もし、需要の問題があれば需要を喚起し、需要に問題がなければ供給すればいいと考えがちですが、そうではないと思います。たとえば貧しい人たちが自分で学校を作ることはできません。しかし学校を建てさえすればいいと考えてもいけないのです。学校に対して、人々がどういう意識を持っているのか知らなければいけません。需要側、供給側、双方から考えることが重要なのです。相互に密接にからみあっているからです。需要がないから供給しない。供給されないから需要が生まれない。

多くの人は、一面的に考えてしまうと。

 そうなのです。人々が欲しがるものを市場に出せば、市場が問題を解決してくれるという人たちがいます。一方、伝統的な開発支援系の人は、供給サイドから考えるのが好きです。お金で問題を解決できると思っているからでしょう。ビジネスマンにもその傾向がありますね。新しいものを供給するには、需要に合ったものを出さなければいけない、と言うのは簡単ですが、需要と供給の間に横たわる現実がどのようなものか、まずしっかり定義しなければいけないのです。

貧しい人々は、我々が考える以上に多くを個人で背負っていますね。たとえば先進国の人間が蛇口をひねればすぐに得られるきれいな水を得るためだけに、1日苦労しなければいけない現実に直面している。デュフロ教授が書いた、「彼らは生き延びるために考えることが多すぎて、もうこれ以上考えられないのだ」との指摘にははっとさせられました。

 それは私が取り組みを進めているうち自然に実感してきたことです。その現実を、貧困支援に携わる人はしっかり見なければいけません。貧しい人々はあまりに多くのことを、日々の問題解決に費やしすぎて、より大きなこと(子供の教育など)に目を向ける余裕がない、というのが現実なのですから。

国家の制度は同じでも小さな変革で改善できる

制度の経済学とジェームズ・ロビンソン米ハーバード大学教授との著作『Why Nations Fail』で知られるダロン・アセモグル教授は国家の制度が重要だと言っています。デュフロ教授はそれを「悲観的だ」と論評されていました。

 そうです。彼らは、大きな意味での「制度」の改革に関して悲観的だからです。国家の制度、しくみを変えるのは容易でないという。私たちは楽天的です。それは「小さな制度改革」に日々携わっているからです。国の仕組みが素晴らしくても、常に、もっと改善が必要で、機能不全に陥っている部分があります。ブラジルの例はそうですね。

 一方、大きな国としての仕組みはひどいとしても、大きな動乱を起こさずに改善できる取り組みは存在します。たとえばインドネシアはかなり厳しい国ですが、そこでも人々の暮らしを改善する取り組みはいくらでもあります。辺境から変えることだってできるのです。中国も民主主義国家ではありませんが、選挙を導入しました。小さくても何らかの変化は起こるはずです。日々の変化の積み重ねが重要なのです。

日本企業の一部は、途上国でのビジネスに関心を持っています。社会に貢献しつつ、収益を上げていくというのは可能でしょうか。

 それは素晴らしい質問です。安定した仕事につけると、貧しい人の生活は劇的に向上しますが、地元企業、とりわけ中小規模の町や村にある企業はその点で(雇用の吸収に)多くの制約があります。民間企業が大きな変化をもたらす方法の1つは、首都ではなく郊外に立地するような地元企業と提携することです。交通の便も悪いので日本企業側にとっての利益の最大化は難しいでしょう。しかし地元中小企業は日本企業と組むことで取引に携わる入り口とチャンスが得られ、取引のノウハウに関して多くを学ぶことができます。証拠はありませんが、1つの途上国支援策としていかがでしょうか。

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