『キングダム』を愛読する起業家から大企業の経営幹部、気鋭のプロフェッショナルらに取材。『キングダム』から何を学び、どう経営に生かしているのか聞いた。
連載12回目に登場するのは、中小企業の経営者や幹部層を対象に、組織運営に関するコンサルティング業務を手掛ける識学(しきがく)の安藤広大社長だ。同社の組織運営メソッド「識学」は、人間の意識構造に着目した理論で、同社大株主の福冨謙二氏が発明。リーダーが自分の言動を変えて組織の誤解を防ぎ、生産性を高めるのが売りだ。2015年に創業し、4年後の2019年に東証マザーズに株式上場した急成長企業のトップは、『キングダム』から何を学んでいるのだろうか。(構成/井澤 梓)。
安藤広大(あんどう・こうだい)氏
識学社長。1979年大阪府生まれ。2002年早稲田大学卒業後、NTTドコモに入社。2006年ジェイコムホールディングス(現ライク)入社。主要子会社のジェイコム(現ライクスタッフィング)で取締役営業副本部長などを歴任。2013年に「識学」を知り、独立。識学の講師として数々の企業の業績向上に寄与し、2015年には会社として識学を設立。2019年東証マザーズに上場した。(撮影/竹井 俊晴、ほかも同じ)
安藤社長は、独自の組織運営メソッド「識学」を、企業の経営者や幹部に教えるなどのコンサルティングを手掛けています。『キングダム』のファンでもあると伺いましたが、識学と『キングダム』の共通点はありますか。
安藤氏(以下、安藤):僕は仕事柄、『キングダム』で描かれる将軍たちのリーダーシップや組織運営が、識学的にアリかナシかという視点で読んでいます。
ストーリーが面白くて、気づくと漫画に没入して涙していたりするんですが(笑)、識学的に描かれている内容がアリかナシかというと実は合わない部分もいくつかあるんです。
象徴的なのが、キングダムでは将軍が生死をかけて最前線で戦いますよね。重要な意思決定を下すリーダーが、自分の命を危険にさらす。ともすれば、部隊そのものが滅亡しかねません。
その代表格が主人公の信でしょう。そして彼が率いる部隊「飛信隊(ひしんたい)」は兵たちも強いけれど、信の武力が圧倒している。
これを会社経営に置き換えると、トップが誰よりも営業成績を上げている状況と言えます。確かに中小企業では社長本人のトップ営業で回っているケースが多いのも事実です。ただ本質的に、営業と経営は異なるスキルが求められます。そして経営者の本来の仕事は部下を育て、彼らが力を発揮できる環境をつくること。いつまでも第一線でトップ営業をしていては、いけないんです。
こういった部分は、純粋に漫画として面白いと思う一方、企業経営とは少し違うかな、と感じています。
では安藤さんは最前線には出ない、と。
安藤:今はもう出ません。ただ実は、僕も識学に出合う前の会社員時代は、信に憧れていたんです。信こそリーダーの鏡だと思っていた。
王騎のように、矛を託せる部下がいなかった
安藤:前職では営業でしたが、まずはとにかく自分が野に出て敵将を狩って、報酬を受け取り、それを部下たちに分け与えるのがリーダーの仕事だと思っていました。そして「オレの戦いを見ておけ」とチームを引っ張っていたんです。
けれど、実はこれが失敗でした。というのも、僕がその会社を辞めるタイミングで後ろを振り返ってみると、僕の代わりに将軍を任せられる人材が育っていなかったんです。チーム全体が、僕の取ってくる仕事をただただ待っている状態になっていたわけです。
『キングダム』で大将軍の王騎(おうき)は主人公の信に矛を託しました。けれど当時の僕には、矛を託せる部下がいなかった。自分では部下を育てていたつもりだったけれど、実際には全く育っていなかった。
リーダーがいないと生きていけないチームをつくってしまったことにショックを受けましたし、部下を誰も自立させてあげることができなかったことも深く反省しました。だからこそ、次は部下をしっかり育てようと思ったんです。
一方で、識学と『キングダム』の共通点はありますか。
安藤:識学との共通点は嬴政が目指す「中華統一」の姿です。
嬴政はある時、周辺6カ国の中でも最も東端に位置する斉の国王、斉王建の訪問を受けます。ここで嬴政と斉王建は中華統一を巡る議論を交わします。
「多種多様な文化・風習・信仰」
「これ程複雑に分かれる中華の全人民を同じ方向に向かわせるなど」
「逆にこれまでにない強烈な支配力を持つ者達が上に立たねば実現不可能だ」
そう主張する斉王建に対して、嬴政はこう答えます。
「この中華統一の成功は全中華の民を一手に実効支配するものにかかっている」
「だがそれは絶対に“人”であってはならない!」
そしてこう続けるんです。
嬴政に学ぶ、法で国を統治する思想
安藤:識学は『キングダム』の考え方で表現するなら「法で国を統治する」ということが大原則です。企業経営にとっての「法」はルール。社長を含めた誰もが明快に決められたルールに従って、仕事をこなす。それが大原則なのです。
社長の人間的な魅力や飛び抜けた才能だけで組織を統治しようとしても、決してうまくはいきません。というのも、社長の感情を軸にすると、どうしてもそこには社長の好き・嫌いが反映され、社員はそこに不平等を感じてしまいます。社長の感情が揺れるたびに、社員も振り回されてしまいますよね。
だからこそ、社長がどう思うかとは関係のない無機質なルールで統治しなくてはならないのです。
