起業家から大企業の経営幹部、気鋭のプロフェッショナルらが愛読するベストセラー漫画『キングダム』(原泰久著、集英社)。累計発行部数は4500万部を突破し、この春には映画化もされた。
中国の春秋戦国時代を舞台に、類いまれなる武力を持つ戦災孤児の主人公・信(しん)が、中華統一を目指す秦の若き王・嬴政(えいせい)の下で、天下の大将軍を目指すストーリーに、多くのファンが魅了されている。
兵を率いるリーダーシップ、数千人、数万人規模の兵をまとめる組織づくり、部下を育てる人材育成、そして戦略や作戦、戦術の練り方など――。多くの学びが、『キングダム』には盛り込まれている。
本連載では、キングダムを愛読する起業家から大企業の経営幹部、気鋭のプロフェッショナルらに取材。『キングダム』から何を学び、どう経営に生かしているのか聞いた。
連載4回目に登場するのは、住宅向けITプラットフォームサービスを提供するSOUSEI Technologyの乃村一政社長。住宅ビルダーとして奈良県などで成功を収めた乃村氏は、同じ住宅業界を舞台に、今度は住宅向けのITプラットフォームを手掛けるスタートアップを設立。元お笑い芸人という異色のキャリアながら、住宅業界で存在感を高めつつある。
乃村氏が『キングダム』を手に取ったのはつい最近のこと。だが漫画の中で描かれる将軍たちの姿に学ぶことが多いと明かした。インタビュー前編では、乃村氏、野盗出身という異色の経歴の将軍・桓騎(かんき)のマーケティングセンスを絶賛。その理由について語った。(構成/井澤 梓)
乃村一政(のむら・かずまさ)氏
1976年奈良県生まれ。高校卒業後、吉本興業で芸人活動を経て、2006年ディアホームに入社。54区画の街づくりの総責任者として実績を挙げ、2010年にSOUSEI 設立。注文住宅受注数で地域ナンバーワンのビルダーに成長すると同時に、ITで住宅機能を促進させるための技術開発を進める。マイホームの情報をスマホで簡単に管理できるアプリ「knot(ノット)」と中小工務店向けの住宅用OS「v-ex(ベックス)」を開発。2018年4月、全国展開を発表。IoT(モノのインターネット)と住宅を結ぶスマートホームの分野で注目される。2018年8月、住宅向けITプラットフォームサービスを手掛けるSOUSEI Technologyを設立(撮影/竹井俊晴)
住宅業界と『キングダム』、一見すると関連性は薄そうです。以前から『キングダム』のファンだったのでしょうか。
乃村社長(以下、乃村):実は『キングダム』を手に取ったのは今年のゴールデンウイーク(GW)のことなんです。GWの初日に1巻を読み始めて、10連休で一気に読み終えました。
初めて読んで、僕が誰よりも心をひかれたのが、主人公の信(しん)のいる秦国の将軍、桓騎(かんき)です。秦国にはユニークで実力のある将軍がたくさんいますが、その中でも桓騎の経歴は異色です。なんせ元は野盗の親分ですから。桓騎を支える兵たちも野盗出身で、訓練を受けたほかの将軍の兵たちとは違っています。
この桓騎こそ、僕は希代のマーケターだと感心したんです。
『キングダム』を通してマネジメント論が語られることは多いけれど、マーケティング論の観点から読み解くのは面白いですね。
乃村:僕は、マーケティングとは人間の行動の習性を理解することだと考えています。人間には、「Aをしたあとには必ずBをする」といったような、単純な方程式で落とし込める「行動の方程式」がある。
桓騎はこの「行動の方程式」をうまく利用して、その裏をかくことで戦争に勝利している。だからこそ、彼は優秀なマーケターだと思うんです。
もう少し分かりやすく教えてください。
乃村:例えば、アマゾンの奥地に住んでいる人に、ルイ・ヴィトンのバッグを売るのはきっとハードルが高いはずです。なぜならアマゾンの森の中でルイ・ヴィトンのバッグを持っていても、誰にも承認されないでしょうし、費用対効果は悪い。戦略的にマーケティングを実施するには、「人間の習性」を知ることが重要です。そして裏をかけば、意外と人間は簡単にだまされたりするものです。
