長時間労働に「強者の論理」は通用しない
過労死を起こさないために長時間労働に対する規制を設けようとすると、必ず「もっと働きたい人だっている」「個人の成長の機会を奪うのか」と発言する人がいます。
楽天の三木谷浩史会長兼社長が代表理事を務める新経済連盟は17年1月に「働き方改革に関する意見書」として「36協定で定めた上限は、当然ながら守られなければならない。一方で、一律的な上限の設定は日本の競争力を失わせかねない」と提言しています。どうなんでしょうか。
そこで、労働災害と認められた件数のうち、時間外労働時間別内訳(平成30年度)を調べてみました。
「脳・心臓疾患」の時間外労働時間別内訳(脳・心臓疾患の発症1カ月間前)は以下のように分布しています。80時間未満の件数はありませんが、100時間を超えると一気に該当する件数が増えます。残業時間80時間超は「過労死ライン」とはよく言ったものです。
少なくとも80時間を超える長時間労働には、身体を壊す可能性があるようです。一律的な上限を設定するのは、そうしなければ身体を壊すからです。長時間労働を強いないと保てない日本の競争力の方が間違っていると思いませんか。
続いて「精神障害」の時間外労働時間別内訳(平成30年度、心理的負荷の評価期間における1カ月平均)は以下のように分布しています。
「脳・心臓疾患」と違って「精神障害」は、「長く働くほど増える」とはいえなさそうです。身体と労働時間は相関がありそうですが、心と労働時間は関係なく、むしろどれほど強いストレス下にあったかが関係するのでしょう。時間による規制だけでは問題が解決しないので、より根が深い問題です。
一方で、長時間労働やストレスフルな環境での労働について、「もっと働きたい人だっている」「個人の成長の機会を奪うのか」と発言する人もいらっしゃいます。こうした発言の背景には、「そのおかげで成長した」とする経験があるようです。これは「生存者バイアス」といって、生存した人のみを基準に考えることによる誤った判断を行うバイアス(思考の偏り)です。筆者は「強者の論理」と表現しています。仮に本人が「もっと働きたい」と願っても、自覚なきままに心身を壊し、倒れてしまう可能性があるのです。
なぜ自分と同じように、周囲の人間が成長するといえるのでしょうか。勝ち残った勝者こそ「私のような働き方ができず、心身を壊してしまった人もいたから、自分の限界を知って働いてほしい」というべきです。
あなたと私は違うのです。しゃにむに働ける若者がいる一方で、長時間労働や精神的なプレッシャーに弱い若者もいる。基準を少数の強者に合わせる必要があるでしょうか?
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