スウェーデン王立アカデミーは14日、2019年のノーベル経済学賞を米マサチューセッツ工科大学(MIT)のアビジッド・バナジー教授(インド出身)、共同研究者であり妻である同エスター・デュフロ教授(フランス・パリ出身)、そしてマイケル・クレーマー米ハーバード大学教授(米国出身)の3氏に授与すると発表した。日経ビジネスでは2013年、今回46歳と最年少かつ女性で2番目に受賞するという快挙を成し遂げたデュフロ教授に、受賞理由に大きく関係のあるテーマでロングインタビューを掲載していた。
3氏の受賞理由は、世界的な貧困の緩和を目指し、経済学の考え方に基づき、RCT(ランダム化比較実験)という現場主義の実験的なアプローチを応用したことである。デュフロ教授はバナジー教授とともに、将来のノーベル賞候補として期待されてきた。
受賞後にデュフロ教授は「今回の受賞によって女性でも成功を認められる可能性があると示すことで、働き続ける女性たちの励みになり、多くの男性が女性に対して実績にふさわしい敬意を払うきっかけになることを期待しています」と述べた。以下、2013年6月10日に日経ビジネスオンラインに掲載されたインタビューを全文再掲載する。
エスター・デュフロ(Esther Duflo)
米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授
1972年フランス生まれ。1995年、仏DELTAで経済学修士号取得、99年、米マサチューセッツ工科大学で経済学博士号取得(Ph.D.)。同大学助教授などを経て2005年から現職。2011年、アビジット・バナジー教授と共著で『Poor Economics(邦題:貧乏人の経済学)』を出版、11カ国で翻訳される。英エコノミスト誌で「若手経済学者ベスト8」の1人に選出。2010年、40歳以下の最も優れた経済学者に贈られるジョン・ベーツ・クラーク賞を受賞するなど受賞歴多数。(写真:Mayumi Nashida、以下同)
貧困削減の施策で、最も犯しやすい失敗とはどのようなものでしょう。
最大の過ちは、貧困について一面的な見方をすることです。どんな見方も、完全に間違いというわけではありません。しかし、貧困をめぐる問題は1つではなく、大変多くの違う問題がからみあっているということを忘れがちなのです。魔法の一撃のような施策はないのです。しかしいつでも、これだけやればすべてうまくいく、という1つのやり方だけを求めようとするのがよくある間違いですね。
1つの方法に過剰に期待してしまう。政府や世界銀行や国連なども、そういった間違いを犯しがちですね。
もちろん、彼らがうまくいくこともあります。現場の担当者はいつも現実をよく理解し、頑張っていると思います。大変細かく気を遣い、苦痛の伴う仕事に懸命に取り組んでいます。どちらかと言えば問題は「識者」です。現場にあまり行きたがらない人たちがよく間違えるのです。現場で信念を持って貧困支援に取り組んでいる人たち、とりわけNGO(非政府組織)は常に、問題解決には、複雑な全体像をゼロから理解しなければいけないことを分かっています。
NGOは、官僚的な組織よりもうまくやっていると。
大体そうですね。国際組織だけではなく、政府関係者も往々にして、現場に行って思考を巡らせることをせずただ抽象的に考え、現実を全然知らないですね。そして、誰の問題も解決しないような解決策を、試行もしないで考えるのです。そして、その解決策を実行に移すことにやっきになり、結局本質的な問題を考えないで終わる。
イデオロギー、無知、惰性が政策失敗の原因
思いつきではなく現場の細かい事実の検証が重要なのですよね。共著『貧乏人の経済学』では、3つのI―イデオロギー(ideology)、無知(ignorant)、そして惰性(inertia)が失敗の原因と述べていました。これは政策全般に言えることのように思います。
そうです。この傾向は、先進国での貧困対策についても言えますし、経済政策についても言えることです。人は、その時代、地域ではやっている考え方やイデオロギーに強い影響を受けがちです。そしてろくに現実に関する知識もないままに政策やプログラムを考え、実行した後で効果的になるよう改定することすら怠る。これが怠惰、の部分ですね。そして、その現実、事実を知らない。私はたまたま開発支援に携わっているので、こういったことに日々直面しているので、痛感するのです。
現場を見つめ、現場の小さい問題から改善していけば、大きな変化にもつながるとおっしゃっていましたが。
そうです。本当にそう強く思います。いったん支援プログラムが実行されたら、最初は良いアイデアだったとしても、そのいい点、機能しない点を精査するだけでも、より大きな変化を起こすことができますから。
たとえば、ブラジルではこんな施策を実施しました。ブラジルは、とても活発な民主主義国家です。選挙には大勢立候補します。しかしあまりに立候補者が多すぎて、選ぶのがとても難しい。その結果、貧困層の票は反映されなくなるのです。文字を理解しない人が多いからです。
