赤澤さんのケースを見ると、「葬式仏教が、仏教の衰退や崩壊を招いている原因」とは言い切れない。
宗教活動だけで食べていけない寺院の中には、「サイドビジネス」を展開しているところも多い。幼稚園経営や駐車場経営、物販などだ。それはそれで、寺院を存続させるためのひとつのアイデアだ。
しかし、赤澤さんの試みの特徴は、僧侶という立ち位置を一切変えず、より良いものを追求する姿勢にある。そうであれば自ずと人々は寺に集まってくれる、という考え方だ。
こうして見れば「宗教崩壊」は、結局は僧侶が寺という「安全地帯」に留まりながら、自分磨きを怠っていることに起因するのではないか。
都会で失われつつある寺や僧侶に対する信頼を取り戻すための未来図が、赤澤さんにはしっかりと見えているのだろう。
多摩ニュータウンにも新寺
都市部における開教の実例をもう1つ紹介しよう。
高度成長期に建てられた集合団地が林立する多摩ニュータウン(東京都多摩市、八王子市、稲城市、町田市)の近く。一妙寺とは趣が異なり、木を基調とした落ち着いた雰囲気の建物が、笠原泰淳さん(56)の建てた林海庵(浄土宗)だ。
2001年に東京都稲城市で布教を開始し、2005年、現在の多摩市に中古の一戸建てを購入し、新寺とした。2008年には宗教法人格を取得した。
浄土宗の場合も、近年の過密化と過疎化に対応することを目的に、多摩ニュータウン地区を開教拠点の1つに定めた経緯がある。多摩ニュータウンは高度成長期、地方から東京への労働力の大移動を背景にして、総面積約2890ヘクタールを切り拓いて街にした。現在約21万人が暮らす日本最大のニュータウンである。
そうした巨大新興都市の周辺は、急増した人口に対して寺の数が少ない。過疎地で見られる空き寺問題とは別に、ベッドタウンでは過密化によって、信仰が失われているという現象が起きているのだ。そうした街で暮らす都会の若者の「宗教離れ」は、各仏教教団にとって悩ましい問題だ。
笠原さんは1990年代後半から本格的に始まった浄土宗の開教政策に乗る形で、林海庵を設立した。
笠原さんは赤澤さんと同じく在家出身だ。ただ、笠原さんの場合、大学を卒業後、日本通運に勤務していた経験を持つ。元々、禅やヨガなど、精神世界に興味を抱くなど、僧侶になるための素地はあった。
日通に8年間勤務した後、思い切って脱サラし、浄土宗が抱える佛教大学に入って、僧侶の資格を取得した。

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