桓騎は、人間の「思い込み」の裏をかく
乃村:例えば『キングダム』で、初めて将軍の桓騎が登場したシーンを覚えている人は、多いのではないでしょうか。
その頃の桓騎はまだ副将でしたが、ある戦争で、敵のよろいを着て、敵の旗を持ち、怪しまれることなく敵兵の本陣に乗り込んで、将軍をいとも簡単に仕留めていった。
戦争とは人間と人間の殺し合いで、もしかしたらルールなどあってないようなものなのかもしれません。
けれど人間は次のように勝手に思い込んでいるのかもしれませんよね。「秦国の兵は、秦国のよろいを着ているに違いない」「秦国の兵が、自分たちの陣の中にいるわけがない」と。
桓騎は、そういった人間の思い込みの裏をかいたわけです。これこそ、マーケティングの神髄でしょう。
もちろん今の時代に、桓騎の手法をそのまままねして、ライバル会社の社員を装い、オフィスに忍び込むことはできません(笑)。けれど人間の思い込みを利用するという姿勢からは、多くの学びが得られます。
桓騎が具体的にどんな手を打ったかということよりも、人間のどんな原理原則の裏を突いたのか。それを、『キングダム』を通して読み解くのが面白いんです。
ほかにも桓騎の視点に驚かされるエピソードには枚挙にいとまがありません。
常識にとらわれない発想力を持ち続けられるか
乃村:『キングダム』の中でも1つの大きな山場である戦いで、秦国の兵たちは簡単には敵から攻略されないとても高い城壁に守られていました。けれど、敵も知恵を絞り、ある秘策で対抗しました。それが「井闌車(せいらんしゃ)」です。
簡単に言えば車輪の付いた巨大なやぐらのようなもので、中には階段があり、城壁に接すると、そこに橋渡しをして兵を城壁の中に送り込むことができるのです。どんなに立派な城壁でも、井闌車を使われてしまえば、ひとたまりもありません。実際、秦国側の将も兵も、初めて井闌車を見たときには度肝を抜かれました。
けれど、桓騎はここでも一人、悠然としているんです。そして井闌車に油の入った樽を投げつけ、火矢を放つ。逃げ場所もない小さな空間が焼かれるのです。井闌車の中にいる兵たちは、慌てて外に逃げ出します。
確かに冷静に考えれば、「そうか、火を付けて焼けばいいんだ」と理解できるけれど、常識にとらわれるとどうしても、それが見えなくなってしまう。
桓騎の戦略はきっと、子供の頃には誰もが思いつくような「当たり前」の応用なんだと思います。けれど、大人になるとどうしても常識が邪魔をして、軟らかな発想ができなくなる。柔軟に物事を捉えようということに、改めて気づかせてくれるのが、桓騎なんです。
ただ戦争の戦い方などを見ると、桓騎には残虐な面もあります。
乃村:「首切り桓騎」と呼ばれていますもんね。けれど彼の戦略を見ると、残虐な行為によって快感を覚えるタイプの人間だとは、到底思えないんです。
もちろん敵の首を切ることもある。時には戦争に関係のない民を犠牲にすることもある。けれど、それは単に誰かを残酷に殺したいのではなく、その行為が周囲の人々に与える、精神的な影響を考えているのではないか、と。
『キングダム』では作中でしばしば「士気」という言葉が登場します。兵の士気を高めれば戦闘力は上がります。ただ同時に必要なのは、敵の戦意を喪失させる戦略です。
時に桓騎は、無抵抗な村人を惨殺し、体をバラバラにして串刺しにして敵に送り付けました。これを見た敵の兵たちは、「ヤバい相手と戦っているのかもしれない」と引いて、戦意がくじかれてしまう。兵士の心が不安定になると、いくら将軍が有効な策を打っても、機能しません。
これが、桓騎の狙いなのだと思っています。
お調子者の側近、オギコの役割とは