上司・部下の関係性だってルール上のことです。ルールだから、上司は部下に指示できる。これが「人間的に器の大きい人が上司であるべきだ」などという価値観で運用されると、部下から評価されない上司は、たちまち組織を束ねられなくなります。お互い、感情を持つ人間同士になるから、上下関係がもたなくなる。
そう考えると、“人”ではなく“法”に最大限の力を持たせて、異なる文化や風習、信仰の人々を束ねようと考えた嬴政は非常に正しいですよね。だって人ではなく、ルールに従って運営した方が組織は安定するんですから。
ただ、ルールで縛ると聞くと無機質な印象も受けます。
安藤:でも『キングダム』の中で、秦国の法学者・李斯(りし)は、「法とは願い!」と言っていますよね。「願い」というと感情的なもののように思いますが、李斯は「国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!」と説明しています。
企業でも同じように、「どんな組織になりたいか」という願いをベースに、それを無機質なルールに変換していくわけです。
例えば経営者や人事担当者は、「社員には積極的でいてほしい」とよく言います。でも「積極性がある」という言葉はルールではありません。「積極性」の部分を「顧客に10回以上提案しにいく」と変換すれば、ルールになって、守れているかどうかも可視化できます。
『キングダム』で李斯が語った願いとは、企業の理念やミッションなどに付随するものです。であれば、それをかなえるために具体的な数字などで判別できるルールを作ること。
願いを法に託すという嬴政や李斯の思想は、企業経営でも実践できるんです。
安藤さんが『キングダム』の中で好きなシーンはどこでしょう。
見習うべき将軍は桓騎と王翦
安藤:飛信隊の軍師・河了貂(かりょうてん)がこう漏らすところです。
安藤:このセリフはすごく深いし、経営的に正しい言葉でもあります。
経営をしていると、一定確率で成長速度の極端に遅い社員が現れます。また競争に敗れたり会社と合わないと言ったりして辞める社員も出てきます。そして一定の確率で調子の悪い月が発生することもあります。まずは組織としてしっかりと仕組みを整備することが大前提です。ただそれでも僕は、組織に起こるあらゆるマイナスの出来事は、一定の確率で発生すると考えています。
しかし確率論で考えることができれば、一つ一つの事象に感情移入せず、大局を見て組織として最適な判断をいち早く下すことができます。あとはその発生確率を下げるように仕組みを改善していけばいい。
これは言い換えれば、社員を「機能」として見て無機質に、「一定確率でエラーが発生する」と計算をしていることでもあります。
社員一人ひとりの視点で見れば、ドロップアウトしてしまったり、トラブルが起こったりするのは、大変なことでしょう。けれど、その一つ一つにリーダーが反応し、判断が遅れ、競争に負けたり、会社が潰れたりしていては、全員が不幸になります。そうならないようにあえて感情移入せず、全体を冷静に見る姿勢が、リーダーには必要なんです。
『キングダム』の中でも、もともと野盗だった将軍・桓騎(かんき)の率いる軍は、戦死者が少ないですよね。これは桓騎が非道だけれど確率的に最もダメージの少ない戦い方を選んでいるからです。
企業経営で、モラルに反するようなことはもちろんすべきではありません。ただリーダーは常に「組織全体にとって最善の選択肢は何か」と冷静に考える必要がある。その観点では、桓騎の姿勢にまねるべきところも大いにあります。
『キングダム』の中で最も識学のセオリーに合う将軍は誰でしょう。
安藤:秦国の中核を担う将軍の王翦(おうせん)でしょうね。彼はストーリーの中でも一切感情が読めませんよね。気持ちを出さず、無機質に、状況を踏まえて正しい手を打っていく。王翦の判断は、識学的な観点から見ても納得のできることが非常に多いですし、僕個人としても大好きです。
経営者や将軍は組織のトップですから、現場で戦う人と同じ時間軸で物事を見てはいけないんです。常に未来を見据えながら意思決定しないといけない。その点、王翦は常に2手、3手先を読んで、完璧な作戦を練ってから動きます。冷徹で感情に振り回されない理想のリーダーではないでしょうか。
士気で部下を操ってはいけない
逆に『キングダム』で描かれているけれど、識学的な観点から見るとあまり勧めない取り組みはありますか。
安藤:識学では一貫して、感情を排して組織を管理しようとします。その対極にあるのが、将軍たちが言葉や振る舞いで兵の士気を上げる行為です。これを、企業経営で実践しようとすると危険です。
なぜでしょう。
安藤:士気を高めることで、人の力を一時的に増大させられることは否定しません。けれど、「テンションが上がれば業績も上がる」というのは錯覚です。なぜなら上がったものは必ず下がるからです。つまり社員の気持ちを高揚させて組織を引っ張ろうとしても、次の瞬間には下り坂が始まってしまうわけです。
もちろん、経営者は毎日が戦いの連続で、張り詰めた緊張感の中で日々仕事をしている人も多いでしょう。だけど社員は違いますよね。彼らには彼らの日常がある。この事実を、リーダーは決して忘れてはいけないと思います。
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