- 第1回: 和田氏が紡ぐ「反省の弁」
- 第2回:「売却金額は二の次だった」
- 第3回:外れた仮想通貨の仮説
2014年に起きた仮想通貨取引所「Mt.Gox(マウント・ゴックス)」によるビットコイン流出事故は、皮肉なことに日本国内でのビットコインの知名度を一気に高めた。
発行主体がなく、国境の壁を悠々と飛び越えて流通するビットコインに、どのように規制の網をかぶせるべきか。暗中模索を続けた金融庁は、2017年4月、資金決済法を改正する形で仮想通貨に規制をかけた。日本は、仮想通貨への法規制を整えた初めての国となった。
「規制」という言葉だけ見れば、仮想通貨業界にメスを入れたと見える。だが、仮想通貨の取り扱いに対するルールが明文化されていなかった他国と比べ、日本は逆に事業をしやすい国として映った。そのため数多くの企業が日本の仮想通貨市場参入を目指して押し寄せることになる。
改正資金決済法の施行とともに、既に事業を展開していた事業者は「みなし業者」と呼ばれることとなった。正式な登録は終えていないものの、事業の継続が認められた形だ。コインチェックもまた、みなし業者の1社だった。
こうした矢先に起きた流出事故。当然、マスメディアをはじめ利用者側からは非難が集まった。一方で、利用者をはじめ業界ではコインチェック救済に奔走する人々が多かった。
流出事故が発生し、僕たちは数多くの人たちになりふり構わず支援を求めた。数多くの人の助けを借りることで今日という日を迎えられている。
特に記者会見にも同席してもらった森・濱田松本法律事務所の堀天子弁護士は、その後、数カ月コインチェックと同じ立場に立ち、それこそ睡眠時間を削って支援を続けてくれた。同業他社もそうだ。様々な形でコインチェックの存続のために支援をしてくれた。感謝してもしきれない。
今あらためて、なんでだったんだろうと思う。あえて理由を見つけるとするならば、あの時、僕たちはユーザーのために何とかしようと必死だった。また、創業から一貫して、より良いサービスを作りたいという一心でプロダクトに向き合ってきた。その姿を見ていてもらえたからなのかもしれない。
仮想通貨業界には様々な事業者がひしめき合っていた。コインチェックは常にユーザーのために良いサービスを提供することにこだわっていた。もちろん、業界内で一番になりたいという思いは当時あったが、それはあくまでも良いサービスを作った結果についてくるものだと考えていた。
与えられた猶予は2週間
事業継続のためには、限られた時間で限られた選択肢の中から選ばなければならなかった。仮想通貨交換業を再開するためには、経営陣の刷新、株主の刷新が必須という話になっていた。
与えられている猶予は約2週間。支援を名乗り出てくれた企業の一つが、マネックスグループだった。他社と比べれば圧倒的に決断が早く、リスクをとる覚悟も持っていた。松本さん(マネックスグループ松本大会長兼代表執行役社長CEO)は創業者でありオーナー。マネックスグループにジョインした後のビジョンもコインチェックが目指すビジョンに近かった。
仮想通貨業界は、驚くほど早い業界だ。日進月歩で新しいテクノロジーが生まれ、市場はすさまじいスピードで変わっていく。仮想通貨業界のリスクを見極め、早い意志決定を行えるパートナーでないと、ユーザーに良いサービスは提供できない。金融業界で20年培ってきた経営ノウハウと早い意志決定の両方をバランスよく行えるマネックスグループに惹かれた。
企業を選定し、その上で売却価格をいくらにするのか、グループ入り後の体制をどうするのか。実質数日以内に、決めていかなければならなかった。正直に言えば、金額の交渉は二の次だと思った。僕が何より死守したかったのは、これまでと同様、ユーザーのために良いサービスを提供し続けられるかどうか、この一点だった。
会社を売却して終わりという意識は毛頭なかった。事業を継続していって、ユーザーに支持されるプロダクトを作り続けたかった。言い換えれば開発の自由をある程度得たかった。体制構築が必要なのはもちろん理解できる。だが、グループ入りした後に、新しいものを作り出せない環境になるのであれば、承諾できなかった。
マネックスグループはイノベーションへの理解もある。社内文化的なところが似ているし、波長が合うと感じていた。(続く)

Powered by リゾーム?