3つ目が最も重要で、GDPの生みの親であるサイモン・クズネッツも憂慮していたことです。それは「経済の規模しか評価できない」ということです。

 電子メールが生まれ、LINEが生まれ、Slackが生まれ、私たちははがきを使わなくなりました。今まで以上に耐久性に優れた商品が生まれ、物をすぐに買い替える必要もなくなってきました。また、無料サービスはGDPとして計上しようがなく、物が買われなければGDPは下がる一方です。

 つまり、私たちの生活は質的に豊かになっているのに、GDPで測ると経済が悪化しているように見えるという矛盾が生じてしまうのです。

 GDPの元となるGNPの開発に貢献したクズネッツ自身も「国民の福祉はGNPの尺度からはほとんど推し量ることはできない」と述べ、質的側面の欠落を認めていました。

 自動車事故が起きれば病院が稼働してGDPは向上し、テロが起きれば治安部隊が出動し費用が発生するのでGDPは向上する。マイナスの要因による社会的費用も、GDPの観点から見ればプラスに働くのです。主に生産量を計測する目的から生まれたGDPに替わり、進歩を適切に評価し、豊かさを計測する指標を構築する取り組みが求められています。

「Beyond GDP」に決着をつけるのは、どの国か?

 GDPのデメリットは長年語られているのですが、代替案がみつかりません。

 07年11月に、欧州委員会、欧州議会、ローマクラブ、OECD(経済協力開発機構)、WWF(世界自然保護基金)によって、GDPのその先の指標について考える「Beyond GDP(GDPを超えて)」の国際会議がベルギーで開催され、世界から650人が参加しました。しかし「GDPを超えた尺度の必要性を訴えるという政治的合意ができた」だけで、具体的に何をどうするかは足並みがそろいません。