自民党が夏の参院選公約を発表し、2019年10月に予定する消費税率10%への引き上げに関して、全世代型社会保障や財政健全化の実現に向けて予定通り実施すると明記したようです。
これまで2度に渡って消費税の10%への増税が延期されてきました。「三度目の正直派」と「二度あることは三度ある派」が激しく論争を繰り返してきましたが、どうやら前者が勝利を収めるようです。
もはや消費増税に関しては、是非に及ばずでしょう。そこで今回は、増税という政策の意思決定について社会心理学、特に「グループシンク(集団思考、集団浅慮)」の観点で振り返ってみたいと思います。
増税を巡って、政府・与党は「グループシンク」に陥っていないか?
グループシンクとは、社会心理学者であるアーヴィング・ジャニスが提唱した意思決定モデルです。ものすごく簡単に説明すると、組織内で合意形成を得るために結論の正しさより意見の一致を急ぐ結果、情報収集の怠りや判断ミスなどリスクの高い行動を取る傾向を指します。
集団がグループシンクに陥ると、「私たちは正しいという楽観主義・過大評価」「異論を認めない、集団の外部の意見に耳を貸さない排他性」「悪い情報の三猿(見ざる言わざる聞かざる)傾向」などの兆候が出てきます。
消費増税を巡るグループシンクとして記憶に新しいのは、4月18日、インターネット番組「真相深入り!虎ノ門ニュース」に出演した萩生田光一幹事長代行の「景気悪化の兆しが見えた場合は増税延期もあり得る」発言への政府・与党の反応です。菅義偉官房長官や、自民党の二階俊博幹事長、森山裕国会対策委員長らがすぐさま否定、本人も「個人の見解」という釈明に追われました。
別に消費増税に反対したわけでもなく、景気動向を見るべきではという意見を述べただけでこんなに袋だたきにする集団を、グループシンクでないというなら、どう表現すればいいでしょうか。
もっと言えば、政府・与党におけるグループシンクの傾向は消費増税にとどまらず、金融庁金融審議会の報告書によって起きた老後資金2000万円問題にも見えます。「報告書は受け取らない」「答弁も控える」として、異論を封じ、三猿傾向が見え隠れします。あれれ、ちょっと変だなぁ、というのが正直な感想です。
月例経済報告と景気行動指数の不一致
そもそも、現在の日本の景気は良いのか悪いのか、どちらでしょうか。
景気の判断については、日本政府としての公式見解が示される「月例経済報告」と「景気動向指数に基づく基調判断」を参照すればよいでしょう。
ざっくり言えば、月例経済報告は国内外の様々な指標を元に、最終的に「人」が景況感を判断したリポートです。
一方、景気動向指数は生産・雇用など景気との連動性が高い複数の経済指標から作成した複数のインデックスです。基調判断はその中の「現在の景気とほぼ一致して変動する」とされている「一致系列」を用いて「機械的」「自動的」に景況感を算出します。
ちなみに、景気動向指数はコンポジット・インデックス(CI)とディフュージョン・インデックス(DI)の2種類に分かれます。CIは景気変動の大きさやテンポ(量感)を示す指数です。基準となる年を決めて、その基準年と比べた変化が分かります。DIは景気動向の方向性を示す指数です。経済指標を比較して、「改善」「変化なし」「悪化」に分類し、全体の傾向を割合(%)で算出します。
日本政府は長きにわたってDIを中心に見ていましたが、景気変動の大きさや量感の把握がより重要になったため、 2008年4月分以降、CIを中心とした公表形態に移行しました。
問題なのは、19年3月以降、人が判断する月例経済報告は景気に対して、輸出や生産の弱さに言及しつつも「緩やかに回復している」と表現しているのに対して、機械的に判断される景気動向指数に基づく基調判断は13年1月以来の「悪化(景気後退の可能性が高いことを示す)」と判断している点です。
このような事態は、CIによる景気動向指数に移行した08年4月以降、11年運用して初であり、どう判断すればよいか多くの人が戸惑っています。この不一致について、消費税増税の問題にからめて、国会でも取り上げられたのは記憶に新しいところです。
同じ組織から2つのリポートが出され、反対の内容を言っている。どう解釈すればよいのでしょうか。5月14日の参議院財政金融委員会で、麻生太郎財務相は次のように述べています。
……基調判断というのはあらかじめ機械的に決められている表現がありますので、あれは、そういった意味では悪化を示しているものになるんだと思います、数字はめていきますと。
それはそれなりのあれなんですけれども、政府としては、いわゆる月例経済報告というのにおきまして様々な景気指標というのを動きを見させていただいて、その背景を理解した上で景気の基調を判断している…
景気動向指数に基づく基調判断は「景況感をつかめていない」のでしょうか。あるいは、増税を目指す政府にとって都合の悪いデータから目を背けるグループシンクに陥っているのでしょうか。
景気動向指数では捉え切れていないデータは何か
基調判断に使われる一致系列は、計9つの統計から成り立ちます(参考:個別系列の概要)。ところが内4つは鉱工業指数、いわば第2次産業の指数です。また前回の連載でデータへの疑義を指摘した有効求人倍率も含まれます。