そこで投票を電子投票システムに変えるというシンプルな改革で、貧困層の投票能力が大きく改善し、だれが当選するか、どのような政策が実行されるかにまで影響を及ぼすようになりました。たとえ民主主義国家で言論の自由があっても、それを全員が間違いなく行使できるような仕組みづくりの視点に欠けると、本当の民主主義や言論の自由を実現できないのです。既存の政策には、そういった間違いがたくさんあります。
小さな改革が、大きな結果をもたらすという好例ですね。小さなことから変化を起こすには、虚心坦懐に現場の実態を良く知らなければいけません。
そうです。そしてまずは果敢にやってみる。やっているうちに、最初のアイデアは少しずつ小さなことから修正されていきます。この現実に合わせた修正の積み重ねが、全体の効果を高めることにつながるのです。
需要と供給の間に、現実がある
なるほど。ところで、貧困削減の取り組みにおいて、自己責任で自立させるよう啓発すべきとする「需要型」の考え方と、ジェフリー・サックス氏のような「供給型」、すなわち大きい箱物や施設をまず作るべきという考え方と両方ありますが、あなたはどちらですか。
どちらでもありません。その現場によって違うからです。もちろんどちらも、現実を反映している解決策ではあります。供給側から考えるのは、現実が直面している制約に着目した政策です。たとえば、学校がないというのがその典型ですね。
一方で、需要からのアプローチは、支援する内容は人々が何を必要としているか次第だというものです。たとえば、看護師が地域で唯一の診療所での勤務をサボるので、その出勤率を改善する取り組みをしたケースがあります。でも全くうまくいきませんでした。理由は、地域住民が診療所に全く関心がなかったからです。地域にとって本来必要な施設にもかかわらず。患者に求められていないので、看護師もやる気にならなかったのです。そして、政府がこのプログラムをうまくいかせるかどうかにも住民は関心がなかった。
もし、需要の問題があれば需要を喚起し、需要に問題がなければ供給すればいいと考えがちですが、そうではないと思います。たとえば貧しい人たちが自分で学校を作ることはできません。しかし学校を建てさえすればいいと考えてもいけないのです。学校に対して、人々がどういう意識を持っているのか知らなければいけません。需要側、供給側、双方から考えることが重要なのです。相互に密接にからみあっているからです。需要がないから供給しない。供給されないから需要が生まれない。
多くの人は、一面的に考えてしまうと。
そうなのです。人々が欲しがるものを市場に出せば、市場が問題を解決してくれるという人たちがいます。一方、伝統的な開発支援系の人は、供給サイドから考えるのが好きです。お金で問題を解決できると思っているからでしょう。ビジネスマンにもその傾向がありますね。新しいものを供給するには、需要に合ったものを出さなければいけない、と言うのは簡単ですが、需要と供給の間に横たわる現実がどのようなものか、まずしっかり定義しなければいけないのです。
貧しい人々は、我々が考える以上に多くを個人で背負っていますね。たとえば先進国の人間が蛇口をひねればすぐに得られるきれいな水を得るためだけに、1日苦労しなければいけない現実に直面している。デュフロ教授が書いた、「彼らは生き延びるために考えることが多すぎて、もうこれ以上考えられないのだ」との指摘にははっとさせられました。
それは私が取り組みを進めているうち自然に実感してきたことです。その現実を、貧困支援に携わる人はしっかり見なければいけません。貧しい人々はあまりに多くのことを、日々の問題解決に費やしすぎて、より大きなこと(子供の教育など)に目を向ける余裕がない、というのが現実なのですから。
国家の制度は同じでも小さな変革で改善できる
制度の経済学とジェームズ・ロビンソン米ハーバード大学教授との著作『Why Nations Fail』で知られるダロン・アセモグル教授は国家の制度が重要だと言っています。デュフロ教授はそれを「悲観的だ」と論評されていました。
そうです。彼らは、大きな意味での「制度」の改革に関して悲観的だからです。国家の制度、しくみを変えるのは容易でないという。私たちは楽天的です。それは「小さな制度改革」に日々携わっているからです。国の仕組みが素晴らしくても、常に、もっと改善が必要で、機能不全に陥っている部分があります。ブラジルの例はそうですね。
一方、大きな国としての仕組みはひどいとしても、大きな動乱を起こさずに改善できる取り組みは存在します。たとえばインドネシアはかなり厳しい国ですが、そこでも人々の暮らしを改善する取り組みはいくらでもあります。辺境から変えることだってできるのです。中国も民主主義国家ではありませんが、選挙を導入しました。小さくても何らかの変化は起こるはずです。日々の変化の積み重ねが重要なのです。
日本企業の一部は、途上国でのビジネスに関心を持っています。社会に貢献しつつ、収益を上げていくというのは可能でしょうか。
