株主利益を拡大するためだ。この会社とは2000年代前半の米ヒューレット・パッカード(HP)、時の経営者はカーリー・フィオリーナ氏だ。
こうした発想は少なくとも高度成長期の日本にはなかった。たとえ特定の社員の生産性が低かったとしても、過去最高益を達成した直後に社員をクビにしようなどと考える経営者はいなかった。むしろ、経営が厳しくても雇用を守ろうとする経営者の方が多かった。
過去最高益でも社員をクビにする会社と、苦しい状況でも社員を守ろうとする会社とでは、どちらの方が善い会社なのだろうか。
ステークホルダーではなく「社中」
株主資本主義では、当時のHPのような会社を「グッドカンパニー」と言う。しかし、私は高度成長期の日本企業のような会社を「善い会社」と考える。この善さを定義する考え方として、私は「公益資本主義」を提唱している。
公益資本主義では、株主だけではなく、社会全体に広く利益を還元する会社を高く評価する。
ここで言う社会とは、株主に加えて従業員、顧客、取引先、地域社会、さらには地球全体のことを指す。株主資本主義では株主のみに利益を還元するが、公益資本主義ではこれらの構成要素すべてにまんべんなく利益を還元する。
ここで注意しなければならないのは、社会の構成要素を「ステークホルダー(利害関係者)」と位置付けてしまいがちな点だ。だが、私はそうは思わない。彼らは「社中」。共通の目的を持つ仲間だ。
会社は現代の資本主義社会において最も重要な役割を果たす経済ユニットであることは間違いない。その会社が、社中のうち、株主だけに貢献するのでは社会全体が善くなるはずがない。やがて一部の富裕層だけがどんどん富を得て、ボディーガードなしでは表を出歩けないようになるだろう。そんな社会はいずれ疲弊する。
株主資本主義が主流の米国ではこんなことが起きる。
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