公的統計データなどを基に語られる“事実”は、うのみにしてよいのか? 一般に“常識“と思われていることは、本当に正しいのか? 気鋭のデータサイエンティストがそうした視点で統計データを分析・検証する。結論として示される数字だけではなく、その数字がどのように算出されたかに目を向けて、真実を明らかにしていく。
※文中にある各種資料へのリンクは外部のサイトへ移動します
連載バックナンバーはこちら
「働き方改革」の本命の1つといわれる「同一労働同一賃金」を盛り込んだ「パートタイム・有期雇用労働法」が2020年4月から施行されました(ただし中小企業は21年4月から施行です)。
「同一労働同一賃金」とは名前の通り、同じ労働なら同じ賃金にすることを目的とします。そのために正社員と非正社員の間で基本給や賞与、手当、福利厚生などで発生しがちな「不合理な待遇差」が禁止されます。
何をもって「不合理」と定義するか。法改正では、同じ職務内容なら同じ賃金を支給する「均等待遇」、違う職務内容なら違いに応じてバランスのとれた賃金を支給する「均衡待遇」、この2点の考え方が採用されました。つまり、理由なく賃金差別をしてはいけないし、理由があるなら誰が見ても明確にしなさい、ということです。ただし「理由」について明確に法律で決まっているわけではなく、労使で話し合ってください、にとどまっています。
新型コロナウイルスの影響で、恐ろしい勢いで経済が死んでいく中、どれほどの企業が「同一労働同一賃金」を守れるでしょうか。事実上、非正社員の賃金アップ施策であり、それどころではない企業も多そうです。
大企業で目立つ正社員、非正社員の賃金格差
「同一労働同一賃金」原則は、1951年に国際労働機関(ILO)第34次総会で採択された「同一報酬条約(ILO第100号)」に基づきます。この原則は、基本的人権の1つとも考えられており、「世界人権宣言」第23条に「すべての人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する」と明記されています。
こうした背景もあって、欧米では性別や年齢だけでなく、人種、宗教などで賃金に差を設けるのは差別だとして禁止されています。一方の日本では、どちらかといえば正社員・非正社員との格差是正の意味合いで用いられています。
資料のデータは古いですが、厚生労働省「同一労働同一賃金について」(平成28年8月31日)によると、欧州諸国と日本におけるフルタイム労働者(正社員)とパートタイム労働者(非正社員)の賃金水準は以下のように異なります。
フルタイムに対するパートタイム賃金水準
厚生労働省「同一労働同一賃金について」より
「均衡待遇」の観点に立てば、仕事の内容に違いがあることが多いフルタイムとパートタイムの賃金が完全に一致することはないでしょう。とはいえ、欧州諸国がフルタイム:パートタイムの差が100:80前後なのに対して、日本は100:56.6と差があります。
その背景として、年齢による差があります。厚生労働省の「平成30年賃金構造基本統計調査」によると、企業規模別・雇用形態別の賃金差は以下の通りです。
正社員・正職員とそれ以外の人の賃金差(小企業)
厚生労働省「平成30年賃金構造基本統計調査」より(小企業、単位は千円)
正社員・正職員とそれ以外の人の賃金差(大企業)
厚生労働省「平成30年賃金構造基本統計調査」より(大企業、単位は千円)
企業の規模を問わず正社員・正職員でない人たちの賃金推移はほぼ横ばいですが、正社員・正職員の賃金は年齢が高まるにつれて上昇しています。特に企業規模が大きいほど上昇する度合いは大きく、賃金格差は50~54歳で2.3倍まで広がります。
各種手当の違いも格差の要因
もう1つの背景として、正社員とパートの各種手当の違いが考えられます。厚生労働省の「平成28年パートタイム労働者総合実態調査」によれば、職務が同じ正社員とパートの手当の格差は以下のようになっています。
さすがに通勤手当こそ違いませんが、賞与、役職手当、退職金、家族手当や住宅手当で大きな差があるようです。
正社員とパートの各種手当の差
厚生労働省「平成28年パートタイム労働者総合実態調査」より(単位は%)
こうした積み重ねが、フルタイム労働者(正社員)とパートタイム労働者(非正社員)の賃金格差として表れていると考えればよいでしょう。
正社員の間でも男女の賃金格差は大きい
日本における「不合理な待遇差」とは、正社員と非正社員に限った話でしょうか。そんなことはありません。
まず思い浮かぶのが、欧米同様の性別格差です。平成30年賃金構造基本統計調査を確認します。雇用形態別の賃金を見ると「正社員・正職員」においても、男女の性別で差があります。
正社員・正職員における男女別賃金推移
厚生労働省「平成30年賃金構造基本統計調査」より(単位は千円)
すべての産業を合算しているので、「もともと女性が多くて、かつ賃金が低い特定産業」「もともと男性が多くて、かつ賃金が高い特定産業」があれば、差が広がる原因にはなります。とはいえ全産業において50代で1.5倍もの差が開くほどの影響を及ぼすような産業があるように思えません。
それとも、これが「均衡待遇」だというのでしょうか。それだと女性は男性と同じような職務に就いていない(就けない)といっているに等しいでしょう。「女性活躍」をうたっている政権ですから、ここまで「均衡待遇」に差が出たなら是正の要請ぐらい出してほしいものです。