日本のGDPのうち第2次産業が占める割合は約25%です。70%強が第3次産業であり、どこまで現在の景況感と一致しているのかという疑問が出てきます。
ちなみに四半期GDP実質成長率の伸びと、一致系列(19年6月7日公開分)の伸びを94年以降の100の時点を見ると、26の時点で片方が正なのに片方が負の動きを見せました。4回に1回は結果が正反対になる指標って、どこまで信用できるのでしょうか。
だからといって、景気動向指数が信用できないと切り捨てるのは反対です。そもそも人によって判断される月例経済報告と、機械的に判断される景気動向指数に基づく基調判断は、それぞれメリット・デメリットがあります。
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メリット |
デメリット |
人による判断 |
データ範囲外の異常に気付ける |
主観的な判断でバイアスにまみれる可能性がある |
機械的な判断 |
自動的な判断により主観性が排除される |
投入するデータ次第では実態と異なる可能性がある |
月例経済報告と景気動向指数のメリット・デメリット比較表
景気動向指数なしに、人による判断のデメリットはどこまで防ぎ切れるでしょうか。グループシンクに陥った集団下で、数字を良く見せようとするバイアスが働く可能性が大いにあります。
お互いのデメリットを補うとはいえ、結論が異なればどちらかを間違いと切り捨てるべきではないか、と考える方がいるかもしれません。
しかし、こうした場面は、データサイエンスの現場でよくあります。クライアント先から頂いたデータを分析すると「私はそうは思わない」「肌感とは違っている」とコメントをもらうのです。そういうときは、データ分析の結果と現場の肌感がなぜ違うのかと考えても、良い結果にはなりません。私なら、現場が把握していて、頂いたデータに含まれていないデータは何かを協議します。
つまり議論すべきは「月例経済報告では捉えていて、景気動向指数で捉え切れていないデータは何か」なのです。そして、そのデータを加えれば景気動向指数は改善されるのかを至急計算する必要があります。
「数字」を数学として計算し、国語として読む
19年1~3月期のGDP速報値は、多くのエコノミストの予想に反して年率2.1%増という結果でした。輸出は2.4%減った一方で輸入が4.6%も減り、輸出から輸入を差し引いた「純輸出」が大幅なプラスになったからといわれています。
景気が悪化して輸出入が減っているのに、計算上はGDPが上昇=経済成長している、となった……。数字はそのまま読んではいけないと改めて痛感します。
私たちデータサイエンティストも、数字を計算するだけでなく、文字として読んでから分析に取り掛かるよう心掛けています。なぜなら数字が全てを表現できれば良いのですが、そんなのは無理だからです。数字に表れないデータを知ることが分析の第一歩だと私は考えています。
先述したように、景気動向指数と月例経済報告の乖離(かいり)は11年運用していて初の事態ですから、本来であればもう少し丁寧な議論が必要です。しかし参議院選挙と消費増税を前にして「景気を計測できている指標はどれか?」という「異論」を口に出せないようです。
例えば、非正式の形でよいので、景気動向指数による基調判断が月例経済報告やGDP成長率と異なる場合、どの指標を追加するとズレは収束するか都度研究してもよいのではないでしょうか。(現在は景気が一循環を経過するごとに点検)
私からの提案なのですが、政府・与党の皆さんには「十二人の怒れる男」という映画を見てほしいと思います。父親殺しの罪に問われた少年の裁判を巡る12人の陪審員たちの密室劇です。最初は、たった1人を除いて残り11人全員が有罪を主張します。しかし、たった1人だけが圧力に屈せず異論を述べ、やがて1人1人が思い込みや偏見を認めて、意見を変えていきます。この映画のように、異論を認めつつ、データで都度検証しながら議論を進める政治は訪れるのでしょうか。
EBPMのススメ
「データで議論をする」という観点では、行政改革の一環として、EBPM(Evidence Based Policy Making=証拠に基づく政策立案)が注目を集めています。
「平成30年度内閣府本府EBPM取組方針」(クリックするとPDFが開きます)にはEBPMについて「政策の企画立案をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで政策効果の測定に重要な関連を持つ情報やデータ(エビデンス)に基づくものとすること」と書かれています。そのために、課題把握・目標設定、政策手段の比較・検討、手段と目標の因果関係の検討、効果の測定などの言葉が並んでいます。
しかしそんな大上段の表現より、2種類の結果が異なるデータが出てきたら、まず両方のデータを受け止める、理由をしっかり考える、周囲を巻き込んで議論する、そんな「当たり前」のことがEBPMの大原則だと私は考えています。そうした議論の上に立った政策論争が日本にも根付くことを願っています。
この記事はシリーズ「データから“真実”を読み解くスキル」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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