それは素晴らしい質問です。安定した仕事につけると、貧しい人の生活は劇的に向上しますが、地元企業、とりわけ中小規模の町や村にある企業はその点で(雇用の吸収に)多くの制約があります。民間企業が大きな変化をもたらす方法の1つは、首都ではなく郊外に立地するような地元企業と提携することです。交通の便も悪いので日本企業側にとっての利益の最大化は難しいでしょう。しかし地元中小企業は日本企業と組むことで取引に携わる入り口とチャンスが得られ、取引のノウハウに関して多くを学ぶことができます。証拠はありませんが、1つの途上国支援策としていかがでしょうか。
なるほど。ノウハウがないのが問題であると。
市場への足がかりがないのです。一方で、いったん市場への足がかりを得たら、ノウハウは自然に進化していきます。貧しい人々に、チャンスを与えるのです。日本の中小企業も単独で中規模の町でビジネスを展開するのは、言葉の問題などで難しいでしょう。地元企業と組めば、地元の労働者が喜んで働きにきますよ。パートナーシップがカギです。そして事業のターゲットを特に貧困層に限定する必要もない。輸入商品の製造スタッフとして雇うなど、現地で雇用を創ってくれればいいのです。
貧しい人々を、貧困の連鎖から断ち切らせる力になるのは、どのような取り組みでしょうか。
途上国支援の世界では現在、まずは情報提供が最初に必要だ、情報はタダだから、という話が人気です。しかし情報はタダではありません。情報を持ってくる人を雇わなければいけません。しかし情報提供会社を作ったところで全く効果はないでしょう。それだけで貧しい人たちの行動を変えることはできません。彼らはそうした情報を信用しないし、理解しませんから。もちろん彼らがサービスを得られる場所などに関する情報提供は重要なのですが、思うほど簡単ではないのです。
これは識字率の問題だけではありません。先進国の人々が提供する情報は、何であれ先進国の考え方、思考回路、文化に合うように作られています。そのためにときには情報が多すぎて、必要な人に必要な部分が届かなかったりもします。受け手が、「自分に関係ない」と思ってしまうからです。これが特効薬、というような方法は最初にも触れましたが、存在しないのです。
女性の活用と、経済成長を絡めるべきでない
先進国のケースで、職業訓練を公費で続けても、雇用創出には貢献しないという研究をされました。
そうです。結局仕事の数は同じなので、訓練を受けた男性は採用され、その分誰かがふるい落とされるだけだったのです。女性は訓練を受けてもそれが就業に役に立たない場合が多かったです。雇用全体が増えないので、失業率の改善には役に立たない。スキルを身に着けた人材とそうでない人材の雇用の再配置が起こっただけで、雇用を生み出さないのです。効果的な政策とは言えないのです。
日本では、安倍政権が成長の3本の矢として女性の活用を提唱しています。
日本では女性に対して、いまだに伝統的な役割を果たすことが求められていると聞きます。女性を活用することが経済成長に資するかどうかはともかく、日本の女性が、もっと広く社会で活躍できるようになることに反対する理由は全くありません。女性にとっては極めて重要なことで、疑いようもありません。家庭での意思決定に女性の意向がより強く反映されますし、子供への投資がもっと増え、次世代のためにもよいインパクトがあります。大きな間違いの1つは、経済成長のために女性活用が必要だと主張することです。
ゼロから制度を導入して都市を作ってもうまくいかない
女性活用に関するビジネススクールのケーススタディーもあります。でもこれ、なぜなのでしょう。
人口の半分が(社会の意思決定に際して)何の力も持てないなんて、そもそもとてもおかしなことです。それが成長を促すかどうかなど、そもそもケースにする必要なんかない。それに反対する理由がない。たとえ経済を成長させないとしたって、女性に活躍の場を与えるというのはとても大切なことですよ。
最後に。内生的成長理論を確立したことで知られるポール・ローマー米スタンフォード大学教授が、既得権者のいない、理想的な制度を最初から導入した都市をゼロからつくるという「チャーター・シティー」の構想を打ち上げ、ホンジュラスで導入するかどうかが検討されました。このような試みに対してどうお考えですか。
制度の整った理想的なゼロから都市をつくる、というのは理念としては素晴らしいと思うのですが、実行に移すとすれば、かなり乱暴な試みです。ローマー教授は大変尊敬していますが、かなり勇気のいることでしょう。本気で取り組むとすれば、無数の困難にぶちあたると思います。ホンジュラスで最終的に実現しなかったのは、政府が結局、方針を変えたからなどとうかがっています。先進国からの優れた制度の提案がほとんどなかったとされ、それは現地の政治的特権層が危惧したからとも聞いています。今のところ、失敗に終わりそうな情勢ですね。万が一成功したとしても、グローバルに展開できる貧困解決策ということにはならないと思います。
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