ちなみに、正社員・正職員ではない人たちで見ると、こちらにも男女差がありますが、正社員・正職員に比べると小さくなっています。
正社員・正職員以外における男女別賃金推移
厚生労働省「平成30年賃金構造基本統計調査」より(単位は千円)
地域格差のない賃金こそが本来の「地方創生」
さらに考えられるのが、地域格差です。最低賃金は以前に「最低賃金を上げると、本当に貧困層を救えるのか」で紹介した通り、都道府県ごとに大きく違います。つまり地域が異なれば、得られる賃金にも差が出てくると考えられます。
同じく平成30年賃金構造基本統計調査によると、都道府県別の賃金は以下のように散らばっています。
都道府県別賃金
厚生労働省「平成30年賃金構造基本統計調査」より(単位は千円)
東京都と宮崎県で、約14.5万円の差があります。その差を生む要因と考えられるのが物価です。東京と宮崎でチェーン店の牛丼を食べても値段に大きな違いはないでしょうが、家賃や交通費は大きな差がありそうです。
実際、総務省統計局の「小売物価統計調査」の消費者物価地域差指数(全国平均=100を基準として各地域の物価水準を比較した指数。地域間の物価水準の相対的な違いを表現する)の中でも、住居費目と賃金の相関係数が非常に高く(0.74)なっています。
疑似相関の可能性もありますが、「賃金の高さ=住居費目の高さ」であれば、どれだけ良い仕事をしても住居費目が低い地方(最も低いのは愛媛県の82.7)だと、東京相場に比べて賃金が安い……という可能性は非常に高いのです。
賃金と住居費の間には相関関係があるように見える
総務省統計局「平成30年賃金構造基本統計調査」の都道府県別賃金および 同「2018年小売物価統計調査 住居費目消費者物価地域差指数」より(単位は千円)
そういうものだと割り切ってしまってよいのでしょうか。「均等」とは、勤める会社の中での話であって、社内での性・年齢による差別はいけないけれど、地域間で差があるのは仕方がないのでしょうか。そもそも地域格差をなくすべきではないでしょうか。
しかし、アルバイトはどの店舗であっても時給を同じにしているコストコのような企業もあります。同一労働同一賃金の最たる例としてよく紹介されます。
地域による格差のない賃金。これこそが本来の「地方創生」につながるのではないでしょうか。地方振興策によって、どれだけ地方に仕事をつくっても、住居費目が低いことで賃金が低くなるようであれば、地方で働きたいと思う人は増えにくいでしょう。
危険な「均衡」思想が新型コロナウイルスで生まれる?
現在、新型コロナウイルスを端緒とする「世界恐慌」ともいうべき経済混乱のまっただ中にいる日本において、雇用は死活問題となります。1990年卒以降のバブル崩壊による就職氷河期世代を「ロスジェネ世代」と表現しますが、2020年卒以降が「新ロスジェネ世代」となりかねません。
ここしばらくは求職者有利といわれていましたが、景気の減退でおそらくすぐにでも求人者有利・企業側有利となるでしょう。そうなると真っ先に行われるのが人員整理や給料カットです。
そのために同一賃金同一労働が悪用されることを、かなり危惧しています。
異なる職務内容でその違いに応じた賃金を支給している企業があったとします。均衡待遇による賃金格差「均衡格差」です。そして下図のように、大騒ぎするほどではないにしろ気になる「均衡格差」があるとしましょう。
厚生労働省が公開している「不合理な待遇差解消のための点検・検討マニュアル」には、均衡待遇による格差を減らすためには、労使で話し合いをし、非正規雇用の賃金・待遇を「向上」するよう要請しています。
しかし、均衡格差を是正するために正規雇用の賃金が「引き下げられる」可能性はないのでしょうか。差を狭める方法は、何も非正規雇用の賃金を上げるだけとは限りません。
先ほどの「検討マニュアル」には「基本的に、労使で合意することなく通常の労働者の待遇を引き下げること(不利益変更)は望ましい対応とはいえません」と明記しています。しかし、「望ましくない」としていますが「やるな」とは書いてありません。
お笑い芸人・ダチョウ倶楽部のネタ「押すなよ、絶対押すなよ」では、押された上島竜兵さんは怒ったふりを見せながらも、実際には「それを待っている」のと同じように、望ましくないとされていることを待っている経営者がいないとは言い切れません。
労働者有利の市場ならまだしも、現在は企業有利の市場です。実際には、その企業すら消滅してしまうかもしれない一大事が起きています。そうなるとトータルで賃金が下がるのをよしとするか、それとも仕事を辞めるかの二択を迫られるかもしれません。そうなれば「同一労働同一賃金」の本来の理念である、賃金上昇による格差解消が崩れていきかねません。
新型コロナウイルスによる経済減速の中、そうならないよう、厚生労働省は厳しく目を光らせてほしいものです。場合によっては過重労働撲滅対策班のように対策チームを立て、企業を厳しく監視しなければならないでしょう。悪質な「格差解消」が頻発するようなら、1年後に迫っている中小企業への適用を1年遅らせるのも1つの手段です。
何も、こんな降って湧いた不況というタイミングに法律が施行されることになるとは……と思うのは私だけでしょうか。今後が気になります。
この記事はシリーズ「データから“真実”を読み解くスキル」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?