乃村:僕にとって桓騎は、まるでマーケティングにたけたワンマン経営者のように映っています。
桓騎軍が強いのは、彼のマーケティング戦略が、兵たちからも信頼されているからです。「どんな逆境に追い詰められても、うちの将軍は必ず、斜め上の打ち手を繰り広げてくれる」。兵たちがそう信じているからこそ、桓騎軍は、戦意を保っているのでしょう。
桓騎軍を支える副将たちもユニークですよね。特に個性的なのはオギコです。お調子者で天然ボケのキャラクターですが、オギコは千人将として兵も率いています。桓騎軍で、オギコはどんな役割を果たしているのでしょう。
乃村:オギコは、ひたすら桓騎をほめますよね。人間心理の裏を突いたユニークな打ち手を思いつくために最も重要なことは、常に自分自身が、ワクワクとした気持ちでいることです。なぜなら、奇策を思いついた本人が、自分の打ち手を疑ってしまえば、戦略はそれで終わってしまうから。
その点、オギコは桓騎のテンションを高めるために一役買っている。
会社を経営していると、時に自分の打ち手を疑いそうになることがあるんです。失敗や不発が続くと、周りのスタッフは「どこに、そんな予算があるんですか」「それは今やるべきですか」といった正論をどんどんとぶつけてきます。こうした言葉に自信を失い、つい自分でも自由な発想を疑ってしまうことがあるんですね。
そして、マーケティングにたけたワンマン経営者は、自由奔放な策の出口を塞がれた瞬間に、何の能力も発揮できなくなる。ただでさえ協調性がなくて、普通のことができないわけですから(笑)。
自分の思いついた策にワクワクできるよう、「うちのボス天才だ!」とひたすらテンションを上げてくれる存在は、実は大きいんです。
それも桓騎が立派なのは、テンションを上げる存在としてオギコを配置するのと同時に、知性にすぐれる摩論(まろん)のような参謀も置いている。
冷静に策を練って実践する摩論がいて、テンションを高めるオギコがいて……と適材適所を実践するから桓騎軍は強いんでしょうね。
きっと桓騎が苦手なのは、自分と同じような奇想天外な手を打ってくる将軍なのだと思います。正攻法で向かってくる敵なら裏をかけばいいでしょう。けれど、同類のイノベーティブなマーケター同士が、アイデア勝負でぶつかるとつらいのだろうな、と推察します。
テンションの高いときこそ力を発揮できている
乃村さんは、ご自身が桓騎に似ていると思いますか。
乃村:僕も力を発揮するのは、テンションが高い、ノリノリのときです。「オレはヤバいな」と思っている時は、自分でも信じられないような策を思いついて、それが面白いように当たっていくんです。
高学歴でピカピカの経歴を武器にするスタートアップの経営者は、僕は全く怖くありません。そもそも戦っているフィールドが違いますから。僕にできないことはたくさんあるけれど、彼らにも不得手な領域が存在する。がむしゃらに、失敗を恐れず挑むことや、常識にとらわれない発想で戦略を実行することは、僕はとても得意です。
ただ一方で、先ほど推察した通り、僕自身も桓騎と同じように、僕と同じ戦い方をする人の方が、隙がなくてやりにくいんです。
僕自身は経営者として、桓騎のような戦い方が得意だと自負しています。それも桓騎軍同様、うちの会社には優秀な軍師がそろっている。だから役員会ではしょっちゅうこう言っています。「この乃村という人間が、いかんなく力を発揮できるサービスや商品を作って、オレを操ってくれ」と(笑)。
桓騎のようにイノベーティブなマーケターの側面と、強引なワンマンではなく、人に任せるところは任せる度量。この両輪が成り立てば、僕はさらに成長できるだろうと感じています。そして今、まさに『キングダム』で学んだことを、実際の経営の現場で実践しているところです。
(後編に続